I AM THATのメモ書き8(ある夜の瞑想)

求めているものは言語の外なのに、そんなにムキに書き出しても何になるんだ。
文章の中には無いのに。むしろ、言葉を重ねるだけ囚われるんじゃないか。
という、迷いが湧いてくるから進まない。

で、これ以上にやるべきことあるんかい?
ということで、やれ。
自分自身の手綱を握り直す。

この章の言葉は個人的に好きなものが多い。
読んだ後も、覚えていたものがある。

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うろつき回るのがマインドの本性なのだ。あなたにできる事は、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだけだ。

私はあると言う想念以外のすべての想念を拒絶しなさい

一度、あなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、物事は自発的に全く自然に起こり始める

真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくものの中に見いだすことはできない。真の幸福は自己からくる。そしてそれは自己の中にしか見出せないのだ。

欲望の風がマインドとマインドの中の真我の反映である私を揺り動かし、千変万化に映し出す。

真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。

喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。それは悪循環だ。

明らかにすることで、あなたはそれを一掃する。

目覚めている間の不注意な時を取り除くことが眠りと呼ばれる長い放心状態の感覚を徐々に除去するだろう。

時間もまた記憶に依存する。永久なるものと言うことで、あなたは無限なる時間を通して変わることのない確かな記憶を表している。

あなたのマインドを落ち着かなくさせるすべてのものから、あなたを離しなさい。平和を乱すすべてのものを放棄しなさい。

無知や不注意から生じた感情的な反応は決して正当化されない。
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・物事は自発的に全く自然に起こり始める
・欲望の風が私を揺り動かす

「真我はただ気づいている」
この言葉が非常に印象に残っている。

夜、瞑想をしていて、どのような状態になっているだろうか・・・
私の場合は
座り、おさまりの良い姿勢を探る。
ゆっくりと大きな深呼吸を始める。
徐々に一呼吸を長くしていく。
一度、測ったことがあるが5分間で6回呼吸ぐらいになっているようだ。
そうして呼吸を忘れる。身体に勝手にやってもらうのだ。
呼吸をしている体の感覚が薄くなっていくにつれて、心拍が意識に上ってくる。
私は身体ではない ので、気にせずにいる。

呼吸を忘れ、心拍も気にしないと、若干の恐怖感を覚えることがある。
本当に身体を忘れてしまうんじゃないか。と思うことがある。
しかし、マインドも私ではない。

大抵その後、キーンという耳鳴りか、目の前がチカチカしたりする。
五感の変化があっても、私は身体でもマインドでもない。
自然と起きることに、気付き見送っていく。

どれくらい時間がたったのか、その身体とマインドの変化を繰り返したのか、感覚として分からなかった。

そんな、瞑想をしたことがある。
まさに「ただ気付いている」という表現だった。

そのへんから、探っていくのかもしれない。
過去の体験に囚われるべきではないが・・・

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