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$日本二千六百年史 新版 新書 大川 周明 (著)

$日本二千六百年史 新版
新書 
大川 周明 (著)


$解説
前代未聞!
日米両政府が発禁にした、「思想界の頂点」と呼ばれた男の渾身の日本全史!
検事局により削除された不敬罪部分38ヵ所を復原!
「大東亜戦争の理論的指導者であり思想家であった大川周明を連合国は結局戦犯からはずした。大川を登場させ続けたならば、その聡明な頭脳と精緻な理論展開によって、東京裁判はいかさまの茶番劇であることが、そして欧米列強のアジア侵略の歴史が白日の下にさらされてしまうことを恐れたのであろう」(東京国際大学教授・福井雄三氏)
(本書は10万部突破を機に2017年刊の新書版を新装したものです)

商品の説明

著者について

昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家。明治19年、山形県酒田市生まれ。荘内中学(石原莞爾らを輩出)、熊本第五高等学校を経て東京帝国大学に入学、インド哲学を専攻。卒業後、拓殖大学教授などを務める一方、アジア解放・国家改造の実践に奔走、軍部に接近し、革新将校との結びつきを強めた。
昭和7年、五・一五事件に連座し禁固五年の有罪判決を受けるも、この五年に及ぶ服役中に大著『近世欧羅巴植民史』を著す。昭和12年に出所すると、すでに勃発していた日中戦争から、さらに日米戦争へと突き進まんとする国家的気運の中で、アジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を精力的に展開、同14年にその集大成として『日本二千六百年史』を上梓するや、同書は官憲の弾圧を受けつつも、たちまち四十万部を売り尽くす大ベストセラーとなる。
また日米開戦のへき頭、NHKラジオで連続十二回演説し、国民・将兵の士気を鼓舞するなどした。このため戦後、日本思想界の象徴とみなされ民間人ながら東条元首相らと共にA級戦犯に指定されたが、精神疾患を理由に免訴、釈放された。
その後、コーラン全文の翻訳に傾注し、完結。晩年は農村復興運動などにも従事、昭和32年、七十一歳で死去。
「小夜嵐、よもの落葉は、埋づむとも、わが行く道は、知る人ぞ知る」の辞世を残した。

大川 周明

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$大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年明治19年)12月6日[1] - 1957年昭和32年)12月24日)は、日本思想家国家主義者。

1918年東亜経済調査局満鉄調査部に勤務し、1920年拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士学位を受け、1938年法政大学教授大陸部専門部)部長となる。

Category:法学博士取得者」を参照

その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。

東京裁判においては、唯一、民間人としてA級戦犯の容疑で起訴された。しかし梅毒による精神障害と診断され、訴追免除となった。なお、晩年はクルアーン全文を翻訳するなどイスラーム研究で優秀な実績を残した。また「イスラム教大和民族日本民族)に相容れない」とした。

大川 周明


生誕1886年12月6日日本 山形県酒田市
死没1957年12月24日(71歳没)
日本 神奈川県愛甲郡中津村(現愛川町)
日本 国籍
出身校東京帝国大学文科大学
職業思想家、大学教授




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