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最強の戦闘機パイロット 岩崎貴弘(著)


$最強の戦闘機パイロット

単行本(ソフトカバー) 
岩崎 貴弘 (著)

https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88-%E5%B2%A9%E5%B4%8E-%E8%B2%B4%E5%BC%98/dp/4062106728

(下記記事は、上記アマゾンサイトより引用・編集、写真もこのサイトより)
$解説
日本のトップガンによるF15究極の操縦法航空自衛隊で最強といわれた名パイロットがF15イーグルのコクピットから「ナイフエッジ」「横転コルク抜き」等の秘技を公開。戦闘機パイロットへの道を解説。


$読者レビューより引用・編集
この本を読んでロック岩崎さんはエンタテイナーだなと思う。というのは、本の最初で2つくらい、飛行のようすが映画を見るように書かれていて、とても引きつけられたから。
また、戦闘機パイロットについてのいろいろな話も、門外漢の私も理解できるように説明されていることが多く、たくさんの付箋がついた。
ショックだったのは、いまの最新戦闘機がコンピューター制御になっていて、新人が飛んでもベテランが飛んでも同じ動きをするからつまらなくなったと書かれているところです。自動車で言えば、マニュアルトランスミッションの操縦を愛した方。
それが原因でエアショーパイロットの道に転換されたようです。
巻末の用語集も簡潔で分かりやすいものが多く、とても興味を引かれました。自衛隊を退官されて、エンターテインメントであるエアショーパイロットの道を目指した方ならではの「読者を意識した」本。
最後に、ロックさんのプロフィールを見ると私より10歳くらい年上のようで、検索したら、2005年4月に53歳で亡くなられているとのこと、思わず手を合わせた。曲技飛行の訓練中の事故で亡くなられたそうで、そうなると「殉職」ということになる。
この本を書いたロックさんはもう空の彼方に行ってしまったと思うととても寂しかったですが、日常生活とは異なる戦闘機パイロットの生き方を普通の人に上手に教えてくれたことに感謝です。


$商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

日本のトップガンの実力を証明!秘技「横転コルク抜き」「ナイフエッジ」はいかにして誕生したか。ロック岩崎の究極の操縦法。

内容(「MARC」データベースより)

日本のトップガンによるF15究極の操縦法。航空自衛隊で最強といわれた名パイロットがF15イーグルのコックピットから「ナイフエッジ」「横転コルク抜き」等の秘技を公開。戦闘機パイロットへの道を解説。

著者について

■岩崎貴弘(いわさきたかひろ)
1951年千葉県生まれ。70年航空学生第26期生として航空自衛隊入隊。74年、F-86F、81年、F-104、84年、F-15のパイロットとなる。92年、第204、305飛行隊の2個飛行体を統括する飛行群運用班長に就任。95年、現役戦闘機パイロットのまま退官。同年、アメリカ、エアーショー界のスーパースター、ショーン・カッター氏に師事。96年、日本人初のエアーショーライセンスを取得。現在、エアーロック・エアロバティックチームのチーフパイロット(ロック岩崎)として全国各地の航空祭などで活躍中。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

岩崎/貴弘
1951年千葉県生まれ。70年航空学生第26期生として航空自衛隊入隊。74年、F‐86F、81年、F‐104、84年、F‐15のパイロットとなる。92年、第204、305飛行隊の2個飛行隊を統括する飛行群運用班長に就任。95年、現役戦闘機パイロットのまま退官。同年、アメリカ、エアーショー界のスーパースター、ショーン・タッカー氏に師事。96年、日本人初のエアーショーライセンスを取得。現在、エアーロック・エアロバティックチームのチーフパイロット(ロック岩崎)として全国各地の航空祭などで活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


$ロック岩崎( - いわさき、本名:岩崎 貴弘(いわさき たかひろ)、1951年11月28日 - 2005年4月21日)は、元航空自衛官エアショーパイロットである。群馬県勢多郡赤城村(現:渋川市)。曲技飛行の第一人者として知られた。

http://www.mct.ne.jp/users/fjv/air/airrock/index.htm下記サイトより引用

$経歴

1970年3月、千葉県立船橋高等学校卒業。同年4月航空自衛隊航空学生第26期として入隊。F-86FF-104F-15などのジェット戦闘機操縦者として飛行任務に従事する。ニックネームの「ロック」は「岩崎」の岩を英訳した在官時代のTACネームに由来する。
また、F-15戦闘機で低高度での「ナイフエッジ」

http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?%A5%CA%A5%A4%A5%D5%A5%A8%A5%C3%A5%B8

http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?%A5%CA%A5%A4%A5%D5%A5%A8%A5%C3%A5%B8

飛行を成功させたほか、「横転コルク抜き」https://youtu.be/eyCALPkYs44

という独自の空戦機動を編み出したことでも有名。
1995年7月二等空佐で航空自衛隊を退官。その後はエアショー・パフォーマーを目指し渡米、サンノゼ市アルプスナイスエアーを拠点として、カリフォルニア州キングシティーに所在するショーン・D・タッカーに師事。 1996年3月に優秀な成績でプロ・エアーショーライセンスを取得し帰国。同年8月に「民間版ブルーインパルス」を目指しアクロバット飛行チーム AIRock(エアロック)を設立、11月に和歌山県南紀白浜空港で開催された「スカイレジャージャパン'96」で日本初のプロ・エアショーパイロットとしてデビューを果たす。以後は航空自衛隊の航空祭を中心に各地で曲技飛行を披露していた。「戦闘機は運用安全上、8Gまでしか出せないが、ショーの曲技飛行なら11Gが出せる」と、求道者としてのコメントを残している。
自著『最強の戦闘機パイロット』において、自衛隊を辞しエアショー・パイロットとして再出発しようとした動機を「戦闘機乗りとしての寿命が尽き地上勤務を命ぜられるよりも、いつまでも空を飛び続けて人々に夢を与えたかったから」と語っている。単座(一人乗り)機へのこだわりや、操縦系統などが自動化される以前のシンプルな機体に対する愛着なども語っている。ブルーインパルスへ引き抜く話があったが、所属する飛行隊が手放すのを拒み実現しなかった。本人がそれを知ったのは退官後のこと。






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