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「どうする家康」第40回「天下人家康」 家康を天下人へと導く秀吉の負の遺産たち

はじめに

 今回は、合議制と三成に託したい思いと、実力者による天下一統しかない現実感覚との間に揺れる家康の葛藤が描かれました。そして、それゆえのどういう事態にも対応できるような家康の二枚舌の言動は、結局、三成の不審を確信に変え、取り返しのつかない決裂を生むことになります。

 一方でこの決裂は、家康だけの問題ではなく、理想しか見ない三成の四角四面の融通の利かない性格も大きく作用しています。更に言えば、この三成の性質は、時に周りに利用され、時に周りとの軋轢を生みました。これは、家康がおらずとも合議制が瓦解したことを意味しています。

 つまり、家康に天下人になることを決断させた、彼をそこまで追い込んだのは、期待に応えなかった三成なのです。

 そこで今回は、合議制を守ろうとしながら自らそれを瓦解させていく三成の言動、そしてそれを静観した家康の心情を追いながら、家康が秀吉の死後、どう諸将の信頼と大義名分を得て、事実上の支配者になっていったのか、その立ち回りと家康の決意とは何かを考えてみましょう。



1.想定外ばかりの三成の理想論と原理原則主義

(1)波乱必至の十人衆

 冒頭は秀吉の死から始まりますが、ナレーションの「泥沼と化した朝鮮ほっぽりだして」の一言で、その死がもたらすものは前途多難でしかないことが匂わされています。
 天下一統を果たした秀吉は経済的にも内政的にも多大な功績を残しました。後に家康が秀吉のそうした遺産を江戸幕府にてそっくり利用していることからも、彼の天下人としての優秀さが分かるでしょう。にもかかわらず、彼の死は彼が築いたはずの泰平の世を約束しません。


 彼は最後の最後で天下人の役割を全うしなかった。多くの歪みと負の遺産が積み残されてしまいました。秀吉の残した負の遺産とは何か?そして、それを誰が自覚的にどう始末をつけるのか、それが今回のテーマなのです。ナレーションの言う朝鮮出兵の収拾は、その歪みが露見する分かりやすいきっかけに過ぎません。


 秀吉の残したものに最初に手をつけるのが、前回、秀吉に合議制による政を任じられた治部少輔三成です。秀吉の生前から実務を担当していた三成を初めとする五奉行に実力者である大大名たち五人(後世、五大老と呼ばれるので、以下五大老で)が一同に介します。この際、五奉行は一覧で済ませましたが、五大老だけは一人一人がゆっくり登場する演出がなされています。
 利家を除けば、一癖二癖ありそうな面々ですが、毛利輝元が吹越満さん、上杉景勝が津田寛治さんと曲者役者が並びましたから当然ですか(笑)とはいえ、津田寛治さんは化けましたね、メイクと髭でここまで景勝っぽくなるとは(笑)


 万を持したように最後が家康です。一同にわずかに緊張が走るあたりにナンバー2の貫禄が窺えます。加えて更なる加齢メイクと衣裳が秀逸ですね。背後に流れるキラキラした音と共に、家康の風格を高め、いよいよ現代人かよく知る家康の物語が始まることを予感させます。

 ところでこの登場シーンでは、名前と共に利家83万石、輝元112万石、景勝120万石、宇喜多秀家57万石と石高のテロップが入ります。大名としての分かりやすいスペックが入れられたことで、最後に登場した家康の250万石が際立ちます。単純な石高だけならば輝元と景勝を足しても及びません。
 加えて、秀吉の推挙により内府(内大臣)になった家康は地位もこの中では随一。一人だけ飛び抜けている家康は、長老格の利家すら差し置いて、最早、格が違う存在なのです。
 このようなパワーバランスが、始まる新たな政の不安材料になっています。


 オープニング(タイトル前のクレジットで最初で最後の四天王揃い踏みでしたね!)後は、三成ら五奉行が、五大老に秀吉のご遺命に改めて誓書を出すよう願い出ます。

 秀吉の遺命…まずは遺言状ですね。これは、五大老にくれぐれも秀頼を頼むと懇願するだけの自筆遺言状案(「真田丸」にも出てきましたね)が有名ですが、ここではその後、家康が大阪城ではなく伏見城に移って政務を取っている様子なので、『太閤様御覚書』を参考に描いているようです。この中では、五大老への願いのみならず、前回、秀吉に約束させられた秀頼と千姫の婚姻、前田利家が秀頼の傅役となること、家康と利家になにかあれば秀忠、利長が後を引き受けること、五奉行たちが大名らの私的ないざこざの仲裁に入ることなど政治的な権利についても大雑把に記されています。


 また、今回の物語後半、大名同士の私婚問題が取り沙汰されますから、秀吉の遺命には、遺言書だけでなく、秀吉が秀次切腹の際に示した基本方針「御掟」の順守も含まれているということになるでしょう。秀次切腹事件では多くの者が、婚姻や同盟で連座させられかけ、家康が仲裁に入る羽目になりました。ですから、事前に秀吉の許可なく大名同士が同盟・婚姻を禁じ、それは謀反を封じる策として「御掟」が作られたのです。幼い秀頼がつつがなく成長するためには、謀反の芽を摘み取るのは当然のことですから、「御掟」の順守を改めて確認することも分からなくはありません。


 そして、一同を前に三成が「殿下のご遺言しかと実行するのが、我らが使命。すなわち秀頼さまがご成長あそばされるまで、我ら五人の奉行が政を行い、皆様五人にそれを支えていただく」と自分たちの実務の保証、後見人として家康たちがいることを明言します。前回でも触れましたが、この五大老・五奉行が「大老→奉行」という上下関係ではなく、むしろボトムアップ的なものだという最近の説を取り入れていますね。ただ、五奉行が実務の多くを担当していることが、すぐに問題を露呈することになりますが…


 ともあれ、まずは一致団結が大切、「我ら十人衆が一つになって物事を進めることが何より肝要でござる」と理想を語る三成を静かに見守る家康は、自ら進んで「無論、異論はない、再び天下が乱れることあってはならん」と応じ、他の四大老に返事を促します。利家「ござらん」、秀家「仰せのままに」、輝元「ありませぬ」、景勝「同じく」と、それぞれの思惑は読めませんが、誰も異議は唱えません。しかし、最初の会合が滞りなく済むのは、目下の難題である朝鮮からの撤収問題は奉行に任せたいという面があるからです。



