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都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(23) 正史と裏面史

アニバーサリー・イヤー

翌2000年は佐野にとってデビュー20周年のアニバーサリー・イヤーになった。まず1月に2枚組のアルバム「The 20th Anniversary Edition」が発売されている。これはデビュー曲『アンジェリーナ』から最新の『INNOCENT』まで32曲をおさめた集大成的なベスト・アルバムであり、初期の曲を中心に、例えば『アンジェリーナ』や『SOMEDAY』、『Rock & Roll Night』といった、ある意味でアンタッチャブルなスタンダードにも大胆な再ミックスが施されていることで話題になった。
このアルバムでの再ミックスは高く評価されるべきだ。原曲のイメージを損なうことなく、音のセパレーションを大胆に改善し、一部の曲ではこれまで埋もれていたニュアンスを掘り起こすことにすら成功している。発表から20年近い時間を経た初期の曲群が、このアルバムで新たな「切実さ」とともに僕たちに迫ってくるのだとしたら、それはもちろん第一に曲に内在する力の普遍性によるものだとしても、この愛情あふれる再ミックスが貢献するところも大きい。特に『ハッピーマン』や『アンジェリーナ』の再ミックスは曲の生々しさをオリジナルより雄弁に伝えるといってもよいくらいだ。
僕も含めたオールド・ファンの間には、初期の曲に対する特別な思い入れがある。それ自体は正当なものだし当然のことだと思うが、そうした思い入れが時としてアクチュアルな佐野元春の姿を直視することの妨げになってしまうリスクは常にあると言わなければならない。佐野がそうしたファンの思い入れの強い初期の代表曲に敢えて手を入れ、大胆に再ミックスしたことは、自身を巡る物語がいつの間にか「神話化」してしまい、その結果これらの曲が今日的な問題意識とのリンクを失って懐メロに堕してしまうことへの拒絶であったと解してよいだろう。
このアルバムにはその他にHKBの演奏による2曲の新録が収められている。中でも特筆すべきなのは『君をさがしている(朝が来るまで)』だ。この曲はもともとフォーク・ロック調のアレンジを意図したものの、アルバム「Heart Beat」収録のオリジナルでは中途半端で不満足な出来に終わったいわくのある作品だった。オリジナルから18年、ここではHKBはこの曲を、バーズを下敷きにしたフォーク・ロックとして演奏し、佐野はそれにボブ・ディランを意識したボーカルで応えている。このことは佐野が『風の手のひらの上』(アルバム「THE BARN」収録)で「答えはいつでも形を変えてそこにある/風の手のひらの上」と歌ってディランにオマージュを捧げたことと深く関係している。偉大な先人とのつながりを明快に示しながら、一方でこの曲のテーマの普遍性を改めて浮き彫りにする、極めて優れた演奏だ。
アルバムの選曲については聴く人毎に違った感想があるだろう。それが何らかの取捨選択である限り、万人を満足させる答えはあり得ない。しかし20周年の記念盤としてみればここでの選曲は概ね納得のできるものであり、入門編としても大きな過不足はない。丁寧に手をかけられた誠実なコンピレーションである。

この年にはこれ以外にも重要なアイテムがいくつかリリースされている。
まずそれまでに発表された12インチ・シングル、ダンス・リミックスなどをまとめたアナログ2枚組の「Club Mix Collection 1984-1999」。20周年を記念して期間限定で製作されたウェブ・サイト「eTHIS」を通じての限定販売となったが、長い間入手不可能となっていた『COMPLICATION SHAKEDOWN』や『TONIGHT』などのエクステンデッド・ミックスが再音源化された意義は大きい。この作品に対してはCDでの発売を望む声もあったが、アナログでの発売となったのは、レコード会社から、CDならウェブ限定ではなく一般販売して欲しいとの要望があったからだともいう。
また、「エレクトリック・ガーデン」を初めとするポエトリー・リーディングの音源をまとめたCDブック「Spoken Words」もこの年の12月に同じくウェブ限定で発売されている。これは長い間入手不可能になっていたカセットブック収録の音源をリミックスし、その他のポエトリー・リーディング系の音源も加えて編集したCDと、歌詞カードをハードカバーの書籍仕立てにしたものの組み合わせだが、やはり貴重な音源の復刻でありファンから要望の多かったものである。

