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【シリーズ第80回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

 2008年8月7日、我々は同居人から夫婦にステップアップした。
 結婚が正解かどうかはわからないけれど、細かいことは考えず、ここはひとつ、この男を幸せにして、私も幸せになるぞー💪

 結婚の次はグリーンカード(永住権)の取得だ。
 グリーンカードの取得により、私は合法的にアメリカで暮らし、働く権利を獲得する。
 グリーンカードの手続きは煩雑で、申請には、英語で書かれた大量の書類と奮闘しなければならないと聞いていたので、私は、この手続きを専門家に丸投げすると決めていた。
 合衆国を信用していないダンナは、法的機関、法的手続きと聞くだけで機嫌が悪くなる。
 彼の不機嫌な顔にドキドキしながら、大量の書類と奮闘するくらいなら、その時間を労働に当て、弁護士費用を稼ぐ方が合理的で健康的だ。
 友達に紹介してもらった韓国人の弁護士に、8百ドルで代行してもらうことにした。

 グリーンカードで問題になるのは偽装結婚だ。
 イミグレーション(移民局)は、結婚が本物であることを確認するために、数々の証拠を提出させ、インタヴューを行う。

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 私の身近にも、偽装結婚をした人が2人いる。
 ひとりはモンゴル人、もうひとりはロシア人だ。
 ”偽装結婚代”は3千ドルが相場らしい。
 結婚をし、グリーンカードを手に入れても、最初の2年間は条件付き(期限付き)だ。
 最低でも婚姻関係を2年間継続しなければ、”真の結婚”と認められない。
 ロシア人の彼女は、同郷のボーイフレンドもいたけれど、その2年間は別居し、”結婚相手”と暮らしていた。

 「ゆみこ!なんで結婚しないの?バカじゃない?」

 20歳の彼女に言われた。
 母国に帰らないつもりでアメリカに来ている彼らの覚悟には、いつも感心させられる。

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  さて、弁護士に丸投げしたものの、インフォメーションや証拠書類は、私たちが提供しなければならない。
 まずは、この結婚が真実であることを証明しなければならない。
 ところが・・・

 これまで一度も一緒に写真を撮ったことがなーい!

 シカゴのアパートの契約書や請求書は、全部私の名義だー!
 
 彼の存在をにおわす物がひとつもないぞー!

 困ったところで、今さらどうすることもできない。
 現在、共に暮らしていることを証明するしかない。
 セルフィーでガンガン写真を撮る。
 私の顔が手前で、その背後に小さく彼がいる写真ばかりになった。

証拠写真をせっせと撮ります

 その他の書類も、できる限り彼に頼らず集めた。
 けれども、彼の出生証明書や、亡くなった奥さんの死亡証明書は、彼にしか取り寄せることができない。

 「グリーンカードの申請に必要やから、取り寄せてくれる?」
 「なんでそんなもん渡さなあかんねん!そんなん必要ない!俺はその弁護士を信用せん!」

 ・・・きっぱり。
 大切な個人情報を、見知らぬ弁護士に渡したくない気持ちはわかる。
 誰に頼んでも必要であることを説明すると、怖い顔をしながら、シカゴ市役所に電話をしてくれた。
 
 ところが!!

 シカゴ市から送られてきた、彼の前妻の死亡証明書は、アカの他人のものだった。
 年齢も死因もまったく違う。
 よく見れば性別も男だ。
 この国のすることは信用できないとはいえ、これは重要な個人情報だ。
 このようなミステイクが頻繁に起こるとは思えない。
 しかし、私には起こった。
 彼にもう一度お願いすることが、どれほど恐ろしいことか、シカゴ市は知っているのだろうか?

 「過去を思い出すようなことを何度も聞くな!頼むんやったら一度に頼めー!」

 シカゴ市のミステイクのせいで、またもや怒鳴られた。

 さらに弁護士から、彼の所得だけでは、最低基準に達していないので、保証人が必要だと連絡があった。
 合衆国に経済的な迷惑をかけないことを証明するために、彼の昨年1年間の所得や、現在の失業保険の給付金を示す書類をかき集め、提出したけれど、その合計額が十分ではないらしい。

 ・・・また困った。

 世間の人には親や兄弟、親戚がいるかもしれない。
 けれども、私の知っている限り、彼の身内は、シアトルで暮らすティーンの息子だけだ。
 最初の息子が亡くなってから、彼はシカゴのサウスサイドをひとりで去ったので、親戚とも20年以上連絡を取っていない。
 迷惑をかけるつもりはないとはいえ、保証人となると、頼める相手は限られている。
 ダメもとで、息子のママに打診してもらった。
 驚いたことに、彼女は快く引き受けてくれた。
 さっそく書類を持って行った。
 ところが、待てど暮らせど連絡がない。
 いよいよ提出期限も近付いてきたので、確認の電話をした。
 すると・・・

 「ひとりで息子を育てているのに、あなたの面倒まで見れないわよ!」

 ヒステリックに30分以上怒鳴り散らされた。
 英語があまりわからなくて良かった。
 最初からムリだと思っていたことだ。
 彼女の言うことは当然だし、断られることに関して文句はない。
 ただ、早く言って欲しかった。
 期限のあることだし、他の方法を考えなければならない。
 
 申請には千ドル以上、弁護士費用も入れると2千ドル近くかかっているので、ここでくじけるわけにはいかない。

 夫婦二人三脚で乗り越えるぞー!