 とはいえ、折から三成の存念を知る家康は、ようやく「知恵ある者の話し合いによる合議制」の実現の第一歩にこぎ着けたこと自体を評価し「そなたならきっとやれると信じる」と期待をかけます。先の会合でもいち早く、彼の意向に同意してくれた家康を三成は疑いません。「我が夢でありました。やってのけてみせまする!」と目を輝かせ、興奮気味に応えます。「新しき政」…この言葉に家康も同じ夢を見ていると信じる三成の思いは純粋です。


 そんな彼を微笑ましく見、ポンと肩を叩く家康の励ましと笑顔は決して嘘ではないでしょう。ただ、彼は前回、秀吉から「おめえもよくわかっとるはずじゃ、この世は…今のこの世はそんなに甘くねぇ」と合議制が上手くいかない現実をよくわかっています。三成の発想に似た瀬名の慈愛の国構想が敗れたのは、端的に言えば、人の我欲は強く、それゆえに賢明な判断をしないからです。戦って死にたいと裏切った勝頼の姿は象徴的です。

 ですから、家康は三成を励ましはしますが、一方で彼の夢を挫く諫言や深く話し合うなどの深入りはせず、彼がやるがままにさせ静観を決め込んでいるのです。彼の「新しき政」に期待をかける気持ちはあっても、それがしくじった先を見据えて動くのが戦国大名としての家康であり、彼はそうして、家を守り、生き延びさせてきました。また、そんな彼だからこそ、家臣団はついてきていることは前回までに描かれ尽くしていますね。家康は家臣らの期待に応えねばなりません。
 そう考えれば、今は泰平の世を壊さぬようにしながら、自分の出るべきときを見定めるべきなのです。何故なら、秀吉が死んだ今、誰がどう動いてくるかがまだ読めないからです。

 「戦無き世」と願いこそ同じゆえに期待はしたいが、深入りできない。そんな三成への複雑な胸中を押し隠して笑顔で話せてしまうのが、今の家康なのです。



 去っていく家康を嬉しそうな顔で見送る三成を「気をつけられるが、よろしいかと存ずる」と忠告めいた声をかけてくるのは、毛利輝元と上杉景勝です。輝元は「万事話し合いをもって…などというものは等しい力のもの同士でないと成り立たん。格別力のあるものが一人いれば、その一人が自ずと決めることになろう」と合議制の問題点をズバリと指摘します。この点については、前回のnote記事で触れたことですが、劇中の人物の台詞として出てきましたね。そして、「格別力のあるもの」という言葉が、先の家康の250万石というテロップと響き合い、家康の強大さを強調してきます。


 因みに能力主義的な五奉行に対して、五大老は家格や身分といった家産で選ばれています。豊臣家中を最優先とする能吏である奉行と自身の家の利益を最優先にしなければならない大老たちでは立場が違います。十人衆はそもそも軋轢が生まれる宿命を背負った中途半端な組織だと言えるでしょう。勿論、奉行にしても保身が働けば、決して公正な判断ができるとは限りません(原理原則主義の三成は別ですが)。


 暗に家康が危険であるという輝元の揶揄を聞いても、信じられないという表情の三成。彼の純真さが出ていますね。それを見て取った景勝は業を煮やし「お主がしっかりせねば、十人衆など形ばかりになろう!」と叱責。
 続いて畳みかけるように、輝元が「じ~ぶ(治部)、そなたは極めて頭が切れる…が…人心を読むことに長けておらぬと見受ける」と癇に障る甲高い声をあげます。そして、わざわざ急に声を低くし、三成をちらと見ると「人の心には裏と表があるものぞ」と囁きます。
 最後の一言に比重があるのは明白で、三成の純真さにつけこみ家康への疑念を植え付けようとしているのがよくわかりますね。そこへ、景勝が「徳川殿は狸と心得ておくがよい」と抜かりなく釘を刺していくのが憎らしいところです。吹越満さんと津田寛治さんという演技巧者のキャスティングが見事に成功していますね。


 まあ、たしかに「人心を読むことに長けておらぬ」という輝元の指摘は正しいと言わざるを得ません。三成は二人の言葉に目を白黒させるだけで、彼らが何故、わざわざ三成に家康のことを揶揄したのか、その真意が全く見えていないからです。

 勿論、二人の三成への警句めいた言葉は、三成を慮ってのことではありません。先にも述べたとおり大老たちは自身の家の存続と利益が最優先です。ですから、秀吉死後の天下の趨勢をいかに自分に有利に持っていくのか、既にそのためだけに動き出しているのです。おそらくそうした動きが一番薄いのは利家でしょうが、それでも何も考えていないことはあり得ません。彼も戦国を生き抜いた大名ですから。


 この場の輝元と景勝が狡猾であるのは、自身たちが実力者、家康と面と向かって戦うリスクだけは避けようとしている点です。彼らは被害を負わないようにしながら家康を排除するため、豊臣家への忠誠心が高く、五奉行の実質的リーダーでもある三成をその牽制に利用し、あわよくば共倒れを狙っているに過ぎません。少なくとも三成を積極的に騙し、利用する気はない家康のが余程ましなのですが、結局、そのことにすら三成は気づくことがありません。
 もしも三成が、今後も彼らの野心に気づかぬまま、自身の愚直な思いから彼らを西軍に引き入れようとするのであれば、人を見る目のない三成は最初から負けるしかなかったことになりますね。




(2)人の心を理解できない三成の歪み

 家康は自室で阿茶と将棋を指しながら、忠勝、正信を混ぜ、密談をかわします。将棋を保護したことでも知られる家康のエピソードが軽く挿入されましたが、膝立ちで家康の将棋を受けて立つ阿茶の凛としたカッコよさのが、背後の意地汚く物を食い続ける正信と相まって際立ちますね(笑)

 さて、「治部少輔殿、上手くおやりなればよいですが…」と淡々と答える阿茶に対して、忠勝は「天下は力ある者の持ち物、あんな連中に任せず、殿が天下人となればよい話!」と天下人として立つことを促します。単なる血の気の多さからの発言でなく、彼なりにこの混乱の事態の収拾が天下の節目と見るからで、「覚悟を決めておられるのでは」と家康の本意を確認するのはそのためです。彼は、家康がいかに耐えてきたかを知る家臣ですから気遣うのですね。


 忠勝の言うことが分からないではない家康は思案気です。見方によっては物憂げにも見えるのは、三成がこの時局の矢面に立ち傷だらけになることが目に見えているからでないでしょうか。積極的ではないにせよ、結果的に、気持ちの合う男を自分のために利用することになる後ろめたさは拭いきれません。とはいえ、表立ってそれを家臣に言わず(正信には見抜かれていますが)、自身の内に秘めるに留める自制心もあるのが年を経た家康の胆力です。そして、冷静に状況を分析し、自身のもの思いとも鑑みて「まだその時ではなかろう」と、忠勝にしかける時を間違えてはいけないと示します。


