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友人を必要以上に持ちたがる心理

幼稚園や保育園から大学生に成長する過程において、友人関係を構築が求められるわけであるが、友人の質よりも数を重視する人が多いように感じる。そこで私は、友人の数は多ければ多いほどいいのかということについて考えてみる。最後には自身の詩も書いているので見ていってほしい。

正直な話をいうと…..

甲乙つけがたいところがある。

私の立場としては、親友は1~3人くらいで、友人は5~10人くらいでいいのではないかと感じる。

現代社会のソーシャルネットワーキングとしてXやinstagramなどがあり、関係値がない人間ともつながることが出来る世の中である。しかし例え同世代であり、趣味嗜好が似通っていたとしてもそれは友人と呼ぶに等しいのかと感じる…
フォローバックという言葉の通り、SNSでは関係構築を低リスクで行うことも可能であるのだ。そのため人によっても1000人以上の友人関係を構築していると考えている人間も多いのである。
しかし顔を知らない状態では不明瞭な点が多く、なりすましやボットなどの可能性もあるという状態である。
フォロワーと自分という関係が成り立つが、それらは自己の承認欲求と発信力の向上を満たすためのビジネスフレンドに過ぎないと感じる。

それに対して、リアルの友人と直接対話が出来るという環境というものは最大の利点を占めている。
例えば、過去の身内話で盛り上がれる。またスキーマがあることから相談も親身になって乗ってくれることであろう。

危惧すべきであると感じた点

友人の目的化が為されているという風に感じた。
ここでいう目的とは、教科書を借りる友人やカラオケに行く友人または食事に行く友人といった形で役割が分化しているということである。
実際にこの傾向は小学生から高校生に上がるにつれて顕著になっているという風に感じた。
人によっては違和感を感じることすらないと思うが、このことは人間関係が色褪せたものになる可能性を孕んでいると言える。
縮んだ無色の風船に多くの色を塗ってみよう。それで膨らましたらどうなるかを想像してみてほしい。もともと個性をもっていた色が膨らむことによってほぼ無色に近づくことであろう。
人間関係においても同じことが言えるであろう。

人間とは弱い生き物
その弱さ故に群れる生き物である
しかし人間とは強い生き物
そのことに気付いた人間のみ葛藤から解放される
                                               poet  by BANE


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