 とはならない。
 なぜなら、私は彼に相談ひとつせず、申請を開始したからだ。
 ひとりの生活が長く、自分ひとりで色々やりすぎたのだろうか?
 申請前に相談するべきという認識すらなかった。
 個人情報を要求してくる弁護士に対し、不信感を抱いていることも事実だ。
 けれども、相談なく、色々なことを進める私にも、彼は腹を立てていたに違いない。
 グリーンカードの話はもちろん、普通の会話もまともにできない。

 新婚早々、爆発寸前だー!💣💣💣

 このままじゃ、お互いのことを嫌いになってしまう!
 ガラスのダイニングテーブルの裏側、私が座る前に、

 「泣くな!怒るな!傷付くな!」
 「同じ生き物だと思うな!」
 「期待するな!」

 日本語で書いたものを張り付けた。
 彼に怒りを感じたときはそこに座り、この男は違う生き物なんだと自分に言い聞かせた。
 彼には申し訳ないけれど、とっても役立った。
 
 テーブルの文字を見ながら色々考えていると、やっぱり、やるしかないという結論に達する。
 まず、この時の私には、日本に帰るというチョイスがなかった。
 共同作業であるべきことが、そうはならない原因は私にある。
 そして、あれこれ考えているうちに、今起こっていることは、過去の行いに対する報いだなぁと思えてきた。

 4年前の冬、私はぜーんぶ放り出して、渡米した。

 結婚したいと思ったこともない(したことはあるけれど)、興味のある仕事もない、やりたいことは音楽を聞くことのみ。
 すでにダメダメなんだけれど、このままではもっとダメになる。
 他にも色々な問題が重なり、

 「えーいっ!」

 大切な幼馴染にも、何も告げずに飛び出した。
 永住する気満々なのに、家族には、

 「5年間勉強して、キャリアをつけて帰ってきます!」

 といって日本を脱出した。
  
 これは不義理をした天罰だー!

 天罰だと受け入れることはできたけれど、孤独だった。
 彼も、息子のママも、私に怒りを抱いている。
 気分転換をしたくても、ブルースもキングストン・マインズもない。
 大好きなシカゴのダウンタウン、お気に入りのカフェもない。
 しかも、愛し続けているシカゴ市は、今や私の敵と化した。

 味方はどこじゃー!

 それでも病気にもならず、この状況を乗り越えられたのは、3件のベビーシッター先の子供たちのおかげだ。
 乳児のケイダンは、抱きしめているだけで幸せを感じた。
 ダウン症のミアちゃんの笑顔には、本当に救われた。
 彼女は毎日、私の到着を窓に張り付いて待っていてくれた。
 私の車が家の前に停まると、大喜びしてくれる。

 「きゃー!ゆみこー!楽しいー!」

 彼女は私のエンジェルだ。

エンジェルみあちゃんには救われました

 マイケルとアレックスと過ごす時間も楽しかった。

 「ゆみこさん、ウルトラマンとラゴンとどっちが好き?」

 彼らは真剣に聞いてくる。
 彼らといると、男と女は、生まれたときから完全に違う生き物なんだなぁとつくづく思う。
 ダンナが私のことを、私が彼のことを理解できなくても仕方がない。
 
 さて、グリーンカードにまつわるトラブルを、これ以上書いても面白くないので、結果だけ申し上げる。

 第一回目の申請は却下!!

 原因は、弁護士を途中解雇したからだ。
 チリ人ミュージシャンで、グリーンカード申請経験のあるフィリペと仲良くなったダンナは、所得不足で保証人が必要だという話をした。
 それを聞いたフィリペ夫妻は、

 「保証人なんか必要ないよ。
 その弁護士は信用できないから解雇した方がええよ」

 と彼に助言した。
 早速、夫妻宅から電話がかかってきた。
 ダンナに代わり、奥様のケイティが説明してくれた。
 けれども、ずっとひとりでがんばってきたので、否定されているようにしか聞こえない。
 ・・・なんで1対3なんだ?
 孤独しか感じない。
 通常、私は知らない人に対してもナイスだけれど、この時ばかりは、

 「(お前ら誰だ?)」

 心の底から思った。
 とはいえ、ダンナもフィリペ夫妻も、私を助けようとしている。
 我々夫婦の関係も最悪だし、意地を張っても、良い方向に進むとは思えない。
 弁護士を解雇した。
 結果、イミグレーションからの連絡が滞り、期限が切れた。
 申請は却下、私は2千ドルを失った。

 ・・・・・・・・・・・・・・これは天罰じゃなーーーい!!!

 使ったことのないFワードをふんだんに使い、怒り狂った。

 二度目の申請は、弁護士を雇わず、自分でした。
 手続きを完全に把握していたので、大量の書類も、全部ひとりでやっつけた。
 壊れた私を見たからか、2千ドルを失ったことを知ったからか、彼も協力的だった。
 彼の傷害手当金もタイミングよく支払われて、所得もクリアした。
 申請を2回もしたので、イミグレーションのガードマンとも仲良くなり、建物に入る際も、ホイホイ入れてもらえた。
 すべてのことがとんとん拍子に進み、申請から3か月でグリーンカードを取得した。

 送られてきたグリーンカードを手に、ご満悦の私にダンナが言った。

 「シアトルやからこんなにスムーズにグリーンカードが取れてんで。
 シカゴやったら、黒人とアジア人の結婚やったら疑われて、もっと難しかったはずやで」

 どこがスムーズやねんーーー!

 と思ったけれど、その顔を見ると、どうやら本気のようだ。
 すべての言動は、これまでの人生に裏打ちされている。
 シカゴのサウスサイドで、黒人として生き抜いてきた彼の人生を思う。

 「そうやねー・・・そうかもしれんよね」

 夫婦でいるって大変だ。

 2009年夏、グリーンカードを取得した!🎊🎊🎊
 


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