 家康の判断に「そのとおり。このめちゃくちゃな戦の後始末、買って出て、いいことはひとーつもない。逃げられれば逃げておいたほうがよい。今は息を潜めることでござる」と補足と理屈を加えるのは正信に忠勝は「卑劣な考えじゃ」と渋面になりながら返しますが、実は二人とも一理あります。

 正信が正しいのはまったくその通りです。迂闊に手を出せば、誰からも恨まれることになりますし、また失敗すれば、この状況を利用せんと虎視眈々と狙う大大名たちに揚げ足を取られるからです。その一方で朝鮮に渡った武将、血の気の多い野心家たちを抑えるのは武力です。出遅れて臆病と謗られることも避けねばなりません。その点で忠勝の家康が出るべきというのも間違いではないのです。言うなれば、本多と偽本多、両者の言い分の落としどころこそが、家康が出るべき「時」なのですね。

 それもよくよく分かった上で、やはり三成への期待もある家康は「治部がうまく収めてくれれば、それが一番よいことじゃ…」と本音をポツリと呟きます。少し表情が見えにくいところに彼の葛藤が見えますね。



 しかし、家康の淡い期待は予想以上に悪い形で裏切られます。朝鮮から加藤清正、藤堂高虎らが帰国してきます。その心身ともに疲れ果て、言葉少ななその姿には朝鮮での戦がいかに地獄であったのかが偲ばれ、言葉を失います。朝鮮出兵において彼らの軍目付である三成は「よう戻られた。皆々のご苦労、我らも涙が出る思い…」と彼らの労苦を思い、言葉を尽くします。
 その後の「大義でござった!」は三成なりの讃辞と労いなのですが、想像を絶する辛酸をなめた彼らに対しての言葉としてはやや場違いで軽く、また上から目線の印象を与えます。無言でその言葉を聞く清正たちの様子からは、軍目付と帰国した武将たちとの深い溝が感じ取れますね。


 撤収を穏便にするため伏せられていた秀吉の死の真相の真偽を問う清正に「今は言えぬ」としか返せない三成は、それを誤魔化そうと労いの茶会を開くと言い、更には「戦のしくじりの責めは不問と致します!」と、彼らの朝鮮での苦難を「しくじり」と断じることで全否定してしまいます。遂に堪忍袋の緒が切れた清正以外の諸将は三成につかみかかり、殴りかかります。彼らの怒りは当然なのですが。
 困ったことに三成自身は疲れ果てた彼らへの褒美として言ったつもり。まったく悪気がないことがかえって痛いところです。ですから、諸将の反応にひたすら目を丸くするばかり。


 彼らが三成の労いに腹を立てるのは、ここでの言葉だけではありません。実はそれ以前に、三成の妹婿で軍目付の一人でもあった福原長堯(ふくはらながたか)が、蔚山城の戦いにて、蜂須賀家政・黒田長政が撃退した明国を追撃しなかったと非難し、秀吉に報告してしまったのですね。実は彼らの行動は現地武将らの合議で決まった戦線縮小に乗っ取った行為でしかなかったのですが、秀吉は彼らを臆病者として帰国させ即刻蟄居謹慎、領地も一部取り上げてしまいました。その余波で清正らも叱責を受けることになり、蔚山城の戦いは大勝利だったにもかかわらず褒賞なしということになりました。
 逆に三成の義弟である福原長堯は加増を受けるのですから、結果的に三成らが清正らの恨みを買うのは仕方のないところでしょう。

 ただ三成の名誉のために言えば、この一件の折には、彼自身は別件で秀吉の下を離れており全くかかわっていません。また三成に来た加増話も断っています。どこまでも彼は忠義だけの人でしたが、この一件をは現地の武断派と奉行ら文治派との溝の深まりを象徴しています。


 諸将たちの不満と不信感が限界に達していたところに、三成は無意識とはいえ彼らに心無い言葉を浴びせてしまったのです。清正は怒りを抑えながら、三成に「お主らはわしらがどんな戦をしてきたかわかっておるのか…兵糧もない中何を食ってきたか」とその地獄を語ります。安全なところにいる奉行たちは所詮、現場の苦難を何も分かっていない。米すら十分に食べることすらできなかった彼らへの心からの馳走は米しかありません。それすらわからない三成に、何の労いもできようはずはないのです。
 清正の「皆にはわしが粥を振る舞う」という拒絶の言葉は、地獄を生き抜いてきた者だけにしかわからない重いものがあります。

 しかし、己の善意を信ずるだけの三成は、彼らが何を欲するのか、彼らの立場に立って物を考えようともしません。それゆえ、清正の怒りも訳がわからず、自分が理不尽な侮辱を受けたとばかりにつかみかけられた着物を整えます。その行為にあるのは、自分を理解しない暴力的な清正ら武断派への嫌悪だけです。
 一途に自分の夢と理想の正しさだけに執着する三成は、人心をつかめず、和を乱し、その理想からどんどん遠ざかっていきます。それでも彼は、自分の欠点に気づこうとはしません。皮肉にも輝元の指摘がここでも響いてきますね。



 帰国した武将たちに蟄居の憂き目にあっていた蜂須賀家政・黒田長政も加えた七将は、家康と利家両雄に、三成に戦の責を負わせるよう糾弾を願い出ます。蜂須賀家政は三成の讒言で名誉を傷つけられたと言い、藤堂高虎は「もっとも責めを追うべきは奴ら奉行衆」とし、負け戦の元凶である彼らの指図は受けられないと拒絶します。詰め寄る彼らに家康は「治部はようやっておる」と庇うのですが、聞く耳を持たない彼らは処断しなければ考えがあると一歩も引きません。
 流石に利家が長老格の年の功とむやみ争ってはならないという秀吉の遺命を盾に貫録で黙らせ、その場を収めますが、燻る感情は澱むばかりです。



 寧々と三成が控える間に戻ってきた家康の「えらい剣幕でござった」とうんざりした様子に寧々はすかさず「どうであろう治部、一同に詫びを入れ酒でも酌み交わしては?」と妥協を提案します。寧々はご遺命を金科玉条とすることよりも先に、互いを理解し合い和を結ばなければ泰平は築けないとそれとなく伝えているのですが、「詫びを入れる?何故わたくしが?」と意外なことを言うという顔をします。

 仕方なく寧々は「豊臣家中をしかとまとめるのもそなたの役目ぞ」ともっと分かりやすく、家中の和がなければ天下泰平は実現しないと言うのですが、三成は「私は間違ったことはしておりませぬ」の一点張りで、むしろ徒に争いを起こしているのは彼らであると非難します。


