【シリーズ第26回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
救急車で運びこまれた私は、約4時間かけて、問診、尿検査、レントゲン検査を終え、午前9時に帰宅許可が出た。
「骨に異常がないから大丈夫!」
なんだそうだ。
砕けたことはないけれど、足を一歩前に踏み出すだけで、全身の骨が砕けそう。
ホントに大丈夫なの???
けれども、ナースにも薬局のお姉さんにも、
「さようならっ!」
と元気いっぱい別れを告げられたら、立ち去るしかない。
ところが、私の車がどこにあるのか、私自身がどこにいるのかすらわからない。
キャブを呼ぶ?
できないことはない。
けれども、場所もわからないし、呼んだこともないし、この痛みだ。
できれば、新しいことにはチャレンジしたくない。
結局のところ、運命の彼に頼るしかない。
実は、彼は救急車の後について、一緒に病院まで来てくれた。
けれども待つこと以外、彼にできることは何もない。
「ありがとう。帰って寝てくれていいよー」
と言って、帰ってもらったのだ。
”寝てください”と言っておきながら、叩き起こすのもどうかと思うが、帰り方がわからないのだから、仕方がない。
何回かコールして出なければ、その時はキャブを呼ぶことにしよう。
電話をすると・・・
すぐに出てくれた!!
我々がいかなる関係かはわからないが、寝ずに待っていてくれたことに、驚きと感動を覚えた。
「今から行く」
私は知らないけれど、彼は私の居場所を知っている。
今回は探さなくていいので、彼は15分程度で到着した。
彼の手を借りて、助手席に乗る。
痛ーーーーーーーーーーーーーーーいっ!!!
車に乗るやいなや、彼が言った。
「お前の車はぐしゃぐしゃや」
ひゃ~~~~っ!!!
体の痛みよりイターーーーーーイ!!
アパートに着いてからのことは、ほとんど覚えていない。
相変わらず、エアコンも扇風機もなかったけれど、目が覚めると激痛に襲われ、薬を飲み、薬を飲むと、眠りに落ちた。
彼は1日に一度、ぶどうやアイスクリームなど、すぐに食べられる食品を持ってきてくれた。
えらいもので、ナースが、
「大丈夫!」
と言っただけのことはある。
1週間後、近所の病院へ行く頃には、痛みは残っているけれど、スイスイ歩けるようになっていた。
病院の帰り、彼に電気屋へ連行された。
エアコンを購入するためだ。
これまでは薬で気絶していたけれど、正気になったら、眠れる環境ではない。
とはいえ、私の性格からして、自分で設置できないとわかれば、秋の到来を心待ちに、扇風機だけで夏を過ごしただろう。
彼に言われるがまま、一番安い、窓にはめ込むタイプのエアコンを購入した。
⇩ こんな感じ。
窓にはめこむのはいいけれど、私の部屋は4階だ。
そしてエアコン本体はとっても重い。
設置時に、窓から落としたら大変なことになる。
オートバイの二人乗りをする時のように、私が彼の腰に腕を回し、全体重を後ろにかけ、彼の重心が部屋側にある状態で作業をした。
彼のおかげで、無事、部屋にエアコンが設置された。
これで、シカゴの暑い夏を快適に過ごせる準備ができた!
首の可動域は狭いとはいえ、痛みも軽減し、健康な人間に近い動きができるようになった!
よっしゃーーーっ!!
復活だーーーっ!!
と、思った頃に、病院から請求書が届いた。
封を開けると・・・
嘘ーーーーーーーーーーっ?!?!?!?!
と叫びたくなるような数字が並んでいた。
うーーーーーーー・・・・・・・・
ひとつだけ明らかなことがある。
私に払える金額ではないっ!!
払えないわけではないが、払うことにより、アメリカに住みつくプランが頓挫するかもしれなーーーーいっ!!!
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートで、本を読みまくり、新たな情報を発信していきまーす!