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【解説】中国の昔と今。世代間ギャップと明の栄光

中国とその国民に対して、皆さんはどのような印象をもっているでしょうか?日本に伝来した文化の元である先輩、マナーを守らなかったりパクったりする、GDP世界第二位の経済大国、様々な印象があると思います。

1972年に田中角栄総理の下、中国との国交が正常化してから50年以上が経ちましたが、お互いに複雑な関係性が未だに築かれていると思います。
その一端には先行したイメージが実態を捉えていないという理由もあるのではないでしょうか。ということで、中国の近現代の歴史と、現在の共産党が目指すものについて書こうと思います。


時代ごとの権力者に振り回される国民

中国の正式名称は「中華人民共和国」(以下中国)。その前には「中華民国」という国で、更にその前には「清」という国でした。
清は中国最後の統一王朝であり、皇帝が治める君主制国家でした。アヘン戦争や日清戦争での敗北が重なり、領土が他国に奪われていく中で力を失っていきます。そして民主化を目指していた孫文らが1911年に辛亥革命を起こし、中華民国が誕生します。

民主国家となるはずでしたが、軍閥のリーダー袁世凱が実権を握ってしまいます。革命派の人々は民主化運動を続けますが、孫文の死後は各地の軍閥が争うカオス状態になり、その後孫文の死後に蔣介石が国民党の総司令官となって有力な軍閥と手を組み1928年に南京を首都として全国統一を成し遂げます。が、この時点で国民党は民主化ではなく一党独裁への道を進みます。

国民党と共産党が対立する中で、日中戦争(1937)や第二次世界大戦(1939~1945)が起こり、疲弊した国民党を台湾に追いやる形で共産党が実権を握り、1949年10月に中国(中華人民共和国)が成立します。
やっと中国が出てきました。

この共産党の事実上の一党独裁が始まってからが特に怒涛の時代だと思います。全ては建国の祖である「毛沢東」の独裁から始まります。共産党の行ったことを簡潔に振り返って行きましょう。

共産党の歴史をおさらい

共産党は、帝国主義列強の植民地支配に反対する学生たちを中心とした1919年の五・四運動を契機に発足し1921年に第1回大会が開催されました。

少々時を飛ばして、毛沢東を中心とする共産党が中華人民共和国を建国した1949年以降を見ていきます。独裁政権ではトップの言うことで国全体が左右されるため、年代によって世代間ギャップが非常に大きい点も注目です。

  1. 大躍進政策(1958~60年代)
    ソ連と中国は兄弟分。ソ連の敵はアメリカだから、中国はアメリカの次に大きいイギリスを敵にしょう。
    ということでイギリスの得意分野であった製鉄や鉄鋼業に乗り出します。
    しかし、それ以前に農業集団化で生産効率が下がっていた➕製鉄のための設備もインフラも整ってない状態だったため、製鉄・鉄鋼が上手くいかないどころか食料生産量が急激に下がり餓死者が続出。。

  2. 文化大革命(1966~76くらい)
    大躍進政策で劉少奇に政府の首席を取られた毛沢東の不満から始まる。紅衛兵と自称する共産党幹部の子どもたち(エリート)を利用した政府批判、知識人批判、宗教批判などが推進され、儒教を土台とする道徳観は破壊され、数十万〜数百万、一説には数千万人もの大量虐殺が行われたとのこと。。
    紅衛兵は革命運動に参加する一方、学校に閉じこもって勉強するなどとんでもない、ということになり全国の学校で授業がストップ。文化大革命の影響で今も中国には「失われた世代」という十分な教育を受けることが出来なかった世代が存在します。

  3. 改革開放路線から天安門事件(1980年代)
    毛沢東の死後、鄧小平という優秀な人物が実質的な権力を握り、改革開放路線を実施。共産主義の世界に進む前に、まずは国民を豊かにする必要があると考えた現実主義者の鄧小平は、社会主義でありながら市場経済を取り入れるという思い切ったことをします。矛盾した「社会主義市場経済」という言葉が誕生しますが、このおかげで現在の中国に続く経済成長が始まります。
    一方で貧富の格差はまだ激しく、少しでも貧富の格差を失くすために学生たちが民主化運動を始めます。1989年に長年仲が悪かったソ連と中国が関係性を改善します。その一環でソ連のゴルバチョフが中国を訪れるタイミングを狙って、学生たちが天安門広場に座り込み民主化運動を海外のメディアにアピール。集まった人の数は100万人以上いたとのことです。怒った共産党が軍隊を出動させて民主化運動を鎮圧し、多数の死者が出ました。

  4. 愛国教育から来る反日感情
    天安門事件から学んだ共産党は、共産党批判が出ないように教育に力を入れ始めます。共産党の正当性を刷り込むための愛国教育が行われるのですが、その正当性を担保する上で使われたのが、「日本の支配に対抗して独立を成し遂げたのが共産党である」というもの。
    今の中国があるのは共産党のおかげ、そう考えると同時に反日感情が大きくなっていく教育を続けて今に至ります。

明の栄光を目指して「一帯一路」

現在、中国の南シナ海の占領や、香港での国家安全維持法の可決、台湾への干渉など、様々な問題があります。「何でそんなことするんだろう?」とつい思ってしまいますが、そこには明時代の栄光を取り戻したいという習近平国家主席の考えがあるようです。

明とは1368年から1644年まで中国を納めていた統一王朝であり、おそらく歴史上中国が最も世界で栄華を極めていた時代だと思われます。大航海時代が始まる以前に「鄭和」という人物が率いた宝船の大船団はアフリカ大陸や中東に到達していたとされ、皇帝の為にアフリカからキリンを生きたまま中国に持ち帰ったという話すらあります。明は非常に技術が進んでいたようです。

中国は清の時代以降、他国に戦争で負け、領土を奪われ、非常に貧しい生活を送った。今やっとGDP世界第二位の経済大国までのし上がったことで、かつての明のような栄光を取り戻したいと考えるところまで来たのかもしれません。明の歴史があるからこそ、南シナ海は中国の領海だと主張して不法な取り締まりや占拠や埋め立てを行うし、一つの偉大な中国にするために香港や台湾の独立は認めない。そういった論理があるのだと思います。

中国は様々な歴史を経て現在に至っています。国と人を理解する上では、現在の特徴や気質を民族性を引っ張り出して繋げるのではなく、あくまで歴史の積み重ねの上に現在があるのだと認識することが重要だと思います。日本も昔は、糊でボタンをくっつけただけのシャツを輸出したり、電車の中がゴミで溢れかえったり、外国で列を守らなかったりしたようです。それを民族性や国民性だとするなら、現在の日本は存在しないはずです。
決めつける前に、ちゃんと相手を知りその立場で考えてみることが重要だと思います。

以上、中国の昔と今。世代間ギャップと明の栄光、についてでした。
ありがとうございました!


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