 頑なすぎる三成に、傍観を決めていた家康も一触即発を危惧し「腹を割って話し、そなたの考えを、政を皆にも語ってやったらどうじゃ?」と助言し、清正らを家康と同じく仲間にするよう勧めます。三成の才と志を惜しむ家康なりの心遣いにも「奴らが私の考えを理解することはございませぬ」と決めつけ、拒絶します。この決めつけは、清正ら武断派のことを理解する気がないし、その必要もないということと同義です。わずかな歩み寄りもあり得ないと三成は言うのです。
 そこまで言われては、流石の家康も、その頑迷さに驚き、何故、ここまで一歩も譲らないのか、その理由も測りかね困惑します。どうしてよいか分からないという戸惑うような家康の表情が印象的ですね。戸惑った挙句、かける言葉を失った家康は憐れむように俯くしかありません。


 そんな家康の様子に気づきもせず、自身の思いに執着する彼は「太閤殿下のお決めをしかと行うまで」と言い切ると退席します。「太閤殿下の」と言う際に、彼は誰もいない上座をわざわざ窺います。今なお、彼は敬愛する秀吉ありきの政をしようとしているのが分かりますね。三成は、清正らを糾弾する際に「殿下のご遺言にしたがい家中が一つにならねばならぬ」と言っていますが、この言葉にも同じものが窺えます。
 つまり、彼の考える「新しき政」とは、死んだ秀吉の意向が第一義で、人の和はその下にある第二義という優先順位が見え隠れします。それは、まず家中をまとめ、その上でご遺命を皆で政に活かせばよいとする寧々の助言とは真逆です。聞く耳を持たないのも当然でしょう。


 本作の三成は、例外を認めない極めて厳粛な法治国家を夢想しているようにも見えますね。例外なき厳粛な法治国家では、個人の事情や感情とは全く関係なく、全ての構成員が一律平等です。それは裏を返せば、個人の諸事情にかかわりなく法を遵守され、個人は国家に奉仕するということです。今回で言えば、清正たちの味わった苦難とその後待ち受ける疲弊した領国の立て直し、その苦悩と不安は考慮すべき問題ではありません。
 三成の原理原則からすれば、いかなる事情があろうと徒党を組んではならないという法(御掟)を破ったことだけが問題なのですね。その基本もわからず、おだをあげる武断派など懲らしめる対象以上ではありません。


 しかし、この考え方は色々と履き違えていますね。そもそも、厳粛な法治国家とは「法が間違えることは一切ない」という絶対性と万能性が担保されていることが条件です。私たちは、現在の法律が万能ではなく、その運用の中で様々な解釈があり、ケースバイケースで取捨選択しているのを知っていますから、絶対的で万能な法がないことが分かります。必ず法には穴や抜け道があるものです。
 まして、秀吉の個人的性格の強い「御掟」と遺言などのご遺命ならば、尚更です。少なくとも、三成が金科玉条とするようなものかは甚だ疑問でしょう。そのことは、物語後半で家康がその抜け道を利用してくるところで証明されます。


 また、ご遺命には更に二つの問題があります。一つは、これらは生前の秀吉の天才性によって支えられていたということです。例えば、五奉行が大過なくその実務で辣腕を振るえたのは、彼らの実力以上に彼らの行為の後ろに秀吉の権威があったからです。しかし、今、その背景となる秀吉は故人です。故人の威光を維持することは簡単でありません。それが瓦解しているからこそ、清正らの不満が噴出したのです。
 また、実は、ご遺命に対して何度も誓書を出すことが五奉行から求められています。誓書を何度も出さなければ維持できない権威というのは、逆説的にその威光が下がってきていることを証明しています。


 次に所詮、ご遺命は故人の命令に過ぎません。時間がそこで止まっています。時が経てば経つほど現状に見合わないものになっていくことも明白でしょう。法は原則を守りつつも、現状に見合った形で改訂されていくものです。何故なら、法とは今、生きている人々のためにあるからです。しかし、三成はそれが見えていません。それは一重に秀吉への盲目的な敬意と拾ってくれた恩義のせいです。「殿下はこれまで間違ったことはない」とは彼の口癖ですが、それは彼にとって生前であろうと死後であろうと同じことなのです。


 三成は今回、ひたすら「私は間違ったことはしておりませぬ」を繰り返しますが、それは「これまで間違ったことのない」秀吉の意向を忠実に守り続けているから自信を深めているのです。これは裏を返せば、三成は皆が知恵を出し合い話し合い納得ずくで決める「新しき政」を唱えながら、その実は秀吉の遺命どおりにやることから一歩もはみ出し、踏み出すことのない旧態依然としたものを実行しようとしていると言えるでしょう。辛辣な言い方をするなら、故人に執着する三成は「新しき政」をする最初から思考停止しているのです。



 ご遺命は金科玉条ではありません。あくまで天下泰平のためにあるのです。ですから、ご遺命のもとに皆が一致団結するのではなく、皆が一致団結したところにご遺命をどう生かすかを考えていく…これがご遺命によって天下泰平を実現するということだと寧々は説いたのですが、優先順位を間違えている三成には分かってもらえませんでした。

 それゆえに、溜息をつく寧々は「あの子もまっすぐすぎる…世の中は歪んでおるものなのに」と現実を知らぬ子どもを見たように憐れみます。寧々からすれば、己の欲望ばかりを叶え他人を省みない利己主義の一方で、天下一統を成し遂げ、公的にも多大な功績を遺した秀吉は矛盾の塊であり、彼こそが「歪んだ世の中」を体現しています。そして、世の中が歪んでいるからこそ、秀吉の天下は朝鮮出兵までは上手くいったのです。

 寧々と同じように秀吉の側にいながら、天下人としての成果しか見ない三成の思いは純粋で真っ直ぐですが、決定的に足りていません。寧々の言葉が皮肉な憂いを帯びているのは、歪んだ世の中で真っ直ぐな思いを抱く三成は、逆に世の中から見れば彼こそが歪んだ存在になるからです。だから本当は、三成こそが歪んだ世の中へ自分が歩み寄らなければならない。そうしなければ、彼の願いと夢は実現しません。

 周りに合わせ、自分の主張とすり合わせ折り合いをつけること…一般にいう妥協こそが政治の本質であり、そのために政治家たちはさまざまな駆け引きをするのです。不幸にも純粋な三成はそれができず、結局は原理原則を他人に押し付け、力ずくで人を従わせることしかできません。彼は非情に優秀な実務家ですが、政治家としての資質はまったく磨いてこなかったのですね。

 一方、常に自分と対等以上の相手と渡り合うことを余儀なくされる人生を歩んできた家康は、時に意に染まない服従を耐え忍び、時に無理をしてでも勝ち取り、時に相手の意向を取り入れることで救われたり、と妥協しながら政治を行ってきました。だからこそ、彼は三成に助言できたのですが、この経験値は今になって生きてきますね。



