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カッパ、河童、Kappaの日本史。【書籍レビュー】

妖怪研究家 兼 文筆家の多田克己氏いわく、日本三大妖怪とは

  • 天狗

  • 河童

――確かに誰もが知るビッグネームですね。

ところで、平安時代には存在していた、日本書紀に記載のある(ちょっと意味は異なるけど)天狗に対し、河童という言葉が「頭に皿を載せた両生類っぽい子供」を示すようになったのは何と18世紀、近代です。
当たり前のように日本人が共有している河童像はその実、かなり新しいものなんですね。むしろ後発の河童がここまでの知名度を獲得したのが凄いのかも。

この夏は百鬼夜行とか妖怪の本をいつもより多めに読んでます。
その一環で河童についても軽く知りたくて、気軽に文庫本を開いたら……
ただのラスボス河童本でした。

ガチ学術書すぎて読み解くのが大変でしたが、文庫化された河童研究論文という珍しい本なのでレビューしておきます。
河童のすべてを知りたい人(日本に何人いるのか分かりませんが)に強烈にオススメです。


書誌情報

『河童の日本史』  ちくま学芸文庫
著者:中村 禎里   出版社 ‏ : ‎筑摩書房
発売日 ‏ : ‎ 2019/11    文庫判 480ページ
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4-480-09959-4

目次
第1章 河童前史
第2章 河童の行動
第3章 遺伝・変異および先祖がえり
第4章 近世知識人の河童イメージ
第5章 九州土着の河童イメージ
第6章 河童伝承における動物的・人的要素
第7章 近世一九世紀における河童文献の書誌

目次から漂う圧倒的なカッパ密度。480ページすべてが河童に関する内容で、「こんなに河童のこと書く必要ある!?」と唸ること請け合い。読み進めるうちに河童という存在が日本の歴史・文化と深く結びついていることに気づかされる…というわけでもなく、ただ江戸時代以降すごく愛された空想生物だと実感する本。


内容について

本書のクレイジーな点 魅力は、徹底的な河童の掘り下げでしょう。
カッパを語るにはカッパの起源から始めねばならぬとばかり、第1章 『河童前史』では古代日本の水神信仰にカッパの原型を探っていきます。
まず注目するのが古代神話に記された「ワニ」概念。記紀にはワニと名のつく動物が何度か登場します。因幡の白兎が海を渡る際に利用したのはワニの群れ、天皇家の先祖・山幸彦(ヒコホホデミノミコト)の妻トヨタマヒメは巨大なワニだったとか。
ただしこの「ワニ」、何を意味しているかは未だに議論が分かれているそうで、普通のワニ、サメやシャチ・イルカ、そして水蛇など候補はさまざま。サメが若干優勢と言われていますが、はたして。

ポプラ社の絵本ではサメ説を採用
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/3331063.html

この上代のワニに加え、古代豪族の和邇わに氏、仏典に登場する空想生物・摩竭魚まかつぎょ、水神としての蛇信仰など、広範なイメージが溶け混ざり合い、やがて水神・海神の属性を持つエビスや河童になった…という壮大な河童誕生ストーリーが語られていました。前史のくせに、すでに大長編だな…

第2章『河童の行動』では、まず一般的な河童像を整理します。河童といえば人を水に引きずり込む、切られた腕をつないで回復する等いくつかの属性が知られていますが、こうした河童の行動がいつ頃出現したのか、江戸時代の文献を25年ごとに区切って河童の行動パターンをカウントしていきます。
結果、時代とともに河童は攻撃的な存在から人間に敗北し謝罪する在り方へと変化することが判明。妖怪の怖ろしさが時代とともに薄れていったことを反映したのでしょう。江戸時代中期に流行り始めた河童は僅か数十年で人間に敗北する妖怪として定着したわけで、このスピード感は類を見ないですね。
また、文献調査から河童の出現地点が主に人工的な用水路であることも明らかに。遠野物語のカッパは山の沼や泉に住んでいるので、全国的にそんなものかと思っていたのですが、文献に記録されたカッパ出現地点の多くは運河や掘割…つまり人工的な用水地だそうです。意外。
管理された水に棲む零落した水神…それが河童の根本にあるイメージなのかもしれません。

第3章『遺伝・変異および先祖がえり』は河童の好き嫌いを論じます。
まず河童の好物といえばきゅうり。ところが、江戸時代中期の初期河童文献によると、特に河童にはきゅうり好き属性はなかったとのこと。いつからきゅうり好きになったんだカッパ!?
実は江戸中期、日本人にとってきゅうりとは「すごくマズイ野菜」でした。出来れば食べたくない野菜だったようで、わざわざ河童に持たせる発想は湧かなかったみたいですね。
その後、江戸末期に「きゅうり美味いんじゃね?」という味覚革命が起こり、野菜としての地位を向上させたきゅうり。ポリネシアから日本にかけて広く分布する水神を閉じ込める瓜(瓢箪)のイメージが紆余曲折を経て、零落した水神としての河童と低級の瓜・きゅうりに落ち着いたのではないか、と著者は推測しています。

