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溶けていく夏休み

ありがちな大学生の話を書こうと思う。私は1年間仮面浪人をし、失敗残留した。大学生活が始まった時、コロナが猛威をふるい2年間在宅になるという悲しい運命の世代だ。

コロナ禍で半分以上溶けていった大学生活を4年の今、回顧してみる。

大学1年

浪人で失敗した私は普通にめっちゃ鬱になり、ほぼ引きこもり状態で、浪人期に溜まったフラストレーションを発散するあてもなくこの先の人生に絶望していた。私の友人らはほぼいわゆるいい大学や自分の第一志望に入っていき、現役でそのまま行った子達も仲良しグループを作っていた。私は自分が恥ずかしくて情けなくて、誰にも何も言わず、とにかく一人部屋でゲームをしまくった。

大学の授業が始まったのは6月のことだったと思う。それまでの2ヶ月間、この先の人生をいわゆる勝ち組にして金を稼ぐために何が必要か、また自分の進路が大きく変わってしまったので(理系から文系になってしまった)全て考え直しとなった。理系の時と周りの人間も全て違うので、対人関係から何から全部一からやり直しとなり、ものすごいストレスの中必死に「浮かない」ことを目標に生きていた。

文系に来てみると意外と真面目な人もコミュ障もいることに気づき、正直よくそれで文系こようと思ったななんて思った。そんな中、現在の予定進路を選択し、GPAと自分の経歴に全振りする人生を選択することにした私は朝7時から23時までフルスロットルで働く人生を送った。大学の講義は全出席、試験対策も欠かさず、語学学校の成績も1位、進路を考え直すためバイトは片っ端から試した。自分がストレスを受けやすいもの、絶対譲れないことなどを洗いざらい分析し、バイト(講師業)でも無事実績を上げた。

そんなフルスロット人生で、私は自分の視野の狭さと世界の中央値の低さに驚いた。私は私立中高一貫、偏差値そこそこ以上の世界しか知らない。だから、本当にこんな人いるんだみたいな人をたくさん見た。いい年して恥ずかしい大人や、本当に初歩で躓いてしまう子供、よくこれで世界が回っているなと驚いたのを覚えている。そして、その経験からこの人たちがいる世界に自分は共存していかなければならないという現実を身にしみて実感した。

そんなフルスロットで頑張った私は大学1年の冬、長期留学が白紙になった。渡航の1週間前だった。

大学2年

出発直前に長期留学のなくなった私はこの状況をどうしようと思ったし、こんなにもあっけなく自分のキャリアというものは崩れてしまうのかと思った。これは私の価値観を変え、自分の無視していた本心に気付いた。私はシングルマザー家庭で、ご飯もずっと一人で食べていた。経済的余裕が少しあったのでお手伝いさんがいたが、家族とご飯を食べたことは多くはない。家族とゲームをしたこともほぼない。大学2年の春、私は自分が寂しかったということに初めて正面から気付かされた。

「コロナ禍で真面目な人でもマッチングアプリ利用が増加!」

こんな文言を見た私はどうにでもなれと思い、アプリを始め、ついでに中国語学習も始めた。サークルも入った。

マッチングアプリ編

私は恋愛は時間の無駄と思っているタイプだった。そもそも興味がないし、人と頻繁に会うこと自体好きではない。ラインもしないタイプだ。(友達がいないだけだろって言うな)だから、興味本位で始めたマッチングアプリで付き合う気もさらさらなく、完全に面白みで始めた。

当時の私は20歳、いいね数はうなぎのぼり。あっという間に1000を超えた。プロフィールなんて選択式の文章を適当に押して顔文字を消しただけのシンプルイズベストみたいなものだったが、20歳女子大生のブランドは強い。正直感動した。

暇つぶしに適当に真面目そうな人1−2人と同じ大学生だけいいねを返して、それ以外はプロフ見ながら人間観察をしていた。世の中には色々な人がいるんだなと思った。そして、20代男のラーメン・野球・お笑い・焼肉好きは遺伝子に組み込まれてるのかと思った。あとスイーツ好き男子の女ウケ狙い感、なんで彼らマッシュなんだろうな。

サークル編

インカレと自大学のものの新歓に参加した。某大学のインカレの抽選に落ちまくり、女子大に変えて申請してやろうかと思ったのを今でも根に持っている。(3ヶ月以上落ちまくった。顔写真すら送ってもないのが余計ムカつく)自大学のサークルに入ったが、ここで初めてとにかく彼女が欲しい男子大学生というものを目にした。片っ端から女に声をかけていた。全然面白くない男ノリ、「きっつ〜」と思っていたらその人のせいで女子の大半がやめ、私もそのまま消えた。

インカレは企画が奇跡的なくらい面白くなかったのだが、意識高い系ということもあり、人脈欲しさにしばらくいた。しかし、サークルの内輪ノリダダ滑りに耐えきれなくなり、こちらも消えた。普通に仲良くなりたかった人もいたが、インカレだからか会うこともなくそのままなくなってしまうことばかりだった。そんな感じでサークル運に恵まれなかった私は YouTubeでサークルあるあるを見て大学生心を満たしている。