 さて、それでも「誰がやっても難しい」と三成を庇う家康に、寧々は「わやくちゃにしてったでいかんのだわ、最後まで好き放題、勝手な人だったわ」と上座を見ながら独り言ちると、改めて家康に向き直り「治部がうまくできねば…そのときは力あるものにやってもらう他ないと私は思うておる」と言います。三成ができねばと仮定していますが、彼女の言動からは失敗することは見えています。ですから、この言葉は、前回の秀吉と家康の対決を聞き、秀吉の真意を知る寧々が、秀吉に代わって、改めて天下を取るよう要請しているのですね。

 対する家康をカメラは後方からのみ捉え、寧々の言葉をどう受け取ったのか、その表情を見せません。こうすることで家康の揺れ動く心情は視聴者に委ねられ、視聴者も家康と共にその選択に悩むのですね。このカメラワークは後半、利家に天下を託されたときにも使われます。




2.三成が家康を天下人にするまで

(1) 白兎が狸に化けるとき

 場面は代わり、家康は秀吉死後の大名たちの様子について、正信から報告を受けています。それによれば、伊達、上杉、毛利など最後まで秀吉に抵抗していた面々が秀吉の死を喜び、その野心を隠すことなく不穏な動きを見せているということでした。家康が軽々に動けなかったのは、こうした動向も知らずに動くことが危険だったからです。

 正信の報告に「つまるところ再び世が乱れることを待ち望んでいる方が大勢おられるということでございますね」と淡々としながらも、半ば吐き捨てるように呆れ果てていることが印象的です。三成の合議制については好意的だった阿茶からすれば、せっかく得た泰平の世を野心を剥き出しにしてわざわざ大乱を起こしたがる無用な男らしさのようなものは、理解しがたい愚かな行為にしか見えないでしょう。結局、それに苦しめられるのは、女、子ども、領民といった弱い者たちですから尚更です。


 この世を二度と乱世にしないと秀吉に誓った家康としても看過しがたいところです。もっと大局を見て動きたいところですが、その前に戦が起きてしまっては元も子ありません。彼はしみじみと目下、その矢面に立つ三成を思い「治部は苦しいじゃろうなぁ…」としみじみ言います。あきらかに三成を陰ながらでよいから助けたいという雰囲気が漏れています。

 家康の本心を悟る忠勝は「はっきりいって治部殿では無理でございましょう。殿が表舞台に出て全てを引き受ける時がきたかと」ともう待つまでもないと再度、天下取りの準備を促します。しかし、またも偽本多が「あ、あ、そういう勇ましいことをすると危ない」と足を引っ張るので、思わず本多忠勝「ではどうすればよい?」とやり切れないように詰問します。


 勿論、正信も家康の思いは忠勝同様わかっていますから「裏で危なっかしい連中の首ねっこを押さえるくらいにしておくがよろしいかと」と折衷案を唱えます。すかさず「伊達、加藤、福島、蜂須賀、黒田あたりでしょうか」と口を挟む阿茶は聡いですが、正信の案が同盟的なものと嗅ぎ取り「他の者の手前勝手なことはできん」と返した忠勝もなかなかのものですね。

 「しらばっくれてこっそりやるのみ」と開き直る正信に、阿茶は「明るみに出ては、殿は糾弾されます」と危惧します…しかし、泰然自若の正信は「謝る」と一言。「それが出来ねば、天下を乱れるのを見物するしかござらん、どのみち豊臣の天下はボロボロと崩れていきましょう」と家康に判断を預けます。勿論、正信の助言は「放っておいても豊臣家は瓦解する誰かが天下を取るしかないぞ」という含意があります。忠勝のストレートな策は退けた正信ですが、家康がすべき行動の基本線は一致しているのですよね。本多と偽本多も名コンビになりました…ずっと本作を見てきた者には感慨深いものがありますね(笑)


 家臣たちに暗に天下取りへ動く準備を勧められた家康は、すっとぼけたように目を瞑り、お香を愉しむ所作をし、自身の葛藤と物思いを周りに悟らせぬよう思案しています。これもまた視聴者の想像に委ね、共に悩ませる効果がありますね。そんな家康を静かに見守る忠勝が良いですね。どんなに悩もうと彼は一人ではありません。



一方、ご遺命に従い、秀頼が茶々と共に大阪城へ入ります。描かれていませんが、傅役の利家も入城しています。「しかとお守りいたます」と平伏する三成に、茶々は「様々な噂が入ってきて心配であることよ」と切り出し、三成では豊臣家中も大名もまとめられず、それが出来るのは家康だけという噂を吹き込みます。

 笑って否定する三成ににじり寄った茶々は「わたくしはそなたより、よーく知っておるがの…あのお方は平気で嘘をつくそ」と囁き、彼の心を揺さぶります。勿論、お市を助けるために北ノ庄城へやってこなかったというただ一つの事実を肥大化しているだけです。こんな簡単な言葉で慌てる三成は、茶々の人心もよくわかっていません。輝元や景勝の言葉も茶々の言葉も讒言なのですが真に受けることしかできません。
 こうした腹芸の出来なさも、哀しいかな三成の政治的資質の欠如かもしれません。そこへ三成の股肱の臣、島左近より家康が諸大名と婚姻を進めている…つまり「御掟」にある「大名間の婚姻は、秀吉の御意を得て行うこと」という私婚禁止を破ったとの報せが入ります。絶妙なタイミングで茶々の讒言が裏付けられることとなります。



 具体的には家康の六男・忠輝を伊達政宗の長女と、そして家康の養女たちを福島正則の養子(正之)や蜂須賀家政の子息(豊雄)に嫁がせるというものでした。これは、合議制の欠点を知り尽くした家康による「御掟」破りで、当然、家康の人脈作り、多数派工作であるのは言うまでもありません。

 一方で、何故、正宗や禁を破ってまで家康に接近し、またその婚姻を喜んだのでしょうか。何度も言っていることですが、大名にとっての大事は家の存続です。よりよい条件で生き残りをかけなければなりません。家康のような実力者が後見してくれれば、自身の家は安心できます。まして、家政は蟄居させられ、正則は朝鮮から帰国し疲弊した領国を抱えています。彼らの将来への不安感は大きい。その不安感を拭う効果もあった。だから、劇中で蜂須賀家政は、感涙にむせび泣いていましたね。
 三成への糾弾も裏を返せば、こうした不安感があるわけです。大名の悩みを捉える機微に長けた家康だからこそ、彼らを引き入れ上手くできたことです。三成にこの人心掌握の気持ちが、家康の100分の1でもあれば少しは変わったかもしれませんね。

