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「豆の上で眠る」

皆様、今日も一日本当にお疲れ様でした。
私たちは今生きているので、「生きる」ほうをこれまでは選択してきたのでしょう
ただ、人生の中の一瞬の煌めきを想って歩き続けるには
あまりに険しい道のように感じました。

今日は、小説「豆の上で眠る」という作品を紹介しようと思います。

「えんどうまめのうえでねたおひめさま」
おひめさま候補は、まめの上に羽毛布団を何枚か重ねた上に眠らされ、背中に前をごつりと感じられるほど繊細な感覚があるのかどうかを試される。
「背中に硬いものがあってよく眠れませんでした」ということができれば、正解。ほんもののおひめさまだという。

私は、作中のアンデルセン童話の中で、豆が踏み絵として選ばれているところが、ダークで艶かしくて、すごく好きだ。
童話作家は、子供に何かを伝えようと作品を作る。
作者は、誰もが「お姫様を夢見る」という嘘のような現実をきちんと把握し、彼らがこの本を読んだ後、キッチンから豆を盗み出し「おひめさまごっこ」をする姿まではっきりと想像できたところで、「ビンゴ」と呟きにやついただろう。
確信があっての、この設定であろうと思う。


この話が特出して面白いのは、「子供の純粋無垢故の残酷さ」が、「大人のじっとりと汗ばんだ邪気」を通して、遠回しに表現される、作者独特の書き回しにあるように感じる。

「スプリングフラワーシティ」と母「春花」に所以し名付けられた集合住宅地に暮らすまゆことゆいこは、似つかぬ姉妹。
姉のまゆこちゃんは、透け通るような白い肌にか細い手足、つぶらな黒目がちな瞳を授かった、まるで人形のような美少女だ。さらに体が弱く病気がちともくれば、完璧なヒロインタイプと言えるだろう。
一方妹のゆいこは、もともとそういう可愛らしいものが、全然似合わないし、全然好きじゃなかった。体はすこぶる丈夫、だからと言って快活なわけではなく、”まゆこちゃん”と一緒に遊ぶのが何より好きな子だ。

語り手の一人称は、大学生になったゆいこ
母が持病の胃潰瘍で、いつものごとく入院をしたため見舞いに行こうと出向いたセンター街のバス停で、お姉ちゃんと「まゆこちゃん」を、見つけてしまう。
彼女は、「まゆこちゃんは本当の姉ではないのではないか」という疑念を、ずっと抱えて生きている
そもそも似つかないのは事実だが、そういう意味ではない。

姉のまゆこは、小学校一年生の頃、失踪した
神隠しが怒ると子供らに囁かれる地元の神社からの帰り道に、一人で忽然と姿を消した
家族や警察は必死に手がかりを探すも、有力な証言は2、3しか出てこない
あまりの衝撃と刻々と流れる時間の苦痛に、水面下で狂い始める母

事件当時の鮮明な緊迫感が薄れかけてきた頃、「神社の下で失踪当時のまゆこと全く同じ服装をした女の子が保護された」との電話が入る

しかし、再会を果たしたお姉ちゃんとの対面の瞬間からが、悪夢のような物語の始まりだった

「本もの」と「偽物」の豆の上で、ぐらぐらとで生きてきたゆいこが本当に知りたいのは、何なのか

「誘拐事件」という、小学生にとって残酷すぎる現実の渦で
事の深刻さと膨れ上がる好奇心の狭間で、彼らの純粋な発言や思考は、時に大人以上に恐ろしい空気を纏っている。
話に釣られ、読み手自身も無意識に子供時代のあなたへと戻り、あの時感じた友達という「恐怖」を想起するから余計に面白いのかもしれない。


人間の表裏に、実態のないまま苦しめられるあなたのために、
湊かなえの文章にその憤りを消化してほしいと思いました。



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