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未来学者が見るBIG NINE

ひとこと書評

 著者はアメリカの未来学者で、受賞歴のあるベストセラー作家でもある。その彼女が、グーグル、amazon、アップル、IBM、マイクロソフト、フェイスブック(メタ)、バイドゥ、アリババ、テンセント、のテクノロジー関連の9つの巨大企業をどう見ているか。これら巨大ハイテク企業とAIが支配する人類の未来とはどのようなものかを、さまざまなデータに基づいてシナリオ分析している。2069年までのシナリオを「楽観的」「現実的」「悲劇的」の3つで、多面的に分析している。さらりとでも一読し、自分ならどう考えるか?どうなりそうか、考えてみるのもおすすめ。
 なお、「支配」などというので陰謀論じみて聞こえてしまうかもしれないが、この本が言っているのはそういうことではない。すでに、日頃わたしたちがパスワードを覚えるのさえGoogle(あるいはアップル)に頼っているように、あるいは記憶媒体も自分のPCでなく彼らのクラウドになっているように、こうやって離れられなくなっているスイッチングコストが極度に大きい状態も、見方を変えれば支配なのだ。離れられないのだから。
 もう一つ、大きな論点として提示されていたのは、アメリカと中国の対比だ。過去・現在・未来において、アメリカと中国のハイテク企業のあり方は対照的だ。アメリカは資本主義ゆえに、そして巨大なハイテク企業があるゆえに、この領域において国家が弱い。弱いというのは、戦略という絵を描いているのが国家でないということ。その点、中国は違う。あの巨大で強力な意思を持つ国家が、意図して、高度技術とAIを用いて自国が世界を支配する未来を描き、淡々と実現しているのだ。未来はどうなるのか。本書を読み、私は少し身構えている。

以下、自分用乱文メモ

P.23 AI作曲のbreak free
P.24 ベートーヴェン運命のスケルツォは1788年に架かれたモーツァルト交響曲第40番からパターンを借りてきている。
P.25 研究者たちによると、人類は話すより先に歌った(かもしれない)
P.36 1930年頃までは、機械とプログラムとデータは、それぞれ独立したものと考えられていた(100年もたっていない!)
p.45 1955年の「ダートマスのワークショップ」がAI誕生のきっかけのひとつ。機械は考えることができるのか?を検討中、意見は「生物学的アプローチ」と「工学的アプローチ」に分かれた。
P.54 人間は、自分たちがものを考えるとはどういうことが行われているのか、話し言葉をどうやってものにしているのかを、理解していない(!)身体と認知のプロセス。
P.67 AIは人間が指導しなくても学べる。むしろよく学べる。

P.84 AIの種族(トライブ)はどのようなものか。ハードスキル(体系立った知識)に重きが置かれ、哲学や社会学には興味を示さないし、学ぶことが良しとされない。(➡これが、将来の危険性の根源と理解)
P.92 類似タイプでAIトライブ形成 →AIに関わる人間のバイアス
P.118 中国の長期的野心と、アメリカのご都合主義・商業的成功欲(→どちらが勝てるのか。自明かもしれない・・・)
P.147 システムは、設計した人の価値観を反映する
P.174 社会のモラルは大きく変わった。ルーズベルト大統領の任期中、報道関係者は彼のプライバシーに細心の注意を払い、身体の麻痺について言及したり、その様子を写さないという分別をもっていた。→いまは望むべくもない。こうしたモラルの社会で、さまざまなものをAIが規定していくなら、それはどういう価値観をもったものになるのか。どういった価値観の社会になるのか。推して知るべし、か。
p.175 どのような文化、社会、国家でも、ルールというのは常に一部の少数者が作ってきた。
p.176 AI開発者はこのようなことを自分に問うてみては、という著者の一連のリスト。→AIに限らず、社会を変えたい、影響を与えたい、という人は一読してみるとよい

未来予測のシナリオ3つは読んでのお楽しみ!

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