 また、実力者、家康と縁戚関係を結ぶことは、彼に迷惑がかかる行為を避けるよう圧力をかけられます。これが、正信の言った「危なっかしい連中の首ねっこを押さえる」ということです。本作の家康は禁令を破ることで、大乱を摘み取る援護射撃をしたということになりますね。だからこそ、家康は三成と酒を酌み交わすとき、「誤解を解いておきたい」「そなたの味方である」と堂々と言ったのです。まあ、史実ではそんな気はさらさらないでしょうが、本作の家康は三成に惹かれていますから、これで良いのです。なんにせよ、家康にはこれしかない的確な一石三鳥以上の策です。


 勿論、四大老、五奉行たちは糾弾します。特に景勝が「あからさまに動き始めたな」と警戒したのは無理ありません。江戸の家康と奥州の伊達に結ばれては、会津の上杉は挟撃される形になるからです(元々、上杉の会津移封は家康の監視という説はありますが)。続く、輝元は「言わんこっちゃないな、天下簒奪の意思ありと見る他ないぞ」とここぞとばかりに家康への排除を三成に進言しますが、先にも言ったとおり、自分が事を構える気はなく、あくまで三成たち奉行をけしかけるつもりでしょう。

 いきり立つ一同を「軽々に判断できぬ」と庇うのは利家だけです。宇喜多秀家に「治部殿はどうすべきと存ずる?」という問いに、家康の裏切りに顔面蒼白、怒りに打ち震える三成は、原理原則主義に乗っ取り、謹慎すべきと断じ、家康のもとへ糾問使を送ります。



 さて、ここからが狸親父家康のハイライトです。三河一向一揆の頃から少しずつ、不器用ながらも腹芸を身に着けてきた家康ですが、昔を知るだけに、この様子は感慨深いものがあります。一方で松本潤くんが他ドラマで磨いてきたコメディエンヌの才が遺憾なく発揮された惚けた芝居とこれまた惚け切った松山ケンイチくんの正信との阿吽の呼吸が、この狸ぶりを巧く盛り上げてくれましたね。


 がっくりとうなだれ「わしとしたことが…うっかりしておった…」とすっとぼける家康を受けた正信は「殿下亡き今、お許しを得ること不要と思うておりました」とフォローしますが、一方で「とーの!」と家臣自ら叱責することを忘れません。家臣が𠮟りつければ、糾問使のほうあ糾弾しにくくなりますからね。叱られた家康は「いや、すまなんだ。ほんの行き違い、改めて皆様にお伝え申し上げる」と詫びるのですが、その主眼は「それでよろしかろ」と事を収めるほうにあります。

 それと気づいて「そういうわけには…」という糾問使に、今度は「我が主はあくまで奉行の皆様を陰ながらお支えするためにやったこと」とその正当性について屁理屈を並べ始めます。その間、困った顔をしひたすら申し訳なさそうな顔だけして俯く家康の顔はかなり嘘くさいですね(笑)そして、正信は「殿下のご遺言を忠実に実行しておりまする処罰にはあたりません」とトドメを刺し開き直ります。下手に出ておいて、いつの間にか主導権を握ってしまう…ここにいる狸は一匹じゃないですね。古狸二匹では、若い糾問使など問題ではありません。


 ところで、ここで正信がつらつら述べている屁理屈が、「御掟」の「私婚禁止」の法の穴です。婚姻は秀吉の許可がなければできませんが、その秀吉は既にありません。となれば、当然、その裁可を下すのは嫡男秀頼になりますが、幼い彼にそれができようはずがありませんし、押しつけるなどもっての他です。幸い、家康は「ご遺命」により、「伏見城にて政務を行う」よう命じられています。ですから、秀頼に代わって婚姻を裁可する権利があり「「殿下のご遺言を忠実に実行しておりまする」になるわけです。しかも一々、奉行の手を煩わさないよう「あくまで奉行の皆様を陰ながらお支えするため」です。この屁理屈は、一々筋は通っているのが巧妙です。


 それだけではありません。この問題は大名たちの死活問題でもあるのです。家の存続のためには婚姻は重要です。家の格も上げ、確実に家系を残していくには大名同士の婚姻は重要なことです。秀吉健在の折であれば、秀吉の裁可を得るだけのことですが、今、裁可すべき秀頼は幼く、その成長まで裁可を待っていたら、どれだけの家が潰れてしまうかわかりません。
 では、十人衆の合議はどうかと言えば、この合議制ではそれぞれの思惑で決まることはなく、ことに原理原則にこだわり、自分たちの権限を維持するために不許可を出す可能性が高い。となると、結局は大名たちの不満と不信は積もりに積もり、結局、十人衆の政権は瓦解するのです。
 つまり、「御掟」は秀吉の死によって、既に時代にそぐわず形骸化しているのです。

 したがって、こうした大名たちの事情を鑑み、それを利用した家康のこの策は、人心掌握という点でも優れたもので、三成たちよりも一枚も二枚も上手という他ありません。本作の前田利家だけは、これらの家康の理屈とその背景を理解するからこそ、合議で「徳川殿の言うことも分かる」と述べたのですね。



 さて、家康&正信のザ・タヌキーズの猿…じゃなくて狸芝居はまだ続きます。屁理屈から場の主導権を握ると「万が一にも面倒なことにはなってはいけませぬ。何せ我が家中には血の気の多い者が数多おりましてな…」と不穏なことをさらりと言い始め、家康はすかさず「困った…」と全く困った様子の無い合いの手を入れます。そして、忠勝、康政、直政ら三傑の名をゆっくり並べ立て「御身殿に何かあれば一も二もなく軍勢を率いて駆けつけてしまいまする…」と真顔で言います。

 小牧長久手から十数年経った今、彼らの存在はレジェンド…絶大な効果があります。まあ、血の気が多いと言われた三傑らも異論はないでしょう。そして、この頃、実は家康が関東で軍を集めていましたから、それが起きないとも言えない状況でした。当然、これは恫喝です。武力を背景にした恫喝も併用することで、十人衆の合議の強硬策を封じようというのです。

 しかも、手綱を引き絞るべき家康は「言うことを聞かん奴らでな、手を焼いておる」とほとほと困ったようなことをぬけぬけを抜かし苦笑いをします。「言うことを聞かん」…まあ、昔はそういうところもありましたから、演技に妙な実感が籠っているのも可笑しいところです。



