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【シリーズ第79回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

 ある日の夕方、床に落ちているペットボトルを拾おうとしたら、グキッときた。
 初ぎっくり腰。
 床に倒れたまま起き上がれない。

 そして、腰がくだけたと同時に、私の忍耐も砕け散った。

 この街に足を踏み入れた瞬間から違和感があり、その違和感は、暮らせば暮らすほど増していた。

 限界だった。

 娯楽といえば散歩のみ。
 何度かクラブに足を運んでみたけれど、シカゴやニューオーリンズのクラブを知っているだけに、どこへ行っても楽しくない。

 「音楽が生活にとけこんだ町で暮らしたい!」

 という理由だけで、すべてを放り出してアメリカに来た私は、完全に目標を失った。

 私にとってシアトルへの引っ越しは、広~い太平洋の真ん中から、金魚鉢に放り込まれた感じだった。
 今まで、鮫に食われそうになりながら、大海で刺激的な毎日を送っていたのに、突然、金魚鉢だ。
 塩水から淡水へ、シアトルの水がまったく合わない。 

 学校へ通うことにもすっかり飽きていた。
 例え、ESLを終えたとしても、学びたい学部は見つからない。
 そろそろ社会人に戻りたかった。

 同居人との関係も、喧嘩をしてる時の方が多くなってきた。
 シカゴが好きだと言えば、機嫌が悪くなるだけで、理解には至らない。
 ヴィザは維持しなければならないけれど、今や、なんのために維持しているのかもわからない。

 音楽以外の目的がなかったのだから、好きな音楽が聞けない町に住んでいて、楽しいわけがない。
 しかも、私の大好きなベーシストは、シアトルに来てからギターを触ることもなくなってしまった。 
 悲しい・・・悲しい・・・毎日悲しかった。
 この状況に加え、プチ鬱、シカゴシック、更年期障害がプラスされ、私の心の中は、悲しみと怒りでいっぱいだ。

 けれども理解は得られない。
 部屋の隅でどんよりしていれば、同居人も、私の心の異変に気付いたと思うけれど、私は朝から晩まで活動し続ける。
 シアトルが好きな彼は、シアトルが嫌いな私も、シカゴが好きな私も、不機嫌な私も理解できなかった。
 そして、彼も不機嫌になった。
 彼が悪いわけではない。
 けれども、私が悪いわけでもない。
 
 ホルモンが悪いのだ!
 
 同居人の幸せを心から喜んでいるにも関わらず、ホルモンは、私の心を怒りで支配した。

 さて、ぎっくり腰になったこの日、私は、自分が40歳に近付きつつあることを知った。

 怒りと悲しみに支配されたまま、これ以上、こんな場所に居続けることはできない!!

 私には2つの選択があった。
 ひとつは大好きなシカゴに戻り、安い学校へ通い、アルバイトをしながらヴィザを維持する。
 もうひとつは、彼に結婚していただき、学生生活にピリオドを打つ。
 シアトルから脱出はできないけれど、あやふやなポジションから、社会人に前進できる。

 彼はシカゴを出る前に、

 「シアトルが嫌いやったらシカゴに帰ったらええし、シアトルでどうしてもビザが維持できへんかったら結婚したらええやん。
 結婚がうまくいかんかったら、それはそれでしゃーない。
 お前が日本に帰らんでええようにだけはするから」

 と言ったのだ。
 そして私は、その言葉をそのまんま素直に受け止めていた。

 「これ以上、シアトルで学生は続けられへんねんけど、結婚する気ある? 
 したくなかったら、私はシカゴに帰る。
 ビザが切れるまでに決めてくれる?」

 単刀直入に聞いた。

 「結婚なんて大切なこと、そんな簡単に決められると思っとんか!」

 そんなことはわかっている。

 現時点の問題は結婚ではなく、私がアメリカで暮らし続けられるかどうかなのだ!

