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辞世の句vol.03 「高杉晋作」

「おもしろき こともなく世に おもしろく すみなすものは 心なりけり」
意味:面白くもない世を面白くするのは心のありようである

高杉晋作は1839年(天保10年)、長州藩士の長男として生まれ。藩校である
「明倫館」(現在の山口県萩市)で学びながら、吉田松陰の松下村塾に入っています。

1862年(文久2年)には、藩の命令で上海に渡航。ヨーロッパの国に侵略されている清(しん:17世紀初頭~20世紀初頭の中国王朝)を目の当たりにし、日本は植民地化されてはいけないと思うようになりました。

帰国後は「攘夷」(じょうい:外国人を打ち払い、国内に入れないこと)を目指し、1863年(文久3年)、下関を守るために「奇兵隊」(きへいたい)を結成。

この奇兵隊は、武士でなくとも志があれば入隊できる、新しい軍隊だったと言います。

この頃の長州藩は、江戸幕府に従う勢力が優勢でした。しかし、高杉晋作は
江戸幕府を批判する立場にあったため、藩内でクーデターを実施して成功。

そののち、長州藩は倒幕の道を歩むこととなったのです。

旧幕府軍を撃退するなど、活躍していた高杉晋作ですが、肺結核を患っており、戦いから退いて療養に入り、27歳(1867)で命を奪われました。

著名人が遺した辞世の句/ホームメイト (touken-world.jp)
https://www.touken-world.jp/historical-last-words/ より


幕末の風雲児と呼ばれ、民衆パワーを結集した奇兵隊を創設して、維新を牽引した英傑の一人でありますが、驚くべきことは彼の年齢であります。

20代の若者が自分の理想と思える世の中を創ろうと必死に最前線で旗を振る。今で言う若手の強力インフルエンサー・・・思想家であり政治家でありエンタメ力に優れたリーダーって本当に憧れます。

現代でも世界では20代の凄い人が時々出現して来ますが、もっと多くの英傑が生まれ育つ社会風土が必要ですね。

少なくても60代以降の政治家が国家の舵取りをする政治家やリーダーで最前線に立っているようではダメではないでしょうか?

自分も既に還暦を過ぎ人生の2周目に入りましたが、まだまだ若い者には負けにぞ~との気持ちはありますが、10年後の未来は語れても20年後、30年後となれば生きているか否かも不明です、そんな人間に国家の未来などは任せられません。

幕末に出来たことが今出来ないワケがありません、是非「高杉晋作」のような若き英傑の誕生を願うばかりであります!

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