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水のように生きるとは        現代文明へのレクイエムを読んで

現代文明へのレクイエム 松に聞け 藤田省三 著

藤田省三さんが書かれた「現代文明へのレクイエム」という評論を読んで感じた、水のように生きるとはということについて考えていきます。本文を読んでの感想ですので、著作権に違反しないように気を付けて感想を自身の言葉で綴ります。

植物からの学びを得られる本である

ハイマツという植物を例に挙げられて説明されていました。自身も生物を高校で専攻しているため、高山植物のハイマツというものは耳に挟んだことがありました。
名前のごとく這松です。低身平頭な植物なのです。
人間においても、横柄な人間な存在します。他人からの評価を気にして窮屈なように感じます。
競争原理の働いている組織は強いということは前提ですが、人間らしさをそれらによって失っては本末転倒といえるでしょう。
中庸精神が大切であるという風に感じました。

人間は意思が強いため上手くいかない

私はこの評論を読んで、人間は意思が強いから上手くいかないことがあるという風に感じました。
老子という思想家が古代中国には存在して、偉大な思想を残しました。
道の思想というものです。
自分も感銘を受けた思想で、水のように形を変えながら生きるというものです。
水は高いところから低いところに流れる。水自体に目的はなく環境形成が主ということだと認識しています。
人間には理性があることから、水になることは到底不可能でしょう。しかしその一方で、近似的に憧れを抱くことで近づくことは出来るという風にも感じました。


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