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【第4話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓ 

 きのこ屋敷から脱出するために、私は就職を決意した。
 
 とはいえ、私のスキルは”根性”のみ、できることは限られている。
 まず、日本の派遣会社に登録すると同時に、シアトル中のグロッスリーストア、日本でいうスーパーマーケットに履歴書をばら撒いた。
 グロッスリーストアを選んだ理由は、私にもできそうだったからだ。
 オフィスビルの中にある職場は、中で何が行われているのか想像もつかない。
 その点、グロッスリーストアなら、毎日行く場所なので、仕事内容もイメージできる。 
 英語も、食品やら日用品の単語ならどうにかなりそうだ。
 そして肉体労働には自信がある。

 数日後、派遣会社から面接の連絡があった。
 場所はダウンタウンで、日本製の健康グッズを販売する店だった。
 健康グッズといっても、効果もお値段も高く、マリナーズやシーホークスの選手も購入に訪れるらしい。
 深呼吸をして、ガラス張りの美しい店内に入る。
 店内に客はおらず、カウンターに30歳代半ばと思われる女性従業員がいた。
 ・・・ジャージだ。
 いや、ジャージでも構わない。
 けれども、10年以上前にフィットネスクラブの従業員が着ていたユニフォームの払い下げみたい。
 これはあまり着たくない。
 女性に、面接に来た旨を伝えた。
 電話中のマネージャーを待っている間、店内を歩いていると、ジャージの彼女が近付いて来て、そのグッズの効果を説明してくれた。

 結果を申し上げると、私はかなりの好条件で面接に合格したにも関わらず、辞退した。
 ジャージはともかく、その女性と話していると、新興宗教に勧誘されているような気分になった。
 もちろん彼女は悪くない。
 自信を持って、会社の商品を説明する彼女は、素晴らしいセールスウーマンだ。
 
 「新興宗教みたいで怖かったのでお断りします」
 
 派遣会社の担当者に言うと、絶句した。
 正しいリアクションだ。
 大人として、もう少し違う断り方があったと、後になって思う。

 派遣会社が他の仕事を紹介してくれるとは思えない。
 どうしようかな・・・と思っていると、グロッスリーストアの人事担当者から、留守番電話にメッセージが入っていた。
 メッセージを聞いて、大変な問題に気が付いた。

 何を言っているのかわからない!

 シアトルの、白人の英語だ!
 センテンスの切れ目が見つからない!

⇩⇩⇩シアトルの人の英語のお話⇩⇩⇩

 私はこのメッセージを繰り返し、何度も聞いて、ようやく電話の相手の名前がマイケルで、折り返し電話が欲しいと言っていることを理解した。
 果たして、マイケルと会話が成立するのか?
 勇気を振り絞って電話をした。

 まずは電話での審査だ。

 「パッタイの作り方知ってる?」

 パッタイは、ポピュラーなタイ料理だ。
 米の麺で作った焼きそばみたいなもので、私も大好きだ。
 タイ料理を食べに行くと、必ず注文するけれど、作ったことは一度もない。
 作ろうと思ったことすらない。

 「知りません」

 「じゃ、カツオダシの取り方は知ってる?」

 「知ってます。まず湯を沸かして・・・・」

 悪戦苦闘、必死で説明した。
 マイケルは理解できなかったと、自信を持って言える。
 けれども、余程人材が足りないのか、彼が異常に優しいのか、英語と奮闘する日本人を生で見たかったのか、

 「じゃ、明日の午前中に面接に来て」

 と言われた。

 この店はワシントン州に5店舗、そのうちの3店舗にアジア系食品を販売する部門がある。
 私が応募したのは、家から車で10分の場所にある店舗の、アジア食品部門だ。
 ヒョロリと背が高く、見るからにユダヤ系の顔をしたマイケルとの面接がスタートした。

 「お客さんに、”ピーナッツバターどこ?”て聞かれたらどうする?
 場所を知ってるつもりで説明して」

 「えー・・・そこを右に曲がって、・・・その次を左に行って・・・」

 「うちの店では、お客さんを商品のある場所まで案内するねん」

 「あはは!それならできます!」

 「豆腐について説明して」

 「う~・・・豆腐は大豆が原料で・・・」

 他にもいっぱい質問されたけれど、ほとんど記憶にない。
 唯一、覚えているのは、

 「君、俺の質問に、一度もまともに答えてないで」

 と面接の最後に言われて、二人で大笑いしたことだ。

真実を告げるマイケルが好きです

 間違いなくダメだとわかったので、清々しい気持ちで帰宅した。
 ところが、1時間もしないうちに、マイケルから電話がかかってきた。

 「明日、もう1回面接に来てくれる?」

 おかしな趣味でもあるのかと思った。

 結局、私はこの会社の面接を4回受けた。
 最初の2回はマイケルと、3回目はアジア食品部門のマネージャーのミッチも加わった。
 最後は、ストアディレクターのジョーも入り、3人の男から色々質問された。
 この人たちは、英語の話せない日本人を見たいだけじゃないの?と思えてくる。
 とはいえ、電話を入れると5回も英語で奮闘し、心臓をバクバクさせながら面接に立ち向かった。
 珍獣扱いされてもいいから受かりたい。

 「あなたをアピールしてみて」

 「休憩以外の時間はめいっぱい働きます!マルチタスクで、たいがいのことはできます!知らないことでも、すぐに覚えます!絶対に会社に損はさせません!」

 カタコトの英語で訴えた。
 3人は楽しそうな顔で、私の話を聞いていた。
 最後に、ストアディレクターがにっこり笑って質問した。
 
 「ここで仕事することになったとして、あなたのチャレンジはなに?」

 「英語です!」

 「・・・他にないの?」

 「ありません!他はどうにかします!私のチャレンジは英語のみ!」

 その結果は・・・

 合格!🎉🎉🎉

 後日、合格の理由を、マイケルが教えてくれた。

 「君やったら、英語が話せなくても、客を怒らせへんと思って」

 なるほど・・・確かに、それ以外で受かる要素はない。
 何度も面接のチャンスを与えて採用してくれたマイケルには、心から感謝している。 

 2010年3月末、渡米6年目、私はアメリカで社会人デヴューを果たした。

 一生懸命働きまーす!💪

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!