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都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(12) 都市生活者のバラッド

空白の一年

アルバム「Time Out!」を1990年11月に発表した佐野は、その年のうちにアルバム・プロモーションのためのツアーをわずか15本の公演で終了してしまう。そして翌91年、佐野元春はほとんど音楽活動をしないまま過ごした。
1991年4月、佐野は衛星放送WOWOW開局記念番組「グッドバイ・クルーエル・ワールド」に出演した。これはアメリカを中心とする多国籍軍がイラクを空爆したいわゆる湾岸戦争に対してミュージシャンからアクションを起こすとの趣旨で企画されたもので、佐野はハートランドとともに13曲をアンプラグドで演奏した。
このときの演奏はその後何回かに分けて公式にリリースされている。まずシングル『また明日…』のカップリングとして『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』、『ジュジュ』の2曲が、同じく『誰かが君のドアを叩いている』には『愛のシステム』が収録された。またベスト・アルバム「NO DAMAGE II」には『99ブルース』が、ライブ・アルバム「GOLDEN RING」には『Young Bloods』が収録されており(尚、このアルバムには『愛のシステム』も再録)、合わせて5曲が公式に音源としてリリースされていることになるが、この番組はこの時期の佐野の活動を知る上で貴重なパブリック・アパレンスであり、映像も含めてまとまった形でのリリースを待ちたい。

この年の8月には佐野はバラードばかりを集めたコンピレーション・アルバム「Slow Songs」を発表している。ファースト・アルバム「BACK TO THE STREET」収録の『情けない週末』から、この時点での最新アルバム「TIME OUT!」収録の『君を待っている』、『恋する男』まで、全12曲を収めたこの作品は佐野として4枚目の「企画もの」のアルバムである。
アルバム「Cafe Bohemia」から「THE CIRCLE」に至るまで、この時期の佐野はオリジナル・アルバム1枚に対してほぼ1枚の割合で企画ものをリリースしている。オリジナル・アルバムの制作間隔が概ね1年半以上、長いときは2年半に及ぶこの時期の佐野の制作スパンからすれば、1年1作をベースとするレコード会社との契約を履行するには企画ものでその隙間を埋めて行くしかなかったのではないかと推測されるし、企画ものの中にもライブ・アルバム「HEARTLAND」や未CD化音源をまとめて収録したシングル・コレクションのように意義のあるものもあったが、この「Slow Songs」は率直にいって僕にはまったくいただけない作品であった。

弱者の共依存

まず、バラード集というその安易な企画性が気にくわない。もちろん佐野には優れたバラードがいくつもある。例えば『Heart Beat』。恋人を誘い出し、街の喧噪を逃れてクルマで深夜のハイウェイをさまよう二人。安易な叙情性に流れることなくカット・バックのようにシーンを描写して行く佐野の視線。「何もかもインチキに見えちゃ寂しいぜ」、「歯車みたいな世界にさよならすれば」といった歌詞に象徴されて行く二人の無垢な夢、そしてゆっくりと明けて行く夜。ダディの乾いたサックス。名曲という言葉では足りない、佐野のストーリー・テラーとしての真骨頂である。
あるいは『週末の恋人たち』。恋人の誕生日のために1日だけアルバイトをして、プレゼントのカタログを部屋に広げてみる青年。車や映画の話もしばらくはヤメにして波の音だけを聞いていようという、恋人たちの時間の流れを切り取ったような佳曲だ。
佐野のバラードの特色は、バラードにありがちな叙情性や湿っぽさを排除し、映像的なシーンや独白をいくつも丁寧に積み重ねて行くことにより聴き手の想像力を喚起して、情念のもたれあいとしての「泣き」に寄りかからない、自立した感情の「ふるえ」のようなものを結果としてすくい取ってみせる点にある。それは佐野のソング・ライティング全般に通じる手法であり、いつまでたっても結局湿っぽい情緒の呪縛から抜け出せない「Jポップス」との間に一線を画する重要な分水嶺でもある。
しかし、僕たち日本人の間には、情緒に流されたい、自分の存在の頼りなさをだれかに引き受けて欲しい、そして一緒に「泣きたい」という「弱者の共依存」的な精神性が根強く存在する。リスナーの「バラード好み」の中には、自分の個としての弱さをそうした情緒的なもたれ合いの中に解消したいという側面が強く感じられる。ここに収められたひとつひとつの曲は、上述のようなクールな都市生活者のバラードとして成立しているが、アルバム全体としてはそうした情緒的なバラード好みの文脈に取りこまれるリスクを強く抱えている。
それは「バラード集」という企画そのものに潜む本質的なリスクだ。確かに『情けない週末』や『バルセロナの夜』はリスナーの人気の高い曲であり、こうした企画盤に対する需要は確実に存在するだろう。しかし、このアルバムが、そうした曲と、運命的な男女の出会いとソウルメイトへの希求が歌われる『ふたりの理由』、世界を満たす万物の美しさへの讃歌である『雪-あぁ世界は美しい』、愛するものとの永遠の別れ、死別についての『グッドバイからはじめよう』など、傾向も曲調も異なる曲群とを、ただ「スローな曲」という括りだけでひとまとめにし、アルバム全体としてそうした情緒的な「バラード好み」需要に応えようとしたものであるならば、それは果たして都市生活者の系譜を継ぎ、彼らのためのバラッドをこそ歌おうとしてきた佐野の表現と整合性のある態度だろうか。情緒的なもたれ合いとしての「バラード好み」を意識したかのような企画に僕は深い幻滅を感じたのだった。

