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宮澤賢治『屈折率』を読む ―風景と心象が溶け合う世界でまことの言葉を届ける郵便脚夫―

屈折率

七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
  (またアラツデイン 洋燈とり)
急がなければならないのか

春と修羅

 『屈折率』は、詩集『春と修羅』の最初に掲載されている詩です。1922年(大正11年)1月6日と付されており、ここから『春と修羅』の創作を開始したことがわかります。この年の11月には妹としが死去しており、賢治にとっては激動の1年だったことでしょう。
 
 七ツ森とは、岩手県雫石町にある地名です。高さ300m前後の小高い丘が7つ連なっている地形があり、七ツ森と呼ばれています。賢治は、何度もそこを訪れていたようです。七ツ森の北には小岩井農場もあります。賢治の長編詩『小岩井農場』は、実際に農場を訪れた時の経験を書いていますが、七ツ森もその時に通ったのではないかと思われます。
 
 前提として押さえておかなければならないのは、賢治の詩が心象スケッチ(mental sketch)だということです。実際の情景を見てはいるが、そこに賢治の心情が重なり、溶け合って、自己の内面に新たに再構成された情景です。賢治自身にとって、その情景が本当にそのように見ているのでしょう。それをそのままを書いたのが賢治の詩の特徴になっています。
 
七つ森のこつちのひとつが/水の中よりもつと明るく/そしてたいへん巨きいのに
 
 1行目では、丘の一つに雲間から冬の日が差す光景を見ています。
 2行目になると、賢治の意識が一瞬水中に移動します。水中から水面を見上げると外の世界が歪んで見えます。そのイメージがあるのでしょう。
 3行目では、一つの丘だけが異常に大きく見えるのは、光の屈折のためだと考えています。水中と大気中とを視線が移動することで、水面の境界で光の屈折が生じ、それによって大きく見える。賢治の視界には、目の前の風景がそう見えています。
 
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ/このでこぼこの雪をふみ
 
 「のに」の逆接の後、4行目・5行目には一気に視界が足元へと落とされます。ここで屈折しているのは風景ではなく賢治の心です。固く凍ったでこぼこの雪を踏み、不安定な足どりで、俯きながら先を急ぐ。どこへ向かっているのかは不明です。
 
 『やまなし』に関する投稿記事で書いたように、賢治の自我は修羅の底を這っています。唾を吐き捨て、歯ぎしりしながら、怒りに身を震わせて生きている。『春と修羅』で、賢治はそう書いています。『屈折率』でも、その意識は変わりません。
 
向ふの縮れた亜鉛の雲へ/陰気な郵便脚夫のやうに
 
 七ツ森とは別の方角の空を見ているのでしょうか。雲は低く重く垂れています。「縮れた亜鉛の雲」とは、亜鉛の鉱石の表面と雲のイメージを重ねた表現です。いかにも賢治らしい表現ですね。
 ここでは突然視線が雲に向かい、雲に向かって急ぐイメージが語られます。現実の情景から空想の世界への移行は、あくまでも連続的で境界はありません。自然に溶け合うように現実と空想がつながっているのです。
 唐突に陰気な郵便配達人が登場しますが、賢治の中に本当にその姿が見えたのだろうと思います。賢治はそういう人です。郵便配達人になって誰かに言葉を届けねばらない。まことの言葉、すなわち法華経の題目を、すぐにでも誰かに届けたい。そんな意識が浮かんでいたのかもしれません。
 
  (またアラツデイン 洋燈とり)
 
 アラジンの魔法のランプを手に取るのは、叶わぬ願いを口にする時です。まことの言葉を届けねばらならない相手は誰なのでしょう。ここではわかりません。熱心に法華経への入信を勧めていた友人の保坂嘉内か、あるいは父の政次郎か。「また」とあるのは、それが容易に叶わない願いだからです。とにかく急がねばならない焦りが賢治にはあったのだと思います。
 
 『屈折率』を起点に、二十二箇月の間に詩作を重ね、詩集『春と修羅』は完成しました。その間には妹としの死去があり、名作『永訣の朝』も生まれました。『屈折率』は、賢治の創作活動におけるマイルストーン的な作品だと言えるでしょう。

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