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心の傷を癒すには? 

うんうん。
人は自分のことを理解してほしい生き物だもんね。
自分の感情を、アドバイスされることなくコントロールされることもなく受け容れてくれる人がいたら…
それはとても安心するね。

それを自分でするのが、まみちゃんの言う通り私達の大切にしている「自己受容」だね。

まみちゃんは、それを続けていくことで「私は私でいいんだ」って思えてるんだね。
それはとっても素敵なことだね!
まみちゃんの浄化のお話聞かせてくれてありがとう。

お返しに、今日は私の『悲しみの粒』が浄化されていった時の話をするね。

私はね、幼い頃から『悲しい』っていう感情を味わうのが苦手だったの。
それは大人になってからもでね。
きっと、悲しいことがあっても『悲しい』という感情に蓋をして味わわないことで私は私の心を守っていたんだね。
(その経緯、幼い頃の私の体験については、また機会を見つけてアップするね。)

だけど、味わわれていない沢山の『悲しみの粒』たちは、心の傷、シャドー(影)となって心の奥深くへ押し込められていただけ。
消えてなくなったわけではなかったんだね。

※読書のみなさまへ
シャドーについてはまた別の記事に詳しく載せますのでお読み頂けると嬉しいです。

自己受容を学んでからは、苦手な『悲しい』感情も無理のない範囲で意識的に味わって受容するようにしていったよ。

今現在の悲しみには勿論、過去の悲しみにも。
具体的にどんな方法でやったかというとね…

心の奥深くにある『悲しみの粒』を一つ取り出しては受容する。一つ取り出しては受容する。
という感じで、幼い頃の自分の悲しかった記憶を一つ取り出しては大人の私が寄り添って受容するの。

「今どんな気持ち?」
「悲しかったね。」
「悲しんでいいんだよ。」

私はいつもお風呂の中でやるようにしていたよ。
時には子供のようにわんわん泣きじゃくりながら、繰り返し繰り返し受容するの。

そうすると、不思議と新しい心の傷だけじゃなくて、幼い頃からの心の傷も浄化されていったんだ。

私の無意識の領域で、鍋の中の沸騰したお湯のように蓋をカタカタさせて外に出たがっていたであろう『悲しみの粒』たちが、長い時を経て暴れることもなく、蓋を静かに開けて蒸気となってスーッと消えていくのを感じたよ。

これが私の心の傷が癒されて、『悲しみの粒』が浄化されていった時の感覚だよ。

大切な人に寄り添うように…
自分の“感情“を否定することなくそのまま感じて認めてあげると、本当に心が軽くなって癒えていくのがわかるね。
まみちゃんの浄化の方法もよかったら教えてほしいな。

りえ

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