ブランドの価値

さらに考えてみたいのは、いわゆる企画ものの意味についてだ。多くの場合、企画ものと呼ばれる作品の背景には契約上の問題やメーカー側の「手っ取り早く確実な売り上げの見込めるリリースが欲しい」という事情がある。アーティストとメーカーは深い相互依存関係にあり、メーカーが経営的に成り立ってこそアーティストの作品がリスナーに届くのだから、そうした事情を一概に商業主義的と切って捨てることは正しくない。それはポップ・ミュージックが所詮一種のマス・プロダクションであり、商業主義やポピュリズムとの相克の中からこそ優れたポップ・ミュージック、優れたロックンロールが生まれることに対する洞察を欠いた態度だ。
しかし、そうは言ってもその企画ものが過去の音源を適当に組み合わせただけのお粗末なものであったとしたらどうだろう。アーティストの移籍後に、原盤権を持つ旧所属レーベルが勝手な編集盤を出すことはよくあるが、現に所属しているレーベルから企画ものがリリースされる場合、アーティストはそれがリスナーにとって新たに買うに値するものであるようにコントロールする責任があるはずだ。
前述のようにバンドとしてひとつの達成を残したハートランドの演奏を記録したライブ・アルバム「HEARTLAND」、CD化されていなかった過去の音源をまとめて収録した「Moto Sigles 1980-1989」、あるいはシングルのB面曲を巧みに織りこみながらアルバムとしても十分なコンセプトを成立させ、パーティ・アルバムとしての自律性を獲得するに至った「No Damage」など、それまでの佐野の企画ものには、明らかにリスナーに捨て金を払わせないという佐野の明確なコミットが見て取れたし、そのためにはどのような編集をすればよいかという問題意識があった。
しかしながら残念なことにこのアルバムでは、企画自体が上記のように情緒的な「バラード好み」におもねったと見られてもしかたのないものである上に、その選曲にも「スローな曲」という以外に必然性の感じられない、確固たる軸の見えないものになってしまった。いくつかの曲はリテイクやリミックスされたが、それも「甘ったるい」ストリングス入りのアレンジが中心で、原曲のダイナミズムをより的確に提示できるような種類のものではなかった。
緩やかにではあれインフレが進行する中で、音楽アルバムの価格はここ20年近く、三千円前後でほとんど変動していない。したがって、アルバムを買うということが以前ほどの重みを持たなくなっているのは確かに事実かもしれない。しかし、例えば佐野が自身の音楽をティーンエイジャーにも聴いて欲しいと思うのなら、彼らが貴重な小遣いやバイト代から出す三千円をいい加減な企画ものに支払わせてはならない。これから音楽の素晴らしさに触れ、奥深さを知る入口に立つ者から、カネを巻き上げるようなことをしてはならない。そしてそれはオールド・ファンについても同じことだ。
佐野は、「佐野元春」というブランドを長い時間をかけて確立してきた。「佐野さんの新譜なら」とカネを払うリスナーをたくさん獲得してきた。もちろんそれはたゆまず優れた作品を発表し続けてきた佐野への信頼である。そして彼らは多く経済的にも自立して独立した収入を得ているだろうから、ティーンエイジャーの例のように三千円の支出に大騒ぎすることはないかもしれない。しかしそのようなリスナーの財布をあてにして十分なコミットのできていない企画ものをリリースすることは、結局自分への信頼を食いつぶして行くことに他ならない。それは確実に「佐野元春」というブランドの価値を落とし、アーティストの寿命を縮めて行くだろう。アーティストもメーカーもそのことに自覚的でなければならない。

ともかく、この年、1991年の佐野のおもなパブリック・アパレンスは、佐野の個人的な事情もあり、衛星放送への出演とこのバラード・ベストのリリースだけにとどまった。佐野の次の活動が本格的に始まるのは、翌92年のことになる。

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