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夏の夜、百鬼夜行を想う。【書籍レビュー】

暑い。暑すぎる。
年々危険度が増していく夏、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
この記事を書いてる人は夏になると怪談本を手に取り、読み始める習性があります。本屋でホラー本特集が組まれているのに影響されるんでしょうね。ちなみに、ホラー耐性はほぼ0なので毎回泣きを見ます。(よせばいいのに)

さてそんな恒例行事の今年のテーマは「百鬼夜行絵巻」。昨年秋に東京国立博物館で開催されたやまと絵展で『真珠庵本 百鬼夜行絵巻』の実物を見たのがジワジワ効いているようで、最近むしょうに付喪神が見たくなるのです。

というわけで、この記事では入手しやすい百鬼夜行絵巻の解説本を紹介します。


書誌情報

『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』 ふくろうの本
著者: 田中貴子、花田清輝、澁澤龍彦、小松和彦
出版社 ‏ : ‎河出書房新社
出版年:2017/12     判:A5変形、ページ:112


そもそも、百鬼夜行絵巻とは

百鬼夜行――それは夜中に街の通りを鬼や妖怪、怨霊が闊歩して騒ぐこの世ならぬ行列。古くは『今昔物語集』に記され、平安京を代表する怪異でした。近世に入ると目撃例は減少。平安~中世が最盛期だったようです。

一方の『百鬼夜行絵巻』は妖怪の行列を描いた絵巻物の総称。室町時代から大正時代まで多数制作され、代表作は京都・真珠庵(一休和尚ゆかりの寺)が蔵する土佐光信筆(と考えられている)。類本は妖怪の種類・順序に微妙な違いがあり、複数系統が存在することが知られています。

従来、これらの絵巻は今昔物語の百鬼夜行を描いたと考えられてきました。でも、よく見るとちょっとおかしい。百鬼夜行なのに鬼が少ないし、怨霊の姿がありません。絵巻全体を見ると器物妖怪(つまり付喪神)が異様に多く、偏りが激しい。
「もしかしてこの絵巻、今昔物語が云う処の百鬼夜行の図じゃないのでは!?」というのが昨今の研究者の間で重点テーマだそう。多くの百鬼夜行絵巻には説明文が付いていないこともあり、色々分かりにくいみたいですね。


内容について

カラービジュアルによる文化解説本『ふくろうの本』シリーズから出版された本書、内容は四人の文筆家による論考と百鬼夜行絵巻各種の図版。執筆陣の内訳は、中世日本文学研究者の田中貴子氏、昭和期の評論家・花田清輝氏、幻想文学者・評論家の澁澤龍彦氏、そして妖怪学の権威である小松和彦氏といった錚々そうそうたるメンバー。

本書のメインは田中貴子氏の論考「『百鬼夜行絵巻』はなおも語る」。氏は絵巻に登場する妖怪の大半が付喪神であることに着目し、百鬼夜行絵巻の内容が平安時代における百鬼夜行のイメージとは異なることを指摘します。さらに百鬼夜行絵巻の起源を考察しており、それは室町時代の『付喪神記』絵巻の周辺に求められるのでは、という説を展開。従来の通説を覆す主張だそうです。
また、複数系統ある百鬼夜行絵巻を整理し、「真珠庵本は芸術的価値は高いけど、必ずしもオリジナルの絵巻とは限らないよね」という説を提案。これには反論もあるようで、今後の研究の進展が楽しみ。

花田清輝の文章は『画人伝』からの抜粋で、本書収録文章のなかで一番難解な印象。百鬼夜行絵巻を扱ってはいるがメインテーマではなく、中国の妖怪画や鬼が描かれた絵巻、絵師・忠阿弥の画業、さらに源頼光に討ち取られた酒呑童子や赤松三尺入道なる室町時代中期の武将にちなむ伝説へと話題が流れます。ダイジェストのせいもあって理解が難しい…
――と思っていたら。なんとこの文、評論ではなく小説だそう。絵師・忠阿弥は花田の創作した人物で、すべてフィクションらしい! 紛らわしすぎるぞ!?


澁澤龍彦の文はその名もずばり『付喪神』。百鬼夜行絵巻に描かれた付喪神の姿に注目し、その由来を考察しています。文章の途中で先述の花田清輝に言及しており、「この評論家が百鬼夜行に興味を持ったのは、彼が無機物に対するフェティッシュな感覚を有しているからだ」とのこと。へぇ
澁澤らしい比較文化論的な考察も面白い。平安時代の「百鬼夜行」が鬼や地獄に近い概念であるのに対し、室町時代の百鬼夜行は付喪神――身近な道具の変じたものです。この変化は、時代の流れとともに庶民の間で地獄が無条件に恐ろしい場所ではなくなったことに関係しているのではないかと指摘しています。
同様の現象はヨーロッパでも見られるみたい。美術史家バルトルシャイティスによると、地獄図が盛んだったゴシック期を過ぎると、ヒエロニムス・ボッシュの絵にあるように身近な器物が乱舞するコメディ風味の地獄が登場するとの指摘を引用。確かに『快楽の園』に描かれたボッシュの地獄って見る分には楽しそうなんですよね。百鬼夜行絵巻と似てるかも。

ヒエロニムス・ボッシュ『快楽の園』より地獄の部分
音楽地獄、尻から金貨を出し続ける地獄などなどユニークな表現が光る!

古代人は自然の中に畏れるべき神秘を見出していました。それが時代とともに卑小化し、神秘のエネルギーをたたえた精霊は自然環境ではなく、文明の発達とともに身近になった日用品などモノの中に宿るようになったというわけ。
付喪神に関するこういう考え方は初めて知りましたが、面白いアイデアだと思います。

小松和彦氏の論考『器物の妖怪』は、妖怪学の観点から付喪神と百鬼夜行の変遷をまとめたもので、明解な百鬼夜行絵巻論を展開しています。途中で参考資料に先の花田清輝と澁澤龍彦の文章を挙げており、続けて読むと理解が深まりますね。要点のまとまった良い論考です。

ラストは再び澁澤龍彦、今度は河鍋暁斎を語ります。澁澤さん河鍋暁斎のこと好きなんだなー、と思いつつ「暁斎作品が画格において土佐派の百鬼夜行絵巻には遠く及ばない」と断っているのにびっくり。現在では芸術的評価の高い河鍋暁斎、澁澤がこの文を書いた時点ではまだ学会の評価が非常に低かったのを思い出しました。

ここまで文章について感想を書いてきましたが、掲載図に関しては真珠庵本百鬼夜行絵巻をはじめ、京都市立芸術大学所蔵本・東京国立博物館所蔵模本(東博本A)・大阪市立美術館所蔵本など主要な百鬼夜行絵巻の全体図を確認できる点が魅力でした。ビッグサイズで隅々まで眺め回すとはいきませんが、カラーで各絵巻の特徴や表現の違いを比較出来るのは嬉しいですね。

問題が一点。この本、文章と図版の対応関係が必ずしも明確ではないのです。だから文を読みながら対応する図を探したり、結局見つからないこともあったりと、読者にとっては多少ストレス(笑)こればっかりは何とかして欲しかった!


まとめ

図と文のずれはともかく、百鬼夜行絵巻に興味がある人にはリーズナブルで、とりあえず眺めてみるのに良い一冊だと思います。複数の専門家による多角的な分析と、貴重な図版の数々が拝めるので、百鬼夜行の世界を味わいたい人、日本の妖怪文化や美術史に興味がある人におすすめ。




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