なお、折口信夫が好んだ「八坂神社の神紋がきゅうりの断面に似ているから水神は八坂神社系列」仮説に対し本書は否定の立場。理由は「きゅうりの断面ってべつに八坂神社紋に似てない」からだそうです。たしかにきゅうり断面とはちょっと違うよね…

Foodieより。八坂神社の紋ときゅうりの断面
https://mi-journey.jp/foodie/7356/


さてさて、本書の白眉となるのは第4章『近世知識人の河童イメージ』。江戸時代の本草学者たちによる河童研究のネットワークを解明していきます。
起点となるのは江戸時代の河童研究書『水虎考略』。著者は江戸時代の高名な儒学者・古賀侗庵。こんな有名人が何で河童の研究してるのか謎ですが、当時は流行のトピックだったんですかね、河童。

『水虎考略』より河童の図 西尾市岩瀬文庫所蔵

『水虎考略』にはリアルな河童のイラストが多数収録されています。幅広い学術ネットワークを持っていた侗庵、当然彼の著作も広く弟子や知人に読まれ、河童の生態が江戸中の知識人に広まっていきます。その様子を『水虎考略』の図像の成立、そして描かれた図像が他の河童研究書に採用され、写されていく過程を研究することで明らかにしているのですが、妥協のない考察がヤバい!
詳しくは本文を読んでいただきたいのですが、緻密な仕事にひっくり返りそうでした。ここに登場した儒学者・本草学者の皆さんも詳しく考察してもらって喜んでるよきっと…
単なる河童研究に留まらない、江戸時代の知識人たちの交流や学問のあり方を垣間見せてくれる貴重な研究じゃないですかねこれ。詳しすぎて混乱してくるけども。

さて、話題を変えて第5章『九州土着の河童イメージ』では、現代に続く河童イメージの主要発生地が北九州である可能性を指摘し、江戸中期に複数の村人が遭遇した河童事件の調査報告を詳しく紐解いていきます。
この調査には一流の学者が関わったようで、現代の目から見ても良質な調査記録。河童との遭遇を精神医学的に解釈するのに有用な記録でもあるようです。
一方で、北九州の村人たちは河童を両生類よりもサルに近い姿と認識していたようなのですが、本草学者は両生類風の絵に描き起こしました。これは記録者の偏見というか、「カッパは両生類!」という思い込みによるものだったのでしょう。正確な図像が伝わらなかったのは残念。

第6章『河童伝承における動物的・人的要素』では、河童のモデルとなった生物を検証。第1章では「ワニ」や水神を起源と説明していましたが、これらは精神的な起源といえます。一方、この章では見た目の起源を追求。つまりモデル探しですね。
河童のモデル候補には既に多くの説があります。カワウソやカメなどの動物、山人やサンカなどの漂白集団、変わった説として人形起源説(陰陽師や職人が作った人形が人と交わり、非人の先祖になった)、平家の落人説などが知られています。
山に生きる非定住民は川で釣をしたり、菰を被った姿が知られ、たしかに河童に似た印象。山の妖怪・山童が夏になると人里に降りてきて河童になるという伝説もあり、山の妖怪がモデルと言う説はかなり信憑性が高そう。
一方、人形起源説と平家の落人説は100%関係ないわけではないが限定的な影響、という扱い。非人にまつわる人形起源説は柳田國男・折口信夫の二大巨頭が興味を示していたようですが、河童の説明としてはちょっと方向性が違うのではないか、とのことです。
著者の見解として、むしろ「河童のモデルは戦国末期のイエズス会宣教師ではないか」という説を推しています。かなりインパクトのある説ですが、真実やいかに。

フランシスコ・ザビエル。頭の形が河童っぽい…!?


第7章『近世一九世紀における河童文献の書誌』は第4章の補足ですね。『水虎考略』以外の江戸期河童関連文献・研究者について解説しています。細かい…


まとめ

カッパだらけの怪文書『河童の日本史』は、マニアックな題材を徹底的に掘り下げつつ、実は江戸時代の文化人の交流や、名もなき人々の想像力の変遷を追った壮大な文化史ブック。非常に詳細な河童研究であり、読み応えばっちり。難解で読むのが大変な一冊。
カッパ好きの方には凄まじくオススメ。本草学に興味がある人も楽しめそうです。


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