 さて家康の返答が持ち帰られた家康を除いた十人衆の合議は案の定、紛糾しますが、果たして家康の目論見通り、それぞれの思惑から一致しません。結局、長老格である利家が穏便に済ませる提案をします。その際、利家は自分が家康に詫びるから、三成も一筆書けと言うのですが、そもそも家康を許す判断すら解せない三成は「道理が通りませぬ!」と反対します。ここに来て、業を煮やした利家は「道理だけで政はできん!」と一喝しますが、曲げぬ三成は雷鳴と共に退席してしまいます。
 前回の時点で三成の夢を知っていた利家もまた家康同様、三成を慮り、これまでは静観していたのでしょう。見るに見かねての一喝は、彼を心配してのことです。
 寧々に諭され、家康に助言され、利家に一喝され…彼を気遣う年輩者らの苦言を悉く跳ねのける三成の了見の狭さばかりが際立ってしまいますね。

 因みにこの一件は、政権維持を優先したい五奉行、穏便に済ませたい利家、矢面は避けたい輝元、強硬論の景勝と合議の足並みが揃わず、結局、利家に一任されます。


 怒りの余り席を立った三成のもとに島左近をとおして家康から呼び出しが届きます。襖をあけ放った部屋に座る二人、空には星が輝いていますが、秋のあの日とは違い冬の空です。二人で星を見上げることはありません。酒を勧め、静かに詫びを入れ、あくまで戦を起こしそうな連中の抑えることが目的、「そなたの味方である」と伝えます。彼なりの誠意であることは間違いありません。
 そして、彼を案じるがゆえに「素直にいって、今のままで政を続けるのは困難であろう」と合議制、ご遺命絶対主義、三成の強硬な姿勢などその限界を諭し、必要なことは皆がご遺命を守っていけるよう「皆の不満を静め」ることであると伝えます。ここまでの出来事、「御掟」に背いた家康のやり方、それらからその限界を悟ってくれるに違いないという期待観があると察せられます。

 だからこそ、家康は「あくまでも一時のことじゃ…一時の間、豊臣家の政務を預かりたい」と伝えます。まずは力のある者のもとに諸大名をまとめあげなければ、合議制とご遺命を機能させることはできない、現実を見ろというギリギリの譲歩と提案を家康はしているのです。秀吉の前で言った「治部殿の政を助ける」は形を変えても、まだ家康の中では死んではいなかったのです。
 ですから、自らの野心でないことを証明するため、そして三成を評価するからこそ「共にやらんか?」とかき口説きます。これが、三成の夢を叶えるための家康ができる最大限の真心であり、どこかできっと三成もわかってくれるという淡い期待もあったと思われます…この後の展開を考えるとその家康のお人好しが切ないですね。


 果たして、秀吉ありきの天下しか考えることのできない融通の利かない三成は「狸…皆が言うことが正しかったようですな…天下簒奪の野心ありと見てようございますな」と全く違う答えを導き出してしまいます。輝元、景勝、茶々の讒言が、私婚問題をとおして、彼の中で「狸親父」という一つの像を結んでしまったようです。三成は頑な男です。そう思い込んでしまったら、もう聞く耳を持ちません。

 家康はそうではないと否定し、皆の不満を収めるよう言いますが、「不埒な家臣を取り潰せばよいこと」と「ご遺命遵守」最優先の考え方を示します。返す家康は「不用意な処罰は天下大乱のもと」と人心の掌握こそが第一義と説きます。家康はそうやってその人徳で味方を増やしてきた人物ですから、その経験から忠告しているのです。しかし「さにあらず!」と三成は即答し、全否定します。
 そのあまりの頑迷に再び、怪訝な顔をする家康に三成は「わたしは殿下に任じられました。その務めを全うするのみ。私を拾うてくださった殿下の恩義に報いること」とその盲信を事もなげに語ります。彼の目には今も秀吉しか映っていないのです。

 家康には可哀想ですが、結局、三成は自分の思いに賛同する者を求めているだけで、決して家康の本心を知り尽くし盟友となろうとしていたわけではなかったのですしょうね。ですから、自分の意に染まない彼の意見を全く聞こうとしません。



 私婚問題の和解として家康と利家が双方の家江を訪問することになりました。傷心の家康は、その訪問のついでに利家に「どうすればわかってもらえるのでしょう。邪な野心がないことを」と相談します。しかし、利家は「無理な話よ」と笑いながらあっさりと答えます。その理由として、家康が初陣を飾った桶狭間の戦いの頃に生まれた治部にとって、家康は古の戦いを生き残った「神代の時代の大蛇に見えておろう」と言います。つまり、多くの激戦を生き残ってきた家康は自分でも知らぬうちに、生ける伝説になってしまっているのだと利家は指摘するのです。本来の弱かった頃の家康を知るのは、利家くらいしかいません。

 「皆、貴公が恐いのよ」との言葉は、家康が、多くの武将たちから畏敬の存在として、ある者は頼り、ある者は必要以上に恐れられるようになったことを示しています。最早、彼は一介の一大名として生きていくことが許されない立場にいることを自覚すべきなのです。
 それゆえ、病身で死期を悟る利家は、最後に「貴公は強くなりすぎた。家康殿…貴公は…腹を括るしかないかもしれん」と言外に天下を治めるように期待をかけます。退路は断たれていて、天下人の道を進むしかないというのです。「徳川殿」ではなく「家康殿」と名前で呼んだところに、同じ時代を生きた者同士の愛着と期待、そして励ましの誠意が見えますね。




(2)三成との決別が、家康の天下人への最後のトリガーに

 前田利家という長老の死は、時代を一気に推し進めます。やはり利家も時代を背負っていた戦国大名だったとわかりますね。その死は、加藤清正・福島正則・蜂須賀家政・黒田長政・藤堂高虎・細川忠興ら七将による三成の糾弾となります。命の危険を感じた三成は伏見城の自身の屋敷に立て籠ります(家康の邸宅に逃げ込んだ逸話は採用しませんでした)。結局、原理原則を唱える三成自身が、結果的にもめ事を当事者になっているところが皮肉です。
 遠巻きに様子を見ている正信は、長引けば大乱になる可能性を示唆し、それを聞いた家康は忠勝に仲裁に入らせます。島津家の者が三方ヶ原合戦について聞きに来る場面がありましたが、本多忠勝もまた生きたレジェンドです。しかも、小牧長久手にてその奮闘を直に見ている加藤清正、福島正則にとっては、尚更に尊敬の対象。その彼に「眠りを妨げられ、我が主が困っておる」と一喝されるのですから、効果絶大です。徳川家というのは戦わずともそういう力があるのです。存在するだけで人が集まり、また敵も集まる。ならば自覚的に徳川家が天下の趨勢を収めるより他ないのです。



