勝者は美しいアイデア負け犬は変なアイデア
今まで映画いっぱい見てきたわけじゃないのに
今までたくさん読書してきたわけじゃないのに
やっぱり創作したい。
ゼロイチの大変さは学生の頃に、挫折したようなもの。
私は普通科の高校を卒業してから芸術・美術系の大学、専門学校に通いました。
そこでデザインを勉強しました。デザインといっても幅広く建築、インテリア、プロダクトのような立体をつくることからファッション、パッケージ、広告など面をつくることまでさまざまです。「おしゃれな家具とかデザインしたいー」とミーハー心のみで私はインテリアを選びました。とは言え真面目に授業も出席していて思ったのはインテリアデザインは、言ってしまえば金持ちの特権です。(色んなデザイナーの方々、まぁまぁまぁ)住宅にしろ、店舗にしろ、広い部屋を確保でき、余裕のある間取り、おしゃれな家具を設置できる。良い家具や空間のその優雅さって、贅沢に生地を使えるだの珍しい木の使い方をしてたり、難しい技術が出来る設備がある工場で製作された金物を使用しているだの、その家具のためにデザイナーや職人の努力が籠っている雰囲気が洗練された佇まいとしてとして素人に伝わっていると私は思います。有名なデザイナーな関わっていたらそりゃ金持ちしか手だせない値段ですよね。カッシーナのショールームにビビらず入店してみたいもんです。何にも知らない高校生の私はインテリア雑誌を立ち読みしては憧れまくりました。家が貧困層なのでコンプレックスの裏返しです。狭くてお金がなくても良い空間はあると思いますが、なんだかワクワクしないんです。
学生の授業でアイデアを出すだのコンセプト考える授業がたまにありました。そこで一番感じたのは、そこで成績優秀な人ほど、なんというかインテリジェンスな明るさを持っている人がアイディアを出すんですよね。羨ましい。
イケイケな奴らはコネクションを使って締切期限ぎりぎりでバーンと課題提出する。たしか先生たちは本人が制作していないことを見抜いていたが。なんでデザイン学科入ったの?と訊きたくなる。
授業を真面目に受けていない人は、的外れなアイディアをたくさん出せていたような。授業出てなくても何とかなるって思えるんでしょうか。強い。
そんな中、私は真面目だけ努力だけでカバーするしかないと思ってたので、評価としてはただの努力賞、提出点でした。考え出すと暗く暗く考えてしまうし、点と点をちゃんとした線で結ぼうとしてしまいます。またその点と点がつまらない組み合わせなんですよね。非凡な人間の戯言と思ってください。真面目に読まなくて結構です。
面白いアイディアを出す人は、日ごろから楽しいこと考えている。良いもの良いポイントに気づき、何かに生かそうとちゃんと吸収してらっしゃる。タイムリーな世間一般のブームではなく、品性のあるアートだったり、雲の形草花の形だったり、着眼点そこ?と思わせる面白さ。アートやデザインの知識が豊富。好きなんでしょうねえ。パズルがはまったかのような組み合わせを思いつく。それを気軽に話せる誰か友達なり恋人がいる。そして何よりそれを伝える絵がお上手。ついでにファッションもおしゃれ。なんでそれができるって、私がはたから見るに、タフな明るさを持っている。できるできないではなく、楽しんでらっしゃる。そんな人には運まで味方します。具体的なエピソードを書けないのが、なりたい人物像になれなかった私を表しています。私はアイデア先行理由後付け型なのでコンセプトの軸が説明できないことがありました。その理由を考え出すと、頭から煙です。私は根から明るくない。
これはインテリアデザインを志す人たちの集まりの中にいた私が感じた話ですが、他のジャンルになるとどうなんでしょう。
一人暗い部屋の中で頭抱えて何時間も費やして、出てきたアイデアが通用する世界があれば私はそちらが向いていることに薄々気づき始めたのですが、学校は入学したし後戻りできんと思ってしまいました。若いのに。
就職活動でも私は本当に向いていることに積極的に気付きに行こうとしませんでした。ずれた選択を無理やり正解にしようとしたことは長くなりそうなので大胆にカットします。後悔はしていませんがやりたい気持ちと出来るスキル能力がマッチしておらず、社会人として適応していくことに必死でした。やりたいことできる人なんてテレビ出てる人だろと思ってました。・・・どうゆう理屈だ?
自分が作ったもので不特定多数の人々の気持ちをくすぐりたい。
学生の頃に創作の大変さを齧った頭硬い人間に何ができる?
しかし一瞬アイデア側の方からちらっとしっぽを見せる時があるのだ。ごくたまに。明るさや暗さが関係している気がしてならない。
稼げるアイデア、手繰り寄せれるか。あーあまた読みにくい文章書いてしまった。
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