中国語編

大学の2外は選択式だった。人と話す機会が欲しい私はスペイン語が舌が回らないという理由で中国語を選んだが、ものすごい履修者数で全然友達はできず、2年ということで浮いたまま授業をとった。しかし、普通に学んでみると先生がフレンドリーで面白く、完全に英会話教室のノリだった。

その後、中国の大学のオンライン留学に参加した。ここで私は初めて語学を学ぶのが自分は少し得意なのかもしれないと思った。簡単なものだったが、中国語の試験はリスニング満点で合格し、フル中国語で説明されるのも問題なくついていった。これが自分の向いているものの見極め方かと思った。

体調不良編

大2の夏から、どんどん体の不調がではじめた。最初は夏バテだと思ったが、明らかにおかしい。どんどん寝付けなくなり、テレビも本も音楽も全て受け付けなくなった。全力疾走しすぎて、体を壊したのである。トイレに行くのも厳しくなった大2の冬、私は死ぬ思いで期末レポートを書き、フル単だった。

大学3年

唐突に対面授業になった。一人暮らしを始めるため、極狭のアパートを借り、引っ越した。引越し直後1ヶ月ものすごい体調不良に悩まされ、自分の体が悲鳴を上げていることに気づきながら、とにかく大学に行った。週6の通学はあまりにも多かった。そして、とうとう病状が悪化し、夏にはほぼ動けなくなり病院に行った。鬱がひどいと言われた。神様に憎まれているんだと思った私は、休むことができないので睡眠導入剤をもらい、ひたすら強制的に寝た。

冬くらいになると本は読めるようになってきたので1日何時間も読書をした。それでも、その状態は長くは続かない。ダメな日は電車に乗るのも厳しいのでフードをかぶってノイキャンイヤホンをして爆音でロック音楽を流しながら下界をシャットアウトして通学した。「正確に降りる、乗る」だけが目標となり、よくこの状態で大学行ったねと言われた。みんなはそんなことないらしいのが羨ましく、自分が情けなかった。

自分がアクティブに何かをやることは厳しく、好んでいた哲学や文学のこ難しめな本は読めないので簡単な芸能人が書いたエッセイを読み漁った。旅行記や体験記、それらに救われ、冬には調子がいい日は音楽が聞けるようになった。そんな矢先、元気な私が申請していた留学先を間違えていたことに気づき、また人生に絶望した。もう二度とアクティブにはやらないし、フルスロットで生きないと誓った。

大学4年

諸手続きが済んでいるので留学に行くしかない私は渡航し、また体調を壊した。当たり前である。いける状態じゃないのだ。大量に薬を持っていき、なんとか「死なない」を目標に留学に来た。しかし、体調不良で昨年1年くらい勉強できていない韓国語をいきなり話せと言われても、身も心も追いつかなかった。

しかし、とにかく勉強はしようと思ってやってきたが、衝撃だった。全然話せる人いないのである。アルファベット覚えてきたの、とかそういう人が多く、かといって彼らは満足に英語も話せないので、私はもう助け役に回ることにした。

韓国の大学側の問題点

実は知られていないかもしれないが、韓国は英語圏の留学に行けなかった人が多くくる。英語の必要スコアが低い大学が多くあり、韓国語の資格はなくても申請できるのである。加えて、韓国語で大学の講義を聞ける留学生の授業はない。(私が留学を予定していたところと私が今いるところは少なくとも現地学生に混ざって自力で聞くしかない)だから、韓国に来ても日常会話のその先はライオンの子供のように崖から這い上がるしか方法がないのだ。
韓国語の授業も先生の運次第の側面がものすごく大きい。これはいわゆる語学堂にも共通することだ。また、世界中から生徒が集まるためいわゆる日本的な文法にフォーカスした授業を展開するわけにもいかず、生徒のレベル分けも語学学校ほど容赦無くわけないので全く話せない生徒が一番上のクラスに出していたりする。レポートの書き方などのアカデミックなものは留学生にはなく、正規留学(外国人として入学することみたいな感じです)の人向けにしかない。それも案内はこないので自力で探すしかないのだ。

韓国語をどのくらいできるようになりたいかによって必要となるレベルは様々だが、いわゆる仕事で使いたい人たちは日本で韓国人から学ぶ方が断然いいと思う。人生経験としてはいいが、発音が安定しない時期に来ると、外国人の発音に引っ張られ、ものすごく発音が悪くなることもありうる。それを矯正するのは至難の業だ。

おわりに

最後が少し語学勉強っぽくなってしまったが、大学生活は波瀾万丈であった。笑えないくらい。人生の夏休みにしては濃すぎる。私の人生はこの先どうなるのか、そんなことを暑さで溶ける脳でぼんやり考えていた。


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