酩酊するグラスマン

だが、このアニバーサリー・イヤーの活動の中で特筆するべきなのは、アルバム「GRASS」の発売だろう。「20th Anniversary Edition」の続編としてリリースされたこのアルバムは、2枚組のベストに収録されなかった曲の中から佐野が編んだ一種の「裏ベスト」である。ここに収録された曲はどれもいわゆる「代表曲」ではないが、「20th Anniversary Edition」という「正史」で語られなかったもう一つの佐野元春ストーリーを紡ぎ出す興味深い叙事詩である。
最も目を引くのは『ディズニー・ピープル』と『ブッダ』という未発表の2曲だ。これらは第9回で「封印された東京セッション」として紹介した1987年のレコーディング・セッションでレコーディングされた曲だ。『ディズニー・ピープル』は『エイジアン・フラワーズ』の、『ブッダ』は『ハッピーエンド』の原型となる曲でまったくの新曲という訳ではなく、それらの曲を意識せずに聴くことは難しいが、ハートランドの力強い演奏が印象的なロックンロールであり、単独での発表に耐えるものではある。
その他の曲にも「20th Anniversary Edition」と同様に再ミックスが行われた他、『石と卵』はボニー・ピンクを迎えたデュエットとして新たにレコーディングされた。このバージョンでの佐野のボーカルはウィスパー・ボイス。オリジナルのファルセットに対する評判がよくなかったためにトライしたものだと思われるが、これによってこの曲のニュアンスはグッと引き立ったと思う。
このアルバムが紡ぎ出す「もう一つの佐野元春ストーリー」が何であるかは個々のリスナーの自由な解釈に委ねられたテーマであり、そのような謎解きをそれぞれに楽しむこと自体がこのアルバムの聴き方の一つなのだと思うが、ここで強く示唆されているのは中期ビートルズの影響とドラッグである。例えば『君を失いそうさ』、『君が訪れる日』、『モリスンは朝、空港で』、そしてシークレット・トラックとして収録されているライブの『サンチャイルドは僕の友達』といった曲に共通しているのはサイケデリックな中期ビートルズのフレイバーだ。そしてその背景には当然LSDやマリファナといったドラッグの影響がある。アルバムのタイトル「GRASS」に至っては「葉っぱ」そのものだ(よくこんなタイトルをつけたものだ)。
佐野はとかく「いい人」、真面目な人だと思われがちだが、家を飛び出して横浜をさまよっていた高校時代のエピソードを引くまでもなく、その根っこには強烈なアーティスト・エゴ、ノーティで危なっかしい精神性が潜んでいる。このアルバムはそんなノーティな佐野がいたずらっぽく「こっちのオレも見てくれよ」と顔を出して見せたチャーミングなコンピレーションなのかもしれない。

こうした企画盤ラッシュの一方、この年、オリジナルのマテリアルはリリースされなかった。20周年の今年こそオリジナル・アルバムをという声もあったが、佐野は敢えて20年間の仕事を集大成することに労力を費やした。おそらくはここで自身の活動に一つの区切りをつけたいという気持ちがあったのではないだろうか。

地図のない旅

翌2001年1月から、佐野はバンドのメンバーをスタジオに集めて新譜に向けたレコーディングを始める。このレコーディングでは小田原豊に代わってハートランドのメンバーであった古田たかしがドラマーとして参加、また後にツアーでサックスなどを担当することになる山本拓夫も新たに加わった。
このレコーディング・セッションの様子は公式ウェブサイトでの連載をまとめた吉原聖洋著「地図のない旅」に詳しい。佐野がかなりの数の新曲を用意し、幾度かのツアーで気心も知れたメンバーが要領よくそれを音にして行く。そのサイクルの中で次第にアルバムの骨格が見えてくる様子はスリリングであり、微笑ましい内輪のエピソードも含めレコーディングは順調だと当初は思われたようだ。
しかし、ハイピッチでレコーディングが進んでいた3月になって、4月以降のレコーディング日程がキャンセルを余儀なくされる事態になったことが同書でも語られる。その後、レコーディングは断続的に再開と中断を繰り返し、結果として2003年の12月まで、実に3年に亘って続けられることになる。
いったい何があったのか、同書に収められているインタビューで佐野はこう語っている。

「何度もリリースは諦めようとした、レコード会社との闘争があったから。もしかしたらこのアルバムが世の中に出せないかもしれない、と何度も思った。音楽制作をビジネスで続けていくことにも嫌気がさして、もしかしたらこのアルバムは完成を見ずに道半ばでセッションは終わるかもしれない、と思ったことは何度もあった(前掲「地図のない旅」)」

また、レコーディングに立ち会いその様子をレポートした吉原はこう書いている。

「レコーディングの進行を阻害した最大の原因は、所属するレコード会社とのリレーションシップの崩壊だろう。佐野が率いるロックンロール・キャラバンは、SME(ソニー・ミュージックエンタテインメント、筆者註)やエピック・レコードの業績不振による社内的なトラブルに巻き込まれ、度重なるレコード・リリースの延期やプロモーション・スタッフの不在、という事態に見舞われた。それまでのSMEやエピックを支えてた主要なスタッフの異動や退社などもあり、ちょうど『THE SUN』のためのレコーディング・セッションが始まった2001年前後からレーベルの求心力は急速に落ちて行った(同書)」

そのような、どちらかと言えば音楽そのものとは関係のないビジネス面での問題でレコーディングはスムーズに進まず、先が見えない状況の中で佐野とバンドは未発表に終わったトラックを含めおびただしい数の曲を録音し続けた。
そうした曲が「THE SUN」というアルバムにまとめられ、陽の目を見るには2004年7月を待たなければならない。最初は単純にまだ見ぬアルバムへの期待をこめた「地図のない旅」というレコーディング・レポートのタイトルは、しかし皮肉にも本当に「どうなるか誰にも分からない事態」、端的に言えば迷走を実に的確に形容することになってしまったのだった。


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