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【京都】【祇園祭】昭和30年まで山鉾が巡行した寺町通と松原通を歩いてみた

京都は祇園祭の季節。今年は3年ぶりに山鉾巡行があるので、まちはカメラやスマホで撮影を楽しむ人たちで大賑わいだ。ところで、この山鉾巡行、お年寄りから「昔は松原通を巡行してたんや」と聞くことが多い。昭和31年、観光推進などを目的にコースを変更したが、それまでは松原通を巡行していたのだ。昔の祇園祭の雰囲気を味わいたくなり、昭和30年以前の巡行経路にあたる寺町通と松原通を歩いてみた。

現在の祇園祭の山鉾巡行(前祭)の巡行経路は、四条烏丸→四条通を東へ→四条河原町を左折→河原町通を北へ→河原町御池を左折→御池通を西へ→新町御池である。新聞やテレビ、インターネットで、ビルにはさまれた大通りを進む山鉾の画像や映像をご覧になった方も多いだろう。

昭和30年までは、四条烏丸→四条通を東へ までのルートは現在と同じだが、四条河原町よりだいぶ西、八坂神社御旅所の手前にある寺町通を右折し、寺町通を南へ進んでいた。

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寺町四条の東にある八坂神社御旅所

かつては電気街として賑わった寺町通だが、最近はこうした電器店を全く見なくなった。まちの様子が変化していて、工事車両がひんぱんに行き交っている。それでも、ところどころに雰囲気ある町家が残り、かつての様子がしのばれる。山鉾が狭い道を巡行する時は、京都電燈株式会社の職員が通行の邪魔になる電線を切断したそうだ。

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電気街としてにぎわった寺町通は様変わりした
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寺町通には雰囲気ある建物が残る
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寺町通の京町家

寺町松原の交差点についた。昭和30年以前の巡行ルートでは、ここを右に曲がり、西に進む。この交差点には組み立て式の寺町派出所があったが、山鉾巡行当日は撤去されたそうだ。この狭い交差点で辻回しをするのは、かなり大変だったはずである。

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寺町松原の交差点

松原通を西へ進む。明王院不動寺というお寺に、松原通の説明書があった。松原通は平安京造営時は「五条大路」であり、幅八丈(24メートル)もあったそうだ。かつての五条大路は清水寺への参道でもあった。松原通には山鉾巡行の一里塚がある「祇園床」があると書かれている。探してみると「祇園床」という文字がある建物が見つかった。

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右の建物の真ん中あたりの壁に「祇園床」の文字がある

松原通は、扇子屋、漆工材料店など、京都らしい店が多い。地域の高齢化が進み、マンションに住む人が増えたけれど、まちづくり活動は粘り強く続けられている。

それを物語るように、ラジオ体操のポスターがあちこちに貼られていた。元小学校(現在は少子化で統廃合)のグラウンドで、7月下旬にラジオ体操をするとある。

さらに西へ進む。松原通から東洞院通を見ると、丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語にちなむ保昌山が見えた。保昌が紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。

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松原通から東洞院通を眺める

烏丸松原で巡行コースは終わりだ。せっかくなので烏丸通を北上し、大政所御旅所へ向かった。かつて、祇園祭の神輿渡御の時、三基の神輿のうち二基が安置される場所だった。もう一基の神輿は烏丸竹屋町の御旅所に渡御していたが、豊臣秀吉がこれら二つの御旅所を四条寺町に移築・統合したのだという。

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ビルの谷間にある大政所御旅所


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