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都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(21) ホットスポット

ありがとう

1999年3月、赤坂ブリッツでひとつのライブが行われた。「driving for 21st, monkey」と名づけられたそのショーは、佐野元春がファンクラブのメンバーのために行ったプレミアム・ライブだった。
僕はアーティストのファンクラブというものが一般的にどんな活動をするものなのか寡聞にして知らないが、佐野元春のファンクラブは参加者に何か特別で具体的なメリットを与えるものではなかった。それは会報を発行して佐野の支持者にある種のフォーラムを提供してきたし、ある時期からはライブ・チケットの優先予約を始めるようになったけれど、どちらかといえばそれはファンどうしの親睦会的色彩の濃いものであり、一種の穏やかなサークルとかサロンといったものに過ぎなかった。佐野は稀に会報のインタビューに答えることはあったが、ファンクラブのメンバーのために特別に何かをするといったことはまずなかったと言ってよい。それは、リスナーはファンクラブのメンバーだけではない、ファンが集うことはありがたいがそのために特別なメリットを与えることは避けたいという佐野の「誠意」の表れだと多くのリスナーは感じてきたのではないだろうか。
その佐野がファンクラブのメンバーに限定したライブを行った背景には、翌年のデビュー20周年をひかえて、それまで佐野を支持し続けてくれたリスナーに対して率直な感謝を伝えたいという気持ちがあったのだと思う。もちろん佐野がそのようなライブを行うことに対して一定の批判はあった。上記のような経緯を考えればそれは無理からぬことであっただろう。そして佐野もそのことは当然承知していたに違いない。それでも佐野が敢えてファンクラブ・メンバー限定のライブを行ったということは、その年の後半から始まることになる20周年プロジェクトに先立って、コアなファンにまず感謝を伝えることがひとつの「誠意」であり得るという考え方に立ち、そのコアなファンの便宜的な絞りこみとしてファンクラブ・メンバーというカテゴライズを援用したということなのだと思う。決してファンクラブのメンバーを「えこひいき」していた訳ではないだろう。
このライブで佐野は未発表曲を1曲披露している。「ありがとう、と君に言えるのが嬉しい」という歌詞で始まるこの曲は、佐野がこのライブに託した気持ちを何よりも雄弁に物語っているのではないだろうか。当初『ありがとう』というタイトルで紹介されたこの曲は、のちに『INNOCENT』と改題されて公式にリリースされることになる訳だが、それについては別に触れることにしよう。

ニューキッズ

佐野元春の新しいアルバムは1999年の8月に届けられた。「Stones and Eggs」と題されたこのアルバムは、『GO4』というラップ・チューンで始まる。
1984年に発表されたアルバム「VISITORS」で佐野は当時まだ勃興期にあったヒップ・ホップをいち早く取り入れた(第4回「オレを壊して欲しい」)。その試みは佐野が第二期へと踏み出して行く転換点として大きな意味を持っていたが、ヒップ・ホップへの接近そのものはポエトリー・リーディングやロックの歌詞の再検討という方向へ昇華され、佐野の音楽表現は再びどちらかといえば本来的なロックのフィールドに戻って行った。また、そうした佐野のトライアルが日本のラップに与えた直接の影響は限定的なものであったということも併せて指摘した。佐野のヒップ・ホップへのアプローチの特徴は純粋なラップというよりはむしろロックとの異種交配にあり、それは日本のラップのメイン・ストリームには直接受け継がれなかった。
その佐野がこのアルバムで再びラップに取り組んだのは、ドラゴン・アッシュの出現によるところが大きいのではないかと思う。独自のスタンスでヒップ・ホップとロックのミクスチュアを試みるドラゴン・アッシュを、佐野はかつての自らと志を同じくするものとして認知したのではないだろうか。このアルバムの最後には同じ曲をドラゴン・アッシュの降谷建志とBOTSのリミックスに委ねた『GO4 Impact』を収録しているが、その事実がこの曲の成り立ちを示唆している。
さらにいうなら、このアルバムで佐野は再びロックの最前線に立つこと、ティーンエイジ・ミュージックとしてのロックの本質を追求することを意識したのではないかと思う。それは前作「THE BARN」に対して、レイドバックしているという批判が寄せられたことと無関係ではないだろう。それが佐野をして再びラップに向かわせた動因でもあったのではないか。僕自身、「THE BARN」というアルバムのできそのものは高く評価するが、それがロックの現在とどう関わるのかという問題については答えを留保せざるを得ない。佐野はそうしたリスナーの疑問に対する答えのひとつとして、ドラゴン・アッシュとのコラボレーションという試みを用意したのだろう。
確かにSteady & Co.(プロデューサー、ミキサーとしての降谷建志とBOTSのチーム名)のリミックスはこの曲のダイナミズムをより際だたせ、佐野元春の音楽の今日的な位相をはっきりさせた。アルバム冒頭のオリジナルよりも『GO4 Impact』の方がトラックとして重要であることは両方を聞き比べれば明白だ。

ホットスポット

この曲にはしかし、いくつかの「しかけ」が隠されている。過去のフレーズからの引用がそれだ。「さよならレボリューション」(『ガラスのジェネレーション』)、「鋼のようなボアダム 輝き続けるフリーダム」(『Young Bloods』から一部改変)、「そのさみしげな瞳に映るのは何?」(『ボリビア-野性的で冴えてる連中』から一部改変)など、どこかで聞いたことのあるフレーズが繰り返される。これは何を意味するのだろうか。
第17回で「十代の潜水生活」について述べた通り、佐野はそれによって、このニュー・キッズとのコラボレーションが、一方では自身の活動の延長線上にあるものであり、その精神の系譜が間違いなく継承されていることを示そうとしていたのだろう。ちりばめられた過去のフレーズは、ウェブ・サイト上で他のサイトへのリンクになるホットスポットにも似た、自身の連続性へのリンクだったのではないだろうか。
佐野がこうしたヒントをこの曲にしのばