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「光る君へ」第16回 「華の影」 栄華と疫病が人の本性を炙り出すまで

はじめに
 栄枯盛衰…栄えることと滅びることは常に紙一重です。栄華の中にこそ、滅びの種は潜むもの、「華の影」というサブタイトルはそうした世の理(ことわり)を表していますね。
 そう言えば、前回のサブタイトル「おごれる者たち」、「おごれる者」と来れば「久しからず」と頭に浮かびますよね?中学時代に「平家物語」の冒頭部分の一節を暗誦させられ、今なお記憶している方も多いでしょう(笑)

 この一節を象徴する「盛者必衰」(じょうしゃひっすい)…栄えるのも必ず滅びるという仏教語、中関白家はまさに世の無常の渦中にいます。第16回は、第15回を受け、中関白家の命運を描いています。さながら、それは、後の世の平家一門と同じく。人の世は繰り返すのです。
 にもかかわらず、当人たちはそのことに全く気づこうともしません。何故、こうなってしまうのでしょうか。そこには、人の本性が隠されているように思われます。

 また、今回のトピックの一つは疫病です。生と死が紙一重、隣り合わせと実感させる疫病は、今なお静かに続くコロナ禍を生きる私たちにも身近なものがありますが、ドラマ的にはこのことがまひろと道長を再びつなげます。この巡り合わせについて、少女漫画的ご都合主義と思われたかもしれません。しかし、疫病という異常事態に対する二人の感じ方は似ています。そんな二人が、広い都に二つしかないと言われる悲田院で出会ってしまうのは必然です。疫病をとおして、二人の本性は再び響きあったのですね。

 そこで今回は、栄華と疫病、相反する二つの事態が、いかにして人の本性を炙り出していくのかを追ってみましょう。



1.雅やかな登華殿サロンに対する若手貴族たちの反応

 オープニング後に展開されるのは、「枕草子」でよく知られる香炉峰のエピソードです。雪の日、定子は余興に、清少納言に「香炉峰の雪はどうか」と白楽天の漢詩をネタ振りします。定子の問いかけに、清少納言は黙って御簾(みす)を上げ、漢詩の一節「香炉峰雪簾撥看(香炉峰の雪は簾を撥かかげて看みる)」(意訳:香炉峰の雪は簾をかかげて観賞するものだ)をそのまま実行してみせます。清少納言の粋なはからいに定子が感心するというのが、「枕草子」における概要です。ここに、同じく「枕草子」にある雪山を作るエピソードも加えて、より華やかに楽しいものとして描いたのが、「光る君へ」の香炉峰の雪の場面です。


 本作の清少納言、ききょうも定子の問いかけに鮮やかに対応し、彼女が促した先には美しい雪の庭の光景が広がります(カメラが効果的でしたね)。漢籍を使った定子の問いかけと応ずるききょうの機転が興を添えます。定子の「見事である」の褒め言葉にぱあっと明るくなるききょう、「中宮さまのお問いかけにお答えでき、ほっといたしました。いつもこのように参るかはわかりませぬが」と定子のいたずら好きに応じるのは大変と仄めかしながら、照れ隠しで謙遜する姿にはお慕いする主君に褒められた無上の喜びが窺えます。見え見えの謙遜に微笑する定子も心の底から楽しんでいる様子、一条帝に雪遊びを提案、伊周に雪山を作るよう促され、定子も一条帝も履くものも履かず、雪庭へ躍り出ます。

 帝と中宮に倣うよう伊周に促され、戸惑っていた公任、斉信、行成も結局は、それぞれにこの雪を楽しむこととなります。元々、遊び事が嫌いな性質ではありませんから。雪山を築くことに躍起になっているところに公任に冷たい雪を顔に当てられ、行成にまで襟元に雪を入れられた斉信の「ヒャッ!」という甲高い声は斉信というより、演者の金田哲くんそのものに戻りかけていましたね(笑)こうして、それぞれがときに知的な機微を堪能し、そして実際に戯れながら、登華殿の雅な空間が彩られていることが象徴的に描かれました。


 しかし、この場面、始まる前に「登華殿は華やかさを増し、若者たちを積極的に招いていた。弟の隆家も加わり、中関白家は帝との親密さをことさらに見せつけた」とのナレーションが、わざわざ挿入されています。一見、華やかな戯れ(一条帝や定子、ききょうにとってはそうなのでしょうが…)が、あくまで中関白家による独裁を柔らかく浸透させ、若い貴族たちを懐柔させる政治的工作であることが強調されているのです。

 そもそも、前回のnoteでも触れたように、登華殿のサロン化は道隆の専横に対する不満が後宮にまで流れていることを懸念した貴子の発案によるものです。貴族たちも直接的な政の場では関白道隆への反発もありますが、帝に対する不満があるわけではありません。むしろ、真面目で教養も深く、芸事にも長けた若き帝に取り入りたい若い貴族たちは多くいます。気軽に登華殿に招き入れ、帝と過ごす雅の世界の虜にし、中関白家のシンパを作っていく…中関白家の知恵袋でもある貴子は、若者たちの憧れと野心を上手く利用しようというわけですね。


 ですから、一条帝や定子が心からこのサロンの雅な戯れを楽しんでいたとしても、その裏には中関白家の専横のための野心が潜んでいます。斜に構えた中関白家の次男、隆家が、我が家のため参加はしているものの、どことなくその雅をせせら笑い、皆が楽しむ雪遊びも「何が面白いのか」と一人加わらないのも、この雅な戯れが所詮は上辺だけのことで実態がないことをわかっているようにも思われます。勿論、隆家が中関白家には似合わない、教養ごとに関心が薄い武骨な人柄であることも仄めかされてはいますが、それはあくまで一面でしかありません。後の場面でわかりますが、中関白家の中で誰よりも、我が「家」の栄華を冷ややかに見ているのが隆家です。ですから、この余興も冷めた目で見ているのでしょう。


 また、同じく、この様子に馴染めず、挨拶することなく、この場を去っていったのが道長です。人知れず登華殿にやってきた彼の用件が何だったのかは不明ですが、現れた彼はこめかみに指を遣る仕草で思案顔でした。おそらく前回、道隆に取り合われなかった登華殿の設え替えを公費で賄う件に関してと思われます。しかし、帝一同、戯れに熱狂している最中。無粋な真似はしたくないという配慮から去っていきます。
 といって、中宮大夫として、政務に携わる公卿の一人として目の前の諸事に頭を悩ます彼は、公任らと共にとりあえず混ざって戯れるような気にもなりません。ここには現実の政と登華殿サロンとの温度差が感じられますね。極めて政治的でありながら浮世離れしている…それが登華殿サロンなのでしょう。



 では、登華殿サロンが目的とする懐柔策の対象、当の若き貴族たちはどう思っているのでしょうか。雪遊び後、公任、斉信、行成の気の置けない酒宴で、その本音が語られます。まず、行成は「帝のお美しさが今、胸に浮かびます…」とうっとりと思い返しています。彼は冒頭で「古今和歌集」の写本を一条帝に献じていますが、その美しさを一目見て気に入った彼に微笑みかけられ、心奪われた顔をしていました。
 一条帝は、中関白家に政治的に肩入れするつもりがあってサロンにいるわけではありません。ただただ、寵愛する定子と心穏やかに過ごすために登華殿を訪れているに過ぎません。その思いに邪心はありません。行成が、その涼やかで知的な様子に惹かれるのも、仕方のないところ。


 この行成の反応にやや驚いたように「お前、道長じゃなかったのか?」と聞く斉信が興味深いですね。以前より行成は、道長に対して写本やら情報を伝えるなど何かと気にかけ、献身的でしたから道長推しなのはあからさまでしたが、仲間内では(鈍い道長を除いて)公認のことなのですね。その言葉に悪びれることもなく「道長さまは道長さま、今日は…帝に魅せられました」とさらりと答える行成には、彼なりの推しへの信念が窺えます。
 行成の眼鏡に適うような「いい男」は、そうそういるものではないのでしょうが、どの「いい男」でもそれぞれの良さを見出し、献身していくのが行成のスタイルということでしょう。ききょうとよく似ているという点では、共感できる方々もいらっしゃるのではないでしょうか。

「なんだそれ」と斉信は理解しがたいようですが、行成はこの信念ゆえに道長に重用され、その一方で誰よりも一条帝の信任を受け、二人の間の緩衝材のような働きをもしていきます。心映えも才も豊かな行成の生き方は、ある意味ではオタクの鏡と言えるでしょうね。


 行成ほどのではないにせよ、帝が涼やかたることに異論はない公任は、それだけに「しっかし…帝の御前で伊周どのあの直衣(のうし)は許しがたい」と苦ります。直衣は、束帯がフォーマルなのに対して、カジュアルな装いです。いかに帝と中宮の私的な場とはいえ、御前にラフな平服でいるのは、無礼なことなのです。
 また「陰陽師0」でも描かれていますが、平安期は高貴な方ほどラフな格好をします。伊周は、自らが高貴な人間であり、公任らとは格が違うのだとビジュアル的に見せつけているわけです。公任が、苦々しい口調なのは、そのあからさまな傲慢さが鼻につくからですね。


 公任の愚痴に「帝がお許しになっているのだから、どうにもならぬが…」と諦め顔の斉信は、登華殿サロンが「中関白家は帝との親密さをことさらに見せつけ」る政治的パフォーマンスであることを、ある程度正確に捉えているのが興味深いですね。

 そう言えば、余興も酣(たけなわ)な中で定子に雪玉をぶつけられたときの「ああ…うれしゅうございます、中宮さまぁ」と声をあげていまうが、あれは宮仕えの哀しさゆえに振る舞いだったのですね。因みにこのカット、斉信のバックに思わずその場を見てしまった道長の呆れ顔がロングで映り込んでいて、ますます斉信の道化ぶりが窺えます(笑)たとえ、垣根をはらった無礼講と言われても、上司や先輩のご機嫌を伺うのが世の常、平安期も現代も変わりません。

 にもかかわらず、ラフな格好でいる伊周…それは帝との親密さとそれを背景にした中関白家の権勢を見せつけるための意図的なものです。伊周は、要所、要所で公任らにプレッシャーをかける。こうした駆け引きだけにはセンスがあるようです。

 それは、あのサロン内での仕切りが、伊周主導であったことからも察せられます。あの場では権大納言である伊周がもっとも身分が高いので、仕切るのは自然なのですが、越前からの鏡を定子に献上した斉信に「おなごへの贈り物に慣れておられるのやも」と、心遣いを媚びと見なす上から目線の揶揄をするなど挑発的です。また、帝と中宮がやっているからと、雪遊びをするよう半ば命じるように促したのも伊周です(言葉こそ丁寧ですが)。彼は、サロン内で常に若手貴族らのマウントを取り続け、自分の優位を見せつけています。

 中関白家の権勢を誇示するという目的を的確に最短で達成する器用さは、伊周の頭の良さですが、それは他人の心を慮らないからこそできることです。懐柔するには、相手の気持ちを汲み、相手を優先し、取り込まなければいけません。自分を優位に見せる意向だけ先行させる振る舞いは、結局、公任に「関白家は皆、自信満々で鼻につく」と言われ、嫌われるだけです。貴子がサロンに託した人心掌握というもう一つの目的は到底、達せられません。

 若手たちの誰も伊周を有能な中関白家の嫡男とは見てはいません。「俺にも娘がいたらなぁ…」という斉信の言葉は、伊周の振る舞いは中宮の威を借るに過ぎないと思われていることを象徴しています。結局、入内させた娘の寵愛だけが権勢の鍵であることを証明しているのが伊周です。せっかく、帝の魅力と定子の心遣いで雅やかとなった登華殿サロンも、伊周の人望の無さで十分には機能していないようです。このことは、嫡男、伊周の言動が中関白家の命運を大きく変えていくことを示唆しています。第16回で注目すべき人物は、伊周ということになるでしょう。


 因みに斉信は「道長はいいよ、その気になれば娘を入内させられる」と、道長を羨んでいますが。当に土御門殿では、現状、その気がありません。倫子は「彰子を入内させようなんてお考えにならないでくださいね」と生まれた嫡男、頼通を抱く夫、道長にやんわりと告げます。彼女は、「家」のために花山帝に嫁ぐことを、自らの幸せではないと拒絶した女性です。その結果、想い人との幸せを手に入れたのですから、彼女が娘に同じように思うように生きてほしいと願うのは当然でしょう。彼女はこれ以上の栄華を望んではいません。十分に裕福な上流貴族である彼女は、それゆえに足ることを知っているのかもしれませんね。


 彰子の人見知りの性格から「案ずるな、この子に帝の后は務まらん」と応ずる道長も、詮子が入内によって見舞われた悲劇を知り、入内は女性を不幸にするだけだと公任らを前に発言しています。娘を犠牲にしてまで富貴を求めることは、彼の本音ではありません。彼は若い頃から自身の欲には執着しないところがあります。例外はまひろのことだけですが、それも政治的野心とは無縁です。彼もまた心のままに生きることを望んでいます。まひろとの約束がなければ、土御門殿への婿入りも進んでは選択しなかったでしょう。
 ですから、「ぼんやりしているのは俺に似たのだな」としみじみ言うと「このままでよい。このまま苦労なく育ってほしい」と願うように呟きます。彼は、人の世が哀しみに満ちていることを直秀の理不尽な死、まひろとの哀しい別れから実感しています。子どもたちだけは、自分の心のままに、哀しみを知ることなく生きてほしいと願うのは、自然な親心と言えるでしょう。


 夫婦の思いが一致し、夫の心根を改めて知った倫子が、道長に向ける眼差しが熱いですね。惚れ直した、あるいは今なお道長への想いは熱いままなのでしょう、「殿のように心の優しい人に育ちますように」と娘を慈しむ言葉にも夫への想いが溢れます…まあ、だからこそ、夫の心に住む女性を殊更に気にすることにもなるのですが(苦笑)
 なんにせよ、道長夫妻にとって、中関白家の栄華は何ら羨むべきものではないようですね。その専横で殊更、敵を作り、サロンによる懐柔策も伊周の傲慢な態度で反発を買う。そして、公財を私的に流用して悪びれもしない浅ましさ。中宮大夫として公卿として誰よりも内実を知る道長には、その繁栄が、幸せと直結しているようには見えないでしょう。

 にもかかわらず、道長はこの夫婦の会話を反故にして、彰子を入内させ、その権力を確立させていきます。それが史実です。本作の道長は、権謀術策に生きた父の孤独な死も中関白家の専横が招く内裏の不協和音も間近で見ています。野心に生きる空しさもよく知るはず。ですから、そこに至るまでに何があったのか、どういう思考の変遷があったのかは興味深いものになることでしょう。


2.伊周という男~中関白家の未来~

(1)他者へ向ける傲慢さ

 公任ら若手から不興を被る伊周はどのような人物へと育ったのか、改めて確認してみましょう。伊周は、中関白家を担うために生まれ、そうなるべく母、貴子から漢籍や和歌といった教養も、弓などの武芸も一流になるまで仕込まれてきました。生来の資質だけでなく、当人もたゆまぬ努力をしたのでしょう、貴子の溺愛の贔屓目はあるにせよ、それらはまず一流と言えるものであるようです(第13回)。
 もっともその和歌、盗み見みた定子からは「ちっともときめかないけど」と酷評されています。そして、その軽口に「あれは最高」とムキになって返答するところに、彼のプライドの高さと自分の才に酔う性質が窺えます。定子の評は軽口の類いですが、家族間に晒してネタにしようとした点、伊周のプライドの高さから見て、形は整っていても中身が伴うかは差し引いて考えたほうがよさそうですね。


 さて、貴子から仕込まれたのは、貴族としての一流の文武だけではありません。貴族の頂点に立つ中関白家の嫡男としての心構えもまた幼い頃から言い含められていることが、彼自身によって言及されています。平たく言えば、自分は我が「家」の繁栄のために生きており、「家」のために身を捧げるのだという意識です。そのため、彼は自身の婿入りも、自らの意思よりも「家」のためになる計らいを両親に任せます。
 一見従順なだけにも見えますが、こうした態度は、一重に自分の属する中関白「家」こそが、貴族の頂点に立つ家柄であるという自負があればこそ。自身と「家」に対する揺るぎない思いが、伊周の中で醸成されているのです。

 その傲りは、他人や他家を見下す言動へとつながりますが、それは晴明と引き合わされた宴席の場という初登場のシーン(第11回)にも端的に表れています。このとき伊周は「父は笑裏蔵刀でございます。顔は笑っておりながらも刃を隠し持っておりますぞ、お気をつけなさいませ」と、ことさら賢さをひけらかすような気取った言葉(第11回)で初対面の晴明に脅しをかけています。

 最初から三浦翔平くんが演じていたので忘れがちですが、このとき伊周は12歳。この頃から気取り屋で初対面の相手に自身の家柄を傘にマウンティングをするような面があったのです。ただ、おそらく彼に悪気はないでしょう。ただ彼にとって下々の者とは、自分たちに仕えるのが当然の存在だと思っているだけです。そこには、下々の者たちの考えを慮る思考はまったくありません。彼の傲慢さは、中関白家で下にも置かれることなく育てられ、自信だけを持たせられてきた結果でしょう。
 相手は処世術に長けた老獪な晴明。おためごかしでその場をやり過ごされましたが、彼が伊周の人となりを見てわずかに軽蔑した表情をしたことは見逃せません。人を見、「この国の未来」を憂う晴明には、この時点伊周の器量と先が見えたのでしょうね。


 そんな何年も前の晴明の見立ての正しさをある程度証明してしまうのが、今回の伊周です。雪の日に公任たちに不快な思いをさせた伊周は、その後も相変わらず、登華殿に入り浸り、サロンの雅を謳歌、一条帝の笛、定子の琴に合わせて優雅に舞っています。そこには道隆も同席しており、サロンに箔をつけています。

 本作では、伊周が政務に励む姿は、描写されていません。ひたすらに中関白家の権威を高めることだけに余念がないという姿だけが挿入されます。登華殿で舞うのも、サロンの権威づけのためです。中宮大夫として執務室に詰め、書類を前に黙々と実務をこなす道長とは対照的です。役目が違うとはいえ、道長と伊周はこの時点では同じ権大納言。公私を分ける道長と公私の区別もなく我が「家」のみしか頭にない伊周とでは、その姿勢からして違っていると言えそうです。伊周の目線は上にしか向いていません。それこそが高貴な者の特権ということでしょうか。

 さて、傍らでは隆家が、くだけた座りかたで、面白くなさげに酒を飲んでいます。伊周はその様子を認めると、舞いを止め、居丈高に「舞え」と命じます。やる気なく見上げる隆家が、遠慮するのを見ると、再び「舞え」と強要します。伊周からすれば、常に雅であらねばならぬ登華殿の空気を読めとたしなめる意味もあったと思われますが、その高圧的な物言いには隆家は不満げです。一々、角の立つ言い方をすることが、家族に向けられることを見るに、伊周の傲慢な振る舞いは、無自覚な倣い癖、日常的なものであろうと察せられます。

 流石にそれを両親に向けることはないでしょうが、一方で彼らが伊周の自信過剰な言動を咎めることはあまりしないのでしょう。道隆に至っては、伊周のマウント取りの言動を若者らしい覇気と目を細めるばかりです。誰もこの嫡男に諫言することはなく、気を遣い言いたいことも言わない。それが常態的になれば、彼の増長は日増しにますばかりでしょう。隆家への接し方には、晴明との対面後も高慢な態度は改められることはなかったことが端的に表れているのです。


 隆家は、兄の傲慢な物言いが今に始まったことではなく、また自分の意見を曲げないこともよくわかっているのでしょう。仕方なしに傍らに控えるききょうから扇をむしり取ると、不承不承舞うことにします(扇を取られたききょうが「あ…あ…」と慌てるのがかわいいですね)。騒々しく舞い始め、叔父の道綱と伊周を挑発し、あからさまな当てつけを繰り返します。

 ただ、荒れる隆家の男っぽい舞に対しても、それを察して、さらりと琴を合わせ爪弾く定子、そして定子の琴に応ずる帝の笛は流石です。二人の音曲に包まれ、そこに伊周が対手として舞い、再び場は雅の世界に戻ります。帝らの存在が、伊周の傲岸さや隆家の不満を包み込み、サロンは雅を成立させていると言えるでしょう。伊周は、自分は雅の一端を担っていると思い込み、自信を深めていますが、実はそんなことはないのですね。


(2)美辞麗句だけの伊周の不遜な態度

 さて、そこへ現れたのは詮子です。彼女は既に東三条院という史上初の女院になりましたが、帝との対面が久々であることからすると、この女院の院号贈与は、前回noteで推察したとおり、道隆による詮子を帝から「敬して遠ざける」策の一環だったようです。

 詮子が騒がしい隆家の舞に遠くからでも気づかないはずがありません。それでもわざわざ御前に参って、遊興に耽る一同を一瞥するよう見回し、「邪魔をしたようだ」と引き下がる態度を見せつけるのは、一条帝を取り込み、政治的に利用する関白道隆に対する非難を示すためです。ただ、これだけの言動でも、詮子と道隆の駆け引きの緊張感が窺えますね。


 そこへ「女院さま、お待ちください」と横槍を入れ、詮子を一条帝の傍らに座るよう強引に促すのは伊周です。慇懃に頼まれては大人げない態度を取るわけにもいかず、仕方なく詮子は腰を落ち着けます。緊張するように挨拶する定子を無視したまま「騒々しい舞は何事でございますの?」とニコリともせずに詰問します。要は、品位もなく戯れに時間を費やすとは帝としての自覚はあるのかというお叱りですから、久々に会って叱られた一条帝の表情は曇ります。
 勿論、詮子の言葉の本当の標的は息子ではなく、道隆その人です。母が息子を叱る体では、周りは口を挟むことが憚られます。それを利用して遠回しに道隆たち中関白家一同を下品な野心家と非難しているのです。詮子は、以前にもこの方法で定子を遠回しに叱っていますね。


 場が重苦しくなる中、帝の母たる詮子へ「お上の笑みが消えてしまわれましたよ」と小馬鹿にするように一笑に伏したのが伊周です。人の上に立つために育ち、親の期待に応えてきた挫折知らずの伊周は、他者を恐れることを知りません。まして、実質的に失脚しているようにも見える女院など、不敬の言質さえ取られなければ恐れるに足りない。だからこそ、大胆にも詮子に物申せるのです。

 仮にも国母へ言い返すこと、道隆は「伊周」と一応、たしなめるように呼びかけはしますが本気ではありません。彼にしても、自分に向けられた詮子の非難は苦々しいですから、ここは文武両道の期待の息子に任せようというわけです。


 ふわりと優雅に立った伊周は「お上と中宮さまの後宮は、これまでと違う新しき後宮」と暗に詮子は時代に遅れた人間と指摘すると「ここでは誰もが楽器を奏で、誰もが歌い、舞う。お上との間の垣根を取り払い、誰もが語らうことができる。これこそがお上がお望みになる後宮の新しきお姿にございます」と美辞麗句を立て板に水の流れるごとく並べます。

 伊周は、文武について一通り人並み以上にできる優秀な人間です。また、父の政の遣り口も見ていることでしょう。また、少年のころから機先を制したマウンティングも得意としています。ですから、絶妙なタイミングで、隙のない理屈で相手をやり込め、強引に自分の理屈へ引き込む技術には長けているのです。思えば、道長を弓競べに引きずり出した挑発も彼の心理を突いていましたし、公任らが伊周に乗せられるように雪遊びをすることになったのも、帝と親密になりたい彼らの気持ちを捉えていたからです。中関白家の権勢あってこそとはいえ、彼の才覚もあるのです。


 しかし、彼がここで語った登華殿サロンの理想は、表向きの理屈としては正論ですが、実際は中関白家の権勢を見せつけること、彼らの優位が前提とされたものです。中関白家はこの栄華を他者と分かち合う気などさらさらありません。つまりは、中身のない詭弁です。現代にもいますよね?中身の伴わない上手い物言いをタイミングよく言うことで民衆を惹きつけ誘導していく駆け引きにだけ長けた政治家モドキが。あれを思い浮かべていただけると、伊周をイメージしやすいでしょう。ポピュリズムに寄った政治家らしさを持っていると言えるかもしれません。


 さて、この伊周の言葉に微笑する道隆の表情には、流石は我が息子、見事、我が意を語ってくれたという満足が隠し切れません。カメラはききょうにもフォーカスしますが、元より推しの定子と過ごすこの場に貴族社会の最先端、理想を見る彼女には、伊周の言葉の政治的裏など見ようはずもなく、薄く笑みを称え様子見を決め込んでいます。伊周の文言が表向き正論なだけに感情的になるわけにもいかない詮子は、一条帝の反応を見やりますが、彼は伊周の理屈に一定の納得を覚えているような様子。
 中関白家の遣り口に取り込まれている息子を見ては、今は反論しても効果的でないという判断をするしかありません。一寸、息子を心配する表情も浮かべますが、口にすることはなにもありません。


 自分の美辞麗句で場の空気を支配できたこと、詮子に返す言葉がないことを確認すると、ふわりと座り「どうか女院さまにもそのことを…お分かりいただきたく」と慇懃な言葉と共に一礼します。伊周が若いというか、みっともないところがあるとすれば、この瞬間、勝ち誇ったドヤ顔をしてしまうことです(苦笑)国母詮子への侮蔑、そして自分の策で詮子の口を封じたことに酔う自負、そうしたものがあからさまになっていますね。
 言い負かしたとはいえ、それはこの場のこと。油断なく、そうした顔は押し隠し、詮子のご機嫌取りをするくらいで、バランスがとれるというものです。そうした腹芸ができず、勝ち誇り、敵を作ってしまうのが伊周の人徳のなさでしょう。平たく言えば、彼は自分本位で思いやりがないのです。

 ですから、伊周の言葉にせめてもの矜持と押し黙り、彼の言葉に首を縦に振らず、屈辱に耐える詮子の気持ち、そしてそれによって、この場の空気がヒリヒリした緊張感に包まれていることを、伊周自身は気にもしないでしょう。彼は上手いことやったと満足していますから。実際は、その後「後宮はかくあるべきと女院さまに説教したんだからみんな凍りついたよ~」と道長に語った道綱の「あわわわわ」という反応のほうが妥当です。定子も目を伏せながら、固い表情の詮子に「お願い申し上げます」と遠慮がちに言葉をかけるくらいしかできません。

 当然、詮子は伊周にやり込められ、恥をかかされたことを決して忘れはしないでしょう。道隆の死後、伊周を推す線を伊周は自ら潰してしまったのです。


(3)伊周の政治家としての資質

 第16回終盤、伊周は、道長始め3人の権大納言先任者を出し抜き、内大臣へと異例の出世を果たします。更には伊周の権大納言後任には、伊周の異母兄である道頼が就いています。つまり、この人事が、道隆による中関白家の権勢の強化、及び伊周への政権移譲の準備であることが窺えます。伊周は、こうした父の目論見について、疑問を持つこともなく、寧ろ当然のことだと思っている節があります。それが顕著に表れるのは、伊周が、上司であり、叔父でもある右大臣、道兼に挨拶をする場面です。

 ここで伊周は、道兼に「何分未熟者ゆえ、お力添えいただきたく」と言葉をかわします。言葉自体はそれほど間違っていませんが、彼の実務経験の少なさからすれば、もう少し謙虚な言葉選びでもよかったように思われます。相手は長年、政務に携わってきた上司ですから「お教えください」「よろしくお引き回しください」と教えを乞うのが妥当でしょう。しかし、彼は「急な昇進で反発もあるだろうから、自分のやることに協力してその反発から守れ」と言っているのですね。


 伊周には、その地位に相応しくなれるように学ぶ気はなく、ただただその地位が持つ権勢を享受しようということしかありません。ここには、中関白家の嫡男である自分であれば、その地位にあるだけで立派な政治家になるという根拠のない自信が窺えますね。ただ、享受するには貴族らの反発に対する露払いがいるということです。

 ですから、「叔父上とこうして話すのはいつぶり…」などと情に訴えかけるような話を振るのです。勿論、伊周に道兼との旧交を懐かしむ気などはなく、道隆によって右大臣まで昇進した道兼は情に訴えれば協力するだろうと甘く見ているだけです。そこには、道兼に対する敬意はありません。政敵になるとも思っていません。道兼の使い道は親族として盾になってもらうことだという割り切りがあるだけです。
 おそらくは、この挨拶自体、道隆の入れ知恵でしょう。道隆は、道兼が摂政家の汚れ役であることを既に話してあると思われます。結局、ここでも伊周は、相手を慮ることなく、自分の都合だけ語る傲慢な物言いをしていますね。 

 一方、こうした伊周の慇懃無礼に対して、道兼は怒ることもなく穏やかです。第15回の道長とのやり取りによって、父と「家」の呪縛から解き離れ、どん底から這い上がってきた今の道兼は憑き物が落ち、何か一皮剥けたような風格さえ漂っています。

 自分への協力のため道兼の情に訴えかけようとする伊周の言葉を制して、道兼は「お前は疫病のことをついてどう思っておる?」と現在、都を騒がす窮状について問いかけます。既に公卿たちは、幾度となく関白道隆に疫病対策をするよう提言をしていますが、道隆は無視し続けています。そうした現状を踏まえた上での、道兼の問いかけですから、この言葉は額面通りの意味だけでなく、内大臣という地位に就こうという伊周の政に関する信念と覚悟を問うたのですね。だから、21歳の若さであることを理由に子ども扱いすることはせず、伊周の目をきちんと見据えて真面目に聞いているのです。


 兼家の駒として盲目的に働いてきた道兼は、親族の情、我が「家」の繁栄のためだけに政を行うことの危うさと空しさが身に染みています。裏切られ捨てられた道兼を救ったのは、道長という弟の情ですが、それに甘えていけないことも兄としてわかっているはずです。また本作の彼には、もはや繁栄させる「家」はありません。それだけに、政には、現実の危機を直視し、それを解決しようとする強い心が必要であることが見えてきたように思われます。だから、彼は伊周の情に訴える甘えの言葉を遮ったのです。


 しかし、伊周は「それについては父上が策を講じております」と特に自分には考えはなく、父任せにしておけばよいと自信満々に言いきります。主語が「関白」ではなく、「父上」であるところに中関白家内での教えに対する妄信が窺えますね。その「父上」は比叡山への祈祷以外に具体的な策はしようとすらしていません。つまり、その傲慢さから現実を見ないばかりか、肝心なことには父に頼りきりの思考停止、それが伊周という人間の本質です。厄介なことは、なまじ優秀なだけに自負と自尊心で、自身の愚かさにはまるで気づいていないことです。

 加えて、「それに貧しい者がうつる病ですゆえ…」というところで、薄ら笑いをすると「我々は心配ないかと存じます」と嘲るように答え、疫病を他人事のように語ります。つまり、彼は民に対してまったく関心がないと明言したのです。彼が下々の者への思い遣りに欠ける人物であることは、今回のnoteでも言及しましたが、それは、そもそも関心がないため、思い遣りなど湧くはずがないということだったのですね。
 当然、民に自分たちが支えられているという認識もないのでしょう。ですから、民の疲弊は自分たちの足元を危うくする、その可能性も考えたことがないと思われます。


 伊周にとって、世の中とは内裏の中だけに存在するものなのでしょう。だからこそ登華殿サロンを盛り上げることだけに力を注げるのです。中関白家の繁栄と栄華、その獲得と維持にしか関心がありません。公費を登華殿の誂え替えに投入しようとする姿勢も、公費が民からの税収によるものであるという意識がないところによるでしょう。

 常に上の世界だけしか見ていない彼には、自分たちの栄華を支える足元がまったく見えていないのですね。いや、見えていないことにも気づかず、自分が何もかも知った気になって、正論めいたことを語っているだけというのが正確でしょう。だから、伊周はその傲慢さで敵を作り、恨みを買っていることも、自分自身の人徳のなさにも気づけません。豊かな教養も、冴えた才覚も周りや足元の現実をまったく見ようとしなければ、それらは空回りするばかり。残るのはペラペラの人間性のみです。


 道兼が「そのような考えで内大臣が務まるとは思えんが…」と呆れたように絶句するのも当然でしょう。政とは、民から集めた税収による富の再分配がその中心にあります。ですから、ある程度の公正性と公平性が求められ、民もまたその再分配の恩恵に何らかの形で供与されます。ですから、今回のような疫病や災害などでは、食料や薬剤の備蓄を分け与える、人材のリソースを割く必要が出てきます。徳治とも言われるこうした民の危機への慰撫の政策は、結果的には政権を安定させることにつながります。

 かつて兼家は「民に阿るな」「民を知れば思い切った政策ができなくなる」と道長に語り、政治の非情さについて言及していますが、それは無暗に民に優しい道長に対しての苦言です。民をまったく無視し、見なくてよいということとは同義語ではありません。十分とは言えないでしょうが、兼家なりに心は配ったでしょう。でなければ、あの志の高い実資が「好きではないが」兼家の味方をすることはありません。


 さて、苦言を呈する道兼に「叔父上は何かよきことをなさったのでしょうか?このまま何もなさらないのも悪くはないと存じまする」と汚れ役が偉そうなことを言うなと嘲る伊周の捨て台詞は、その自己中心的な傲慢さと無自覚な浅はかさを象徴しています。伊周は、兼家の上昇志向と非情さだけを特化して受け継いだようです。
 そして、彼の民に関する言動は、道隆のそれとほぼ同じです。伊周は、政治的な理念は、道隆を丸写しで思考停止してしまっています。つまり、中関白家の未来である伊周は、道隆の劣化コピーと言えるでしょう。子は親を映す鏡とは言ったものです。

 それでは、内裏の火事、そして疫病によって露わになっていく道隆の人間性とは、どんなものか。疫病に対する道長たちとの違いも含めて、見てみましょう。



3.それぞれの疫病への対応の仕方

(1)まひろが悲田院を離れなかった理由

 今回のまひろについても簡単に見ておきましょう。疫病がパンデミックに陥ったとき、両親が罹患、そのまま悲田院から帰ってこず、途方に暮れるたねが、まひろのもとを訪れます。これをきっかけに悲田院を訪れたことが、まひろが疫病と真正面から向き合うきっかけです。鼻を突く臭い、おびただしい数の患者があたりかまわず倒れ伏し、苦しんでいるその凄惨さは、仮にも貴族の娘であるまひろには、耐え難いものであったはずです。

 それでも、悲田院へ分け入ったのは、教え子のたねのためでしたが、そのたねも疫病に倒れ、まひろの必死の看病も空しく、亡くなってしまいます。亡くなる直前、たねが熱に浮かされながら、まひろと学んだ文字を呟きます。おそらく文字を書く夢を見ているのでしょう。彼女を励ますように、その続きを唱えますが…そのうちこと切れます。乙彦に「お嬢様…もう死んどります」と言われるまで、それを続けているまひろが痛々しいですよね。

 彼女の「民に文字を教えたい」という志は、既にまひろ自身の無知から手折られていましたが、たねという唯一の教え子を失ったことで、完全にその思いは無に帰してしまいました。幼い教え子と共に自身の夢を失ったまひろに残されたのは、喪失感からくる哀しみとまたも自分が何もできなかったという無力感だけです。
 おそらく、たねの死で、母ちやはの死、直秀の死も脳裏に浮かんだことでしょう。不思議なことにまひろはいつも大切な人の命を思わぬ形で失います。それは、まひろにはどうにもできない事情によるものですが、それでも、目の前で失われる命になにもできない事実は彼女の心を苛みます。


 ふと見渡せば、悲田院に来たときに水を欲しがった少年が床に寝かされ、苦しんでいます。どこを見ても、苦しむ人ばかり。まさに地獄絵図です。たねや少年、幼子たちも多くいます。ひたすらに自分の無力に打ちひしがれるまひろですが、それだけに何か一つでもできることをしたいという思いにかられます。彼女の「民を救いたい」という思いは、まだまだ幼稚で未熟なもので形をなせるレベルではありません。それでもそのきっかけとなった出来事は彼女の心を深く捉え、信念の強さと純粋さだけは確かなものです。
 才があろうとなかろうと看病だけでもせねば、いられなくなり、彼女は悲田院から出られなくなってしまいました。看病しても次々と失われる命、それでも次こそは、次こそは、と子どもたちの看病を繰り返します。


 まひろがここまでしてしまうのは、実は物語冒頭、さわから投げつけられた言葉が大きいと思われます。夜這いにきた道綱にまひろに間違われ、自分は男性から好かれないとすっかり自信をなくしたさわは、ずっと溜めていた「自分にはどこにも居場所がない」という哀しみをまひろにぶつけてしまいます。

 最初の「蜻蛉日記の話のとき、わたしをのけものにしたでしょ」から、まひろには刺さりますね。勿論、まひろにそんな気はなく、オタク心が爆発しただけなのですが、さわの置いてけぼり感とついていけない寂しさも一理ないではないため、まひろは後ろめたい気分になります。まひろは自分の味方ではなかったというのは、実に勝手な言い分なのですが、彼女を親友と思うまひろには、さわを傷つけたことへの後悔が募るばかりです。
 もっとも次の「道綱さまもわたしではなく、まひろさまが欲しかったのです!」だけは、「は?」「え?」と訝しむように首を振るしかありません。そんな事情は全く知らないし、もてた経験のないまひろには信じられない、寝耳に水だからです。


 しかし、その後の「あたしのことなんかどうでもいいのです。そうよ、私は家ではどうでもいい子で、石山寺でもどうでもいい女だったの」と、誰にも必要とされないつらさ、そしてどこにも居場所がない哀しさには、さわへの申し訳なさとは違う、まったく別のはっとした表情に変わります。泣き出すさわの「私なんか生きている甲斐もない」を聞くに至っては、まひろの表情は放心状態にすらなっています。さわの言葉は彼女の思いの吐露ですが、あきらかにまひろにとっての図星になっていることが窺えます。
 結果、「これ以上、私を惨めにさせないでください!ほっといて!」と走り出すさわを追うこともできず、泣き出したくても泣けない、どうにもならないもやもやを抱えたまひろの哀しい表情をカメラはクローズアップで切り取ります。


 彼女はずっと無力です。道長と別れたあの日に囚われたまま、何年経っても一歩も進めていませんし、何もなしえていません。自分の「進むべき道」も見つかったかに見えたら、雲散霧消する有様です。道長に「自分の生まれてきた意味」を探すと言ったのに、それはどこにも見つかりません。さらに弟が擬文章生になり、我が家の支えとなったことで、自分の存在意義はますます薄れつつあるのが、今のまひろです。
 つまり、さわの「あたしのことなんかどうでもいい」と「私なんか生きている甲斐もない」は、まひろ自身が心の奥底で抱えていた思いだったのです。思わぬ形で、自分の正直な思いと向き合うことになったまひろは、衝撃のあまり、さわを追うことができなくなったのですね。

 親友と思っていたさわからの罵倒、さわを傷つけたうしろめたさ(半分は言いがかりですが)、そして気づいてしまった今の自分の哀しみの正体…帰宅した彼女の心に響くのは、寧子の「私は日記を書くことで己の哀しみを救いました」との言葉だけ。彼女は、さわへの文をしたためながら自問自答していたに違いありません。その苦しい胸中の中で、疫病に出会い、自らの無力感と志に突き動かされ、悲田院で終わりのない看病を始めてしまったのですね。そして、その行為自体が、彼女の心身を削っていくことになります。


(2)一条帝の志とズレていく道隆の専横

 さて、話を道隆へ戻します。
 内裏では、放火と思われる火事が相次ぎます。くすぶり続ける道隆の専横に対する不平不満が、目に見える形で表れたようです。道隆が、心配する貴子を「宮中への警護をより厳しくするよう命じたゆえ案ずるな」となだめ、不審火とはいえ、帝や中宮を狙ったものではないだろうと伊周も同調します。

 しかし、貴子は「されど我が家への妬みが帝や中宮さまに向かっているのだとしたら…」と不安はおさまりません。彼女は、以前、道隆への専横への不満が後宮の女官たちの間にすら漏れ、それが定子への不評に転じたことを知っています。それを聞きつけたからこそ、その不満を緩和させる策として登華殿サロンを整えたのです。それでも放火のような直接的な攻撃を防ぐものではありません。中関白家への風当たりに一番敏感な貴子が、懸念を口にするのは自然なことです。

 寧ろ、直接的に辣腕を振るい、平然としている道隆や伊周のが、貴族たちの不満、人心が離れている事実に対して鈍感です。二人は自分たちが専横を振るうことを、我が「家」のため当然と考えているからです。また、冒頭の公任らの反応が象徴的ですが、表向きは媚び、裏で陰口を叩く面従腹背の人間しか周りにはいません。

 犯人に思い当たらず、訝る道隆と伊周に対し、中関白家の権勢に対して、斜に構えて心理的に距離がある隆家が「女院かもな~、火つけを仕組んだ張本人ですよ」と面白半分に言い出すのが興味深いですね。隆家は、伊周が上手く言いくるめてしてやったりと得意げになっている詮子との一件、あれが暗に敵を作っただけだと揶揄しているのです。目を剥く伊周、呆気に取られる貴子に「だって酷くお怒りだったでしょう、昨日」と、今度ははっきりと座が凍りついたと口にします。


 流石に喧嘩を売った相手が悪いと「中宮さまが女院さまに妬まれるとは…」と恐れる貴子に「妬まれて結構ではありませんか(笑)」と一笑に伏す隆家は肝が座っていますね。そう言えてしまうのは、「父上も姉上も兄上も、ようやく妬まれる立場になられたのですから」と権勢とはそういうものだという達観しているからです。
 そう思うからこそ、必死に権勢を維持し、我が「家」の繁栄のため他者を貶めることに勤しむ父や兄の言動を「何が面白いのか」と冷めた目を向けているのかもしれません。漢籍などの教養については深くはなく、荒い性格のようですが、物事のあらましは道隆や伊周よりよく見えていますね。


隆家の面白半分の物言いを真に受けた道隆は、「帝に危害が及ぶことを女院がなさるとは思えんが…」と渋い顔をして否定し、悪い空気を変えようとしますが、隆家は余計に面白がり「女院でなければ、父上を恨んでおる人ですよ。大勢いるでしょ?」と、挑発的に今度は道隆を揶揄します。
 調子にのる隆家に「口を慎め」と伊周ですが、隆家は悪びれず「兄上だってわかるだろ、それくらい」と逆に現実を見ろよと返します。この状況すら楽しもうとする隆家は、刹那的な豪胆さもありそうです。


 すると、突然、道隆が高笑いを始めます。その哄笑を父の本音と見た隆家もそれに合わせて大笑いします。ひとしきり笑うと道隆は「ああ、光が強ければ影は濃くなるというもの。恨みの数だけことだな」と優雅な振る舞いで隠していた権勢欲を露わにします。そこには、これまでの敵を作るような自分の遣り口を省みるような謙虚さはありません。妬みや恨みを買おうが、決して権勢を手放さないという傲慢からくる開き直りだけです。自分の価値観で思うように事を進めることが政だと思っている道隆には、自分たちの問題点が見えていません。すべては愚か者の仕業なのでしょう。
 家族を見渡すと「私たちが暗い顔をすれば、相手の思う壷だ。動じないのが肝心だ」と言い渡し、引き締めるよう伝えるのは、自分たちへの自負が言わせる言葉だと言えるでしょう。


 直後、道隆が、廊下で眩しげに陽の光を見るのは、その後に水をやたらに飲むことと合わせて、飲水病が悪化していることを匂わせ、「私たちが輝いている」という傲慢な物言いとは裏腹に、その権勢に陰りが見えていることを仄めかしています。
 また、「私たちが輝いている」などという彼ですが、所詮は神ならぬ人。太陽よりも光り輝くはずがない。そんな皮肉もこめて、この場に彼の体調不良のシーンが挿入されたのではないでしょうか。


 話を戻しましょう。挑発や誹謗中傷は、それに相手が反応することが期待されています。ですから、道隆が言うように下手に動じる姿を見せないのも一つの手です。また動じることは政権の脆弱さ、求心力が問われますから、なおさら弱みは見せられないということになるのでしょう。ただ、動じないということは、動じない姿を見せることではありません。陣頭に立ち、冷静に問題点を洗い出し、適切な対処を講じることです。現実的な解決こそがリーダーシップを見せることになるのです。

 しかし、道隆の「動じない」は、そういうことではなかったようです。本来であれば、火事騒ぎが自分たちの政への中傷であるのならば、放火犯を捕縛するという刑事的な対策と同時に、これまでの横柄で強引なやり方を改め、人事を公正にし、意見の違う人の意見に耳を傾け、積極的に政策に取り入れていくという政治改革が、根本的解決として必要でしょう。しかし、自分を正しいと思い込み、省みることのない道隆は、そもそも問題点がわかっていません。
 ですから、目指したのはその逆、他人の意見を拒絶、あるいは無視して頑なに自分の態度を貫き通す、それが彼の「動じない」だったのです。こういう見せかけの「動じない」態度を、政治家としての強さだと勘違いしている政治家は現在も珍しくはありませんが、甚だ勘違いしていますね。間違いを認められないのは、強さではありません。それは虚勢というものです。



 さて、こうした道隆の「動じない」虚勢は、公卿たちからの都を蝕む疫病対策すべきと提言を無視し続けるという対応にも顕著に表れていきます。
 この無策、一つには、道隆が疫病を自分たちには関係ないものとして、甘く見ていたということがあるでしょう。彼は、民にまったく関心がありません。以前、下々のことは下々に任せておけばよいと道長の検非違使改革を再三、しつこく突っぱねたことにも表れています。その際、それよりも大切なこととして命じたのが定子の中宮立后でした。彼の政は、内裏の中にしか向いておらず、もっぱら関心事は自分の権勢の強化です。この思考は、先にも見たとおり、伊周に受け継がれていますね。

 そもそも、疫病対策は蓄えた財や薬や人材を吐き出すことで、直接的な利益になるものではありません。しかし、ここで民を慰撫し、安心させることで世は安定し、後々、その効果がじわじわと返ってくる、中長期的な投資とも言えるでしょう。しかし、道隆にとって民は騒々しくつけあがる卑しい存在でしかありません。登華殿の誂えの変更ならば自分たちの益ですが、卑しい民に財を出すのは無駄金なのでしょう。


 このように道隆は、自分たちの政を支える足元を見ようとしません。ですから、公卿らの疫病対策の提言も、天災を理由に自分の政の揚げ足を取ろうとする騙し討ち、政治的な駆け引きと見ているのではないでしょうか。既に内裏の火事の犯人がわからないことで、彼は周囲の貴族たちに対して疑心暗鬼になっていると思われます。信用できるのは身内だけ、一刻も早く隙なく身内で固めることが、内裏で起きている不穏を取り除く方法と固く信じているのでしょう。

 また、何らかの献策を受け入れ、疫病対策が成功すれば、その者の手柄になります。そうすれば、自らの権勢の邪魔になるでしょう。誰であろうと自らの権勢を奪う隙を与えてはならない。彼が公卿たちの提言を無視し続けるもう一つの理由は、これだと思われます。権勢の頂点に立った者の多くが陥る病は、その権勢の凋落と収奪されることです。伊周は、道隆の権勢を弄ぶ面を反映して傲慢さを隠しもしませんが、道隆のほうはもう一つ、権勢を失うことの怯え、恐怖が、その対応に表れています。


 しかし、疫病は適切な対応をしなければパンデミックを引き起こします。被害は拡大するのは自明です。ましてや衛生環境や栄養面が現在よりも劣悪な平安期であれば、尚更です。暴風吹き荒れる夜、晴明が「今宵、疫神が通るぞ。疫病の神、疫神だ。これから都は大変なことになる!」と警句を発したのは、彼の呪術の結果というだけでなく、内裏から漏れ聞こえる関白の専横が疫病の蔓延をより悪化させると見立てたのもあるのでしょう。突きつけられた問題を直視せず、足元を疎かにし、自分の見たいものだけを政と称する関白道隆の専横…それはやがて、天災を人災に変える…そういう意味合いが、晴明の警句にはあるのかもしれません。


 さて、疫病の蔓延は一条帝の耳にも届くことになります。道隆を呼びつけ、問い質します。しかし、道隆は「疫病は流行ってはおりますが、それは下々の者しか罹らぬもの。我々にはかかわりございません」と豪語し、知る必要はないと口調こそ穏やかですが、突っぱねます。しかし、詮子に厳しく育てられた一条帝は、「病に苦しむ民を放っておいてよいはずがない」と正論を説きます。登華殿サロンでは戯れを堪能する彼ですが、根は真面目な聖君の資質を備えているのです。詮子が、あの場で伊周の言いように黙って耐えたのは、時がくれば、この息子が正しい判断をすると信じている面もあったのでしょう。


 一条帝の思わぬ反論に道隆は「比叡山に読経を命じておりまする」と対策を打っていると主張しますが、帝はそのようなおためごかしには乗りません。鎮護国家的な自己満足ではなく、民を慈しむ具体策を望んでいるのです。ですから、「唐の『貞観政要』によれば、煬帝の隋が滅びたのは兵の備えを怠ったからではない。民を疎かにし、徳による政を行わなかったからだと書いてある」と、その教養をもって、自身の民への思いを語ります。一条帝は、国を滅ぼすのは外敵ではなく、愚かな内政であることを理解しているのです。

 そして彼は「忠臣としてのそなたの働きを信じておる」と改めて、民を救う徳のある具体策を講じるよう促します。帝は義父として彼を重く用いるものではないと言っているのが意味深ですね。あくまで「忠臣」、忠節を弁え、帝の意向を形にできる有能な臣下であることを道隆に望んでいるのですね。
 一条帝は、一見、中関白家に取り込まれているようでそうではないことが窺えます。定子への寵愛と政治を切り分け、公私混同はしないということです。平時であれば、そのあたりの区別が曖昧でも済まされることはあるかもしれませんが、今は国難のとき、的確な対処ができる者こそが帝の代理人に相応しいことを彼はわかっているのかもしれませんね。つまり、道隆の政は崖っぷちです。失策によっては、彼は一条帝の信を失う瀬戸際にあるのです。


 しかし、道隆にとって一条帝は、我が「家」の権勢のための道具、何も知らない若輩ものとの侮りがあるようです。実は最後通告のようでもある一条帝の信任を「お任せくださいませ」態度だけ重々しく受け止めると「一日も早く皇子をお設けください。それこそ国家安寧の源にございます」と、あくまで自分の都合だけを口にします。
 中関白家の権勢を永く確実なものにするには、兼家がそうしたように、次代の帝の外祖父になることが不可欠です。そんな思いをあからさまにいってしまうところにも、自分の権勢を奪われたくないという怯えと焦りが窺えます。なりふり構わなくなった道隆には、自身と帝の思いがズレていることにも気づけていないようです。

 結局、帝の命で、的確な疫病対策を講じねばならなくなったにもかかわらず、道隆が行ったのは、民を思う気持ちもまったくなく、また実績もない自分の息子を腹心として内大臣にする人事だけです。どこまでも、中関白家を絶対化することにしか関心がありません


(3)道長と道兼~怯えない強さ~

 帝の意向を封殺し、息子が後継者になる地固めをする道隆。内裏の火事に疫病という状況悪化、自らの体調不良…彼の脳裏をよぎるのは中関白家の栄華が凋落することなのです。せっかく手中に納めたものを失うことは誰しも恐れるものです。しかも、移ろいやすい世の中では、権力は手に入れること以上に維持することのほうが難しい。ですから、とにかく中関白家の権勢に誰も介入できない状況を作り出し、この悪状況が過ぎるのを待とうとするのです。
 度重なる公卿の提言にも動かない道隆を諌めにきた道長に「疫病は自然におさまる。これまでもそうであった」と答える消極的姿勢は象徴的です。

 しかし、ただただ酷い現状を憂い、手をこまねいていられないと焦る道長に、兄の権勢を失うことへの怯えなどわかるはずもありません。何を軸に政を行うか、その根本的な価値観の違うのです。
 それでも道長は「されど、このたびばかりはいつもと違う疫病という気がいたします」と言いすがるだけでなく、「貴族の屋敷の者も倒れておりますゆえ、もし内裏に入り込めば、帝とて…」と兄がもっとも大事にしているであろう権力基盤のためにも対策すべきだと道隆側に寄った発言をします。帝と中宮のためであれば、何とかしてくれるのではないかという期待があるのです。


しかし、道隆は「黙れ!」と優雅さを崩さない彼にしては珍しく、ドスの効いた声で道長を遮ると「そのようなことは起きぬ!」と怒りを滲ませます。道長なりに道隆の権勢欲に寄り添ったのですが、先にも述べたように今の道隆の内心を巣食うのは、権勢と栄華を失うことへの恐れです。それとは知らぬ道長は、かえって道隆の怯えを刺激し、怒りを買ってしまったのです。
 井浦新くんの品もあって一見、威厳のあるかのような道隆の恫喝は、実は虚勢がなせる芝居に過ぎません(井浦くんが巧いのはそうした道隆の心底も匂わせていることですね)。


 怒りを買うことなど恐れない道長は「兄上から帝にご奏上いただき、疫病の対策をじんのさだめでおはかりください」と食い下がります。しかし、「そのつもりはない」道隆は「疫病より相次ぐ放火のほうが一大事である」と話題を反らします。この発言は、民を蔑ろにする伊周の物言いが道隆の思考を反映したものであることを窺わせます(伊周は政に志はなく思考停止している)が、道隆がここでこれを持ち出したのは、民への蔑みだけではありません。
 彼は立ち上がり道長を見下すような位置関係になると「帝と中宮さまを狙ったものであれば、中宮大夫のお前こそどうするつもりだ」と自らの職務を忘れた越権的諫言そのものを攻め立て、彼の発言を封じようとしたのですね。正論は正しいですが、正論を武器にする輩はそこに邪な感情が宿るものです。


 とはいえ、たしかに火事の件は解決していません。それを言われれば流石の道長もすぐには返答できません。疫病対策しか頭になかった彼には思わぬ横槍だったでしょう。検非違使あたりの役目と思っていたのではないでしょうか。
 返答に窮する道長の顎を扇でくいっとあげる「役目不行き届きであるが今回は見逃そう」と、次はないぞと釘を刺します。二度と諫言はさせないという恫喝です。このあたりの手管は、若輩の伊周の及ぶところではなく堂に入ったもの。道長は、論をずらさられた挙げ句の完敗なのです。
 ただ、道隆の、道長を責める言葉は詭弁です。何故なら、彼を中宮大夫に任じたのは、他ならぬ道隆です。道長の失敗は、そのまま道隆の任命責任なのですね。そうまでして道長の献策を退ける、その裏にあるのは権勢を失うことへの恐怖心です。恐怖のあまり、人の話も聞かず、味方にすべき親族すら拒絶し、恫喝するようでは、その卑しい心底に人心は離れます。


 道理をわかろうともせず、警句を弄する道隆には、民を思う気持ちがまったくないことを、道長もいよいよ理解します。言い負かされただけに、道隆への腹立ち以上に無力な自分への苛立ちが募ります。居ても立ってもいられません。疫病に対する無力感から行動に出ようとする点はまひろと似たようなものですね。そして、思いに囚われた道長は、すれ違う次兄道兼に気づかないのですが、弟のただならぬ様子に「どうした、そんな顔をして」と気さくげに声をかけます。振り返りもしないのは、気遣いを気づかれたくないのかもしれません。
 道長は憤懣やるかたない形相のまま「関白と話しても無駄なので、自分で悲田院を見て参ろうと思います」と吐露しますが、捨て鉢な気分は隠しきれません。道長は「道隆兄」とは呼ばず「関白」と呼んでいます。道長は道隆への諫言も、あくまで公、政の問題としている、公私の切り分けをしている点が伊周と違う点です。


 最早、現状を直接確認し、その惨状を直訴するしかないと思い詰める道長の行為は、自らの命を危険に晒すことです。道兼は「やめておけ、都の様子なら俺が見てくる」と代わりを買って出ます。かつて、その激情から下々の者を苛むことがあった道兼が、しかも嫌っていた弟の代わりに疫病の視察をするというのです。思わぬ言葉に道長が驚くのも無理はありません。
 そんな道長を尻目に「汚れ仕事は俺の役目だ」とうそぶくと、来た道を引き返し、善は急げと視察へ向かいます。この自虐も含んだ覚悟にグッときた視聴者もいらしたでしょう。


 伊周の嘲りからすると、道兼は朝政に復帰して以降、特別なことはしていなかったようです。しかし、それは彼が無気力であったことを意味していません。おそらく彼は罪深い自分に何ができるのか、弟の善意にどう報いたらよいのか、自分にしかやれないことはないのか、そうしたことを自問し続けていたのではないでしょうか。

 父や妻子に見捨てられたとき、それまでの彼は一度死んだと言ってよいでしょう。ドン底まで堕ち、地獄を見て、自棄になり、そこを道長に救われたとき、彼は自分自身が長年抱えた承認欲求の執着を捨てられた。だからこそ、拾った命の使いどころを模索していたと思われます。それは、他人から愛されること、つまり他人の中に自分の居場所を探すのではなく、自分が何かをすることで自分の居場所を作るということです。
 だから、彼が探すのは、死に場所ではありません。道長が彼に願ったことは「生きていてほしい」ですから。道長が政のため、民のため命をかけようとするのを聞いまとき、道兼もそのために生きようと思い定めたのです。伊周の嫌味な言葉が、その決意にわずかばかり作用もしたと思われます。


 悲田院に到着、惨状に顔をしかめる道兼ですが怯む様子はありません。そこにあろうことか「兄上!」と道長がやってきてしまいます。弟を厄災から遠ざけるために我が身を犠牲にしようと乗り込んできたのですから「お前が来ては元も子もないではないか!」と道兼が呆れるのは当然です。
 しかし、道長は兄を犠牲に太平楽を決め込む薄情ができない情があります。まして惨状を見たいという自分の我儘がきっかけですから尚更です。とはいえ、口にする言い訳が「わたしは死ぬ気がいたしませぬゆえ」という根拠のない呑気なもの。馬鹿馬鹿しくなった道兼は、追い返すことは諦め「相変わらず間抜けな奴だ」と軽く毒づくと、道長を促すように悲田院内へ進み出ます。

 ただ仕方のない奴…というようなその言い方には、照れというか愛があるように見えます。自分の好意を無駄にされたと腹を立てるでなく、受け入れ先導する。自分を心配し駆けつけた道長の気持ち、またこうして難事に兄弟で当たる日が来たことが内心嬉しいのだと察せられます。激しい承認欲求でねじ曲がってしまった彼ですが、その本音は兄弟でこうありたかったのかもしれません。先行する兄に道長も迷わず、追いかけます。


 最後に残った百舌彦がめちゃくちゃ悩んだ挙げ句、一大決心してから悲田院へ入るのが庶民らしくて、道兼×道長兄弟と対比になっていますね。ドン底から這い出て自分の命の使いどころがわかった道兼に恐れるものはありません。兄と共にあり、経験から穢れに耐性のある道長も怯むことはないのです。二人の並々ならぬ気持ちが現れています。二人はようやく「兄弟」になれたのかもしれません。


 とはいえ、悲田院の荒廃、疫病の惨状は想像以上でした。次々と倒れたため治療にあたる薬師は足りず、残った薬師によれば何度、内裏に申し出ても何一つ救援は来ないとのことでした。「なんと…」と内裏の無慈悲に道兼をして絶句すれのが印象的ですね。疲れ果て、諦めた薬師の無念は、道長の心にも刺さります。

 晴明が「疫神」と称したように、疫病は天災です。しかし、疫病を食い止める対策を講じなければ必要以上の被害へと拡大する。そのことはコロナ禍を過ごした私たちも実感するところ。つまり、悲田院に見える疫病の惨状は天災ではなく、道隆の失政による人災なのです。関白道隆の政は、前回の実資の心配どおり、内裏の乱れが世の乱れとなりましたね。もはや、現状から目を背ける彼に政治を預けてはおけません。帝の信任を失う日は遠くありません。


(4)公私の区別を問う為時の諫言

「民を救いたい」のに何もできない…自身の無力を嘆くがゆえに悲田院での看病が止められないまひろ、「民を救いたい」と思うがゆえに悲田院の惨状を確かめにくる道長。それぞれの動機からすれば、二人がここで出会うのは、物語としての必然です。「民を救う」約束が生き続ける限り、二人は必ず巡り会う運命にあるのでしょう。
 しかし、その宿命的な出会いも、心身共に疲労困憊、極限状態にあったまひろは疫病に罹ったのか、道長の腕の中で崩折れます。まひろにここで出会った衝撃もさることながら、まひろが疫病かもしれないという事実は道長から理性を奪います。悲田院視察を兄に任せ、なりふり構わず、まひろを為時宅へ送り届けます。

 為時宅へ着くと「藤原道長だ!」と名乗ることで詳しい説明を省きます。緊急事態ゆえに余計な邪推を避けるための言葉ですが、雲の上の人過ぎていとは「藤原道長…誰?」となりますし、知った為時も権大納言が来たとなれば慌てるしかありません。
 慌てる二人に道長は、まひろが疫病かもしれないから近づかないこと、看病は自分がすると手短に伝えます。「大納言さまに…」と為時が返す為時に道長が「私のことはよい!」と一喝するのは、まひろの命が危ういのに身分のことなど言っている場合ではないということ、そして何よりも命にかえてもまひろを救いたいという彼の純愛です。

 その迫力に気圧され、そして、いとに二人のただならぬ関係を問われたととき、為時はある程度、察したのではないでしょうか。為時は、娘を道長に預けて任せます。
 相手が高貴であろうと愛娘を見知らぬ男に任せるというのは、本作の為時には初めての経験。まして疫病に憑かれたかもしれないのですから内心穏やかではないと思われます。それでも道長に任せたのは、彼に一途なものを感じたこと、そして死病に罹る妾を見捨てられず必死に看病した為時には、今の道長の思いが痛いほどわかるからでしょう。

 為時のはからいで、予断をゆるさない状況とはいえ、道長はようやくまひろと二人きりになれました。道長は懸命に看病しながら「久しいのう」と土御門殿で出くわしたときには言えなかった万感の思いをつぶやくと、「なぜあそこにいた」「生まれてきた意味は見つかったのか」と次々と言葉をかけます。目覚めてくれとの思いからの言葉ですが、「生まれきた意味」というまひろの別れ際の言葉を今も覚えているところに、今なおまひろのことが一番…あのとき、まひろに告げた想いに嘘がないことが窺えます。しかし、熱にうなされるまひろからの返答はありません。もっとも思い悩むまひろは素面でもまだ答えを持ちませんが。
 そして、積年の想いを込めて「逝くな、戻ってこい!」と告げます。「民を救う」ことを実現しても、それをまひろに見届けてもらわなければ約束は果たせません。そもそも、愛するまひろを失っていますは、道長は生きる意味を失ってしまいます。
 看病の甲斐もあってか、夜明けの光が射すころ、まひろの病状も峠を越えます。


 道長の安堵を見計らったように、為時が「一晩中ご看病くださってありがとうございました」と感謝と労いの言葉を御簾の外からかかけてきます。「娘も喜んでおることでございましょう」…目覚めぬまひろが知るよしもないにもかかわらず、そう言うのは、まひろのために必死になった道長の気持ちを慮ってのことでしょう。それは彼の看病の経験が少なからずかかわります。
 やはり、為時は、二人の関係について何となく察するところはあるのではないでしょうか。ことにまひろは婿取りを頑なに拒否し、その理由を語ろうとしませんでした。道ならぬ恋が理由であるなら得心がいくでしょう。

 さて、道長の気持ちが誰よりわかり、二人の関係にも察するところがある。それでも、いやだからこそ、為時は「されど大納言さまには朝廷での重いお役目がおありになりますでしょう。この先は娘は我が家で見ますのでどうぞお帰りください」と丁寧に懇願します。道長が最初に訪れたときの「大納言さまが…」は身分についておそれ多いというニュアンスですが、この場合は違います。

 ここでの大納言は、職責を指しています。大納言にまで昇進した公卿には、この国の政を担う責任がある公人です。まひろをここに連れて帰り、看病したことは私的なことです。公務ではないにせよ、政のための視察を振り切って来てしまいました。おかげでまひろは助かるのですが、公私混同の謗りは受けかねません。悲田院には、まひろ以外にも倒れている人々はいるのですから。

 勿論、何度も言うように為時には道長と同じ気持ちを味わっているから、彼の離れがたい気持ちは百も承知です。それでも漢籍に通じ、古今東西の政治家を知る学識者としての為時は、公私を切り分け、政に尽くすべき上流貴族のあり方を解かねばならないのです。まひろへの看病を見れば、道長の人柄は兼家の子とは思えぬ優しい性格。だからこそ、こういう政治家に傷をつけてはいけません。誰にも見られぬよう帰るよう進言するのは、そのためです。


 為時の諫言、奇しくもまひろと道長が契った月夜、道長には世を変える役目があると自身の幸せよりも、それを優先したまひろの言葉と重なっています。なんとも不器用な似た者親娘です。
 おそらく、道長もまた為時の言葉に、改めてまひろとの約束を思い返したと思われます。穏やかに「わかりました」と答えます。
 まひろとの約束を思い返すからこそ、道長は別れ際、まひろに触れたくて手を伸ばしかけながら、ぐっと我慢するのです。まひろとの約束を叶える道はまだ半ば…まだ何もできていない。もっと頑張らねば…そんな気持ちになったのではないでしょうか。心の中で「大事にいたせ」というだけに留める、道長の自制心には政を担う者としての自覚が窺えますね。節々に成長が見えるようです。

 そして、峠を越えたとはいえ、娘への心配が先立つであろうに、道長の立場と気持ちをはかりながら、諫言できる為時の姿勢には実直な人柄が出ていますね。道長政権になったとき、為時は任官されますが、まひろを救う私的な理由で任官されるのはらしくないのでは、と思っていました。縁故や人情では、兼家や道隆と同じですからね。
 この出会いの中で見せた為時の人間性が信のおけるものとして、任官につながっていくように思われます。娘の縁故ではなく、為時は自力で任官されるのでしょう


おわりに

 中関白家は、徳のない振る舞いによって人望を失い、その権勢にあきらかな陰りが見え始めています(伊周はまったく気づいていませんが)。一方、目の前の難事に立ち向かい、民を救おうと考える道長には、兄、まひろ、為時と不思議な縁が結ばれていきます。どちらが声望を得ていくことになるかは一目瞭然でしょう。

 疫病によって本性が炙り出されていく第16回は、政に必要な徳、心構えとは何か、それを考えるきっかけであり、道長と中関白家の分水嶺にもなる回だったようです。


 ただ、道長は最後の最後、プライベートでは心ならずも失敗をやらかします。まひろの看病を終え、土御門殿へ朝帰りすると猫(小麻呂二世ですかね?)を抱えた倫子が「お帰りなされませ」と優しく声掛けします。なんとなく…何の連絡もなく帰宅しなかった夫を、寝ることなく、猫を愛でながら待っていたような気もしますよね?

 道長はこの出迎えに対して、実に気さくに「うん」と応じるのですが、その表情には、いかにも「満ち足りた心からの笑顔」が自然と浮かんでいます。必死の看病で会話もありませんでしたが、久々にまひろと二人で過ごし、積年の思いを口にできたこと、看病の甲斐があってどうやらまひろが助かりそうであるという安堵、大まかに言えば、その二つが、道長をそんな表情にしたのだろうと察せられます。

 しかし、これは大いなる油断です。おそらく婿入りして以来、道長はただの一度も「満ち足りた心からの笑顔」を見せたことがないはずだからです。そして、それは明子女王(高松殿)のもとから帰宅した際にもしたことがないでしょう。同じ屋根の下でずっと過ごし、夫に惚れ抜き、その一挙手一投足に目を配る嫡妻に、今までしたこのない笑顔を見せたら、何かあった…いや、本命の女がいると気づくのは当たり前です。
 倫子の勘が鋭い、名探偵なのではありません。夫に対して情の深い妻であるなら倫子でなくても気づくでしょう(苦笑)世の夫の方々は、くれぐれも妻を甘く見てはいけません…と忠告する私は婚姻歴なし独身ですけど(泣笑)

 真顔で「殿の心には、私ではない、明子さまでもない、もう一人の誰かがいるわ」と確信めいた一言を述べると高らかに笑いだす倫子の胸中はいかばかりでしょうか。心配そうな赤染衛門の表情は、視聴者の思いを代弁していますね。

 それにしても、まひろの命を救った道長が、まひろを別の窮地に追いやるかもしれないとは…(笑)


 ともあれ、道長は政の問題もありますが、プライベートでも気が抜けないようですね。



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