 七将の言い分をじっくり聞いた家康は、三成の存在自体が大乱の元でしかなくなったことを悟り、その排除を決意します。それは、三成が語った夢であり、また家康も期待しかけた「志ある者たちが知恵を出し合い話し合うことで物事が決まっていく平和的な政」の終焉を意味しています。いつかはそれが叶うことを願いながらも、今はその時ではないと改めて思うだけです。自身の挫折でないにせよ、三成のことを思うと哀しい気持ちで夜が明けるのを観るしかありません。

 そんな彼を部屋からひょいと覗いた正信は「ここらが潮時かもしれませぬな」と三成の合法的な排除によって家康が事実上の天下人となる大義名分を得たことを示唆します。勿論、家康が内心、気にかけていた合議制への思いも分かった上の言葉です。そして、正信の言葉を引き受けた忠勝もまた「表舞台に立つべき時かと」と三度目の要請をします。本多と偽本多、両本多の意見の一致が、家康に最終的な決断を迫るというのが巧いですね。



 さて、三成は全ての職を剥奪され、佐和山城への隠居が決まります。三成は処分自体は甘んじて受けるものの、家康を真っ直ぐ見据え「私は間違ったことをしておりませぬ。殿下のご遺命に誰よりも忠実であったと自負しております」とあくまで自身の正しさに固執し、何も変わらぬ様を見せつけます。その努力を誰よりも理解している家康は「それは紛れもないこと」と応じます。真剣にそう思ってくれる大名は家康と大谷刑部くらいかもしれないのが三成の人徳の無さでしょう。敬意の証に、佐和山城までの移送を家康の次男、お万の子、結城秀康に任せます。

 去っていく三成の背に、未練の残る家康は「佐和山を訪れてたもようござるか」と声をかけ、あの時のように、また夜空を眺め語らいたいと願います。政敵となっても志は同じであることを伝えたかったのかもしれませんね。しかし、三成はそんな家康の感傷を「違う星を見ていたようでござる、もうお会いすることもございますまい」とバッサリ断ち切ります。冷淡な三成の表情は家康への情は一片も窺えません。あるのは静かに燃える秀吉のご遺命への情念だけです。最後まで、家康の思いは理解されることなく、頑ななその心にはじき返されました

 以前のnote記事でも触れたように同じ星を見ていないことは、家康自身も薄々分かっていたと思われます。しかし、当の本人からそれを告げられることは、彼に砕いた思いがあるだけに家康には痛恨だったことでしょう。去っていく三成を見ながら、脳裏に出会ったあの日を蘇らせることぐらいしか、もうできることはありません。ロングショットで捉えられた部屋でポツンとしている姿が哀しいですね。

 


 淡い友情の終わりは、家康の進むべき道は三成のとの共闘ではなく、孤独な天下人だけになったことを決定づけました。後ろに控える忠勝に「やるからには後戻りはできぬ、あるいは…」とここで目を瞑ります。その先の地獄が、頭の良い彼には見えてしまったのかもしれません。そして振り切るように「修羅の道を行くことになろうぞ」と言い聞かせます。それでよいか?と甘えられるのが、家康の良さですね。
 家康の覚悟を聞いた忠勝は「どこまでも」と言ったところで言葉を切り、前に進み出ると家康と肩を並べます。その上で「付き合いまする」と微笑します。忠勝はずっとずっと家康だけを見てきました。今、この覚悟を語るその裏で永遠に友を失った家康の哀しみも忠勝は感じているのです。だからこそ「俺がいる」と励ますように肩を並べたのです。忠勝の不器用な心遣いは観る人々の胸を熱くしますね。




 さて、自室にて薬研を回す家康。瀬名を失ってから彼が考えをまとめるルーチンになっています。彼は、これまでの半生を思い、彼に影響を与えた天下人を目指した男たちを思い起こします。

 義元は「戦乱の世は終わらせねばならぬ」と天下泰平の必要性を迫り、信長は「俺は覚悟ができている、お前はどうじゃ?」と天下一統を成し遂げるための覚悟を問いかけます。家康は発言こそしませんが、今の彼は二人の思いに応えることができるでしょう。
 信玄の「弱き主君は害悪なり、滅ぶが民のためだ」との言葉は、理想を語るならば実力を伴わなければならずその努力が欠かせないということです。今ならば彼の言葉の真意も分かります。だから秀吉の「天下はどうせおめえさんに取られるんだろう」という簒奪を仄めかす言葉も、仕方のないこと、悪名を受け入れなければ、事はなせないのだと静かに受け入れられます。


 そして家臣団たちと夢を追いかけた日々と紡がれた絆は、彼に天下を取る夢を託します。家康はそれを裏切ることはできません。そして天下人を目指した男たちの野心と忠次の「天下を取りなされ」との言葉が、家康の心の中で重なり、天下人として焦点が合った瞬間、彼は調合した「苦い薬」をぐびりと一口飲むと、一拍おいて一気に飲み干します。
 天下を目指した数多の先人たちの覚悟と孤独と願いと現実を思い返した上で、天下人が抱えなければならない負の全てを引き受けた瞬間です。その天下人の抱える負を「苦い薬」とかけて、飲み干すという無言の動作に込める表現がグッときますね。そんな家康の憂いの濃い万感の表情に朝日が射しこんできます。いよいよ、天下人家康の夜明けです。



 一同を前にした家康は「これより我らが一丸となり、豊臣家と秀頼さまの御ため、力の限り励まねばならぬ。天下泰平乱すものあれば、この徳川家康がほうっておかぬ。よろしいな?」と大号令をかけます。その真意がどこへ向いていくのか、それは今後の天下次第です。

 そして家康の弁を伝え聞き「よきにはからうがよい」と述べた秀頼の脇にいる茶々は微かにほくそ笑みます。その真意も気になるところですね。




おわりに


 三成の唱えた夢は、一旦治まった天下を再び乱世にすることなく、平和的に収める家康の一縷の望みでもありました。しかし、一方でそれが上手くいかない現実を知る家康は粛々と自身が天下人になる算段も整えていかざるを得ない。親友になれると信じた三成への思いも含めたその葛藤は、天下人家康へと覚醒する前の最後の人間らしさだったのかもしれません。

 そして、家康の真意に気づきもせず、暴走した三成が合議制を自戒させていく様、各大名の膨れ上がった野心、秀吉の残した負の遺産たちが、秀吉の死によって一気に噴き出しました。それらが、戦嫌いの家康に、再度、力による天下一統を決意させる、心ならず天下人への道へ踏み込んでいかせるというの興味深い構成でした。

 瀬名の願った「厭離穢土 欣求浄土」のため、彼は自分自身も犠牲にする覚悟を決めたのです。その悲壮な覚悟の先に幸せがあることを願うばかりですね。

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