 毎日、喧嘩ばかりしていたので、シカゴを発つ前の、大らかな気持ちは失われてしまったらしい。
 その後は、相談しようとしても、怒鳴られるばかりだ。
 話が一向に進まないまま、私のビザの有効期限が切れる日が迫って来た。

 彼も迷っていたと思うけれど、実は私も迷っていた。
 彼を残してシカゴに帰るのは正しいのか?
 ヴィザのためだけに結婚することが正しいのか?
 シカゴに帰っても、進展ではなく後退になることは確かだ。
 ビザは維持できても、遠くない将来、学生を終えなければならないはずだ。

 とはいえ、私の心は90%シカゴに傾いていた。

 これは私の人生だ!

 無意識だけれど、私は同居人に、

 「結婚しない」

 と言ってもらって、シカゴに帰りたかったのだと思う。
 彼の選択でシカゴに帰ることになれば、彼をシアトルに残していく罪悪感から逃れられる。
 
 そして、そんなズルいことを考えていた私を、神様はちゃんと見ていた。 
 ある朝、シャワーから出てきた彼が、晴れやかな顔で言った。

 「今からマリッジライセンス(結婚許可証)もらいに行くで」

 アメリカでは、まず年齢や出身地などの個人情報を提供して、マリッジライセンスをもらわなければ結婚式をあげられない。

 ・・・どうしよう・・・結婚したらシカゴに帰れない・・・。

 決断できないまま、とりあえずライセンスを取りに行った。
 個人情報を記載していく際に、担当の女性に婚姻歴を聞かれた。

 「1回」

 と言うと、

 「えっ!結婚したことあるん?」

 と彼が仰天した。

 「知らんかったん?」
 「うん。知らんかった」

 この会話を聞いて、女性が不思議そうな顔をした。
 次に、女性は彼にも同じ質問をした。
 彼に結婚歴があることは知っている。
  
 「俺、離婚してないと思うねんけど・・・」
 
 ・・・それは知らなかった。

 「まだ結婚したままなん?」
 「そうやねん」
 
 担当の女性は言葉を失っている。
 
 彼が結婚した相手は、亡くなった息子のママだ。
 息子が亡くなり、数年後に彼女も亡くなった。 
 亡くなる前から、遠く離れた関係だったので、離婚をすることすら思いつかなかったのかもしれない。
 奥さんが亡くなってから10年以上が経っていたので、離婚の手続きなしで、私たちのライセンスはもらえることになった。

 ライセンス取得のやりとりがおもしろかったせいか、結婚する気になってきた。
 翌日、我々は結婚するために、裁判所へ乗り込んだ。
 担当の裁判官が、黒いマントを着ながら奥の扉から出てきた。

 「あんたら二人なん?証人はおらんの?」
 「いません」
 「ちょっと待っといて。証人連れてくるわ」

 もう一度、扉の奥に戻った裁判官が、今度は裁判官の奥様と、廊下で掃除をしていたおばさんを連れて戻って来た。
 我々の結婚の証人だ。

 こうして、私たちの結婚式が始まった。
 同居人が、裁判官が読み上げる誓いの言葉を繰り返す。

 「・・・幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います・・・」

 次は私の番だ。
 ところが、突然決まった結婚だったので、予習ができていなかった。
 しかも、裁判官はシアトル人だ。
 彼のスムースな英語は、全然聞き取れない(シリーズ第78回参照)。

 「・・・幸せな時も・・・困難な時も・・・」

 彼に教えてもらいながらなんとか乗り切った。
 
 次は、指輪の交換だ。
 ふたりで顏を見合わせた。

 「あんたら指輪ないの?」

 裁判官が微妙に笑っている。
 たまたま二人ともファッションリングをはめていた。
 互いのリングをはずして渡し、もう一度、互いの指にはめた。

 最後に誓いのキスだ。
 ・・・感動して涙が出てきた。
 ちょっぴり幸せを感じた。

 2008年8月7日、我々は夫婦になった🎊

楽しい結婚

 帰宅すると彼は、ベランダに出て、やめていたタバコを吸っていた。

 わかる!
 二人とも、結婚がしたくて結婚したわけではない。
 その気持ち、よーくわかるよー!

 それでも、結婚しちゃったもんは仕方がない。
 彼も私も、自分の意思で結婚を決断した。
 覚悟を決めて夫婦になるしかない。
 たそがれてタバコを吸っている彼が、ちょっぴり気の毒であり、ちょっぴりおもしろかった。

 ダンナよ!これからよろしくお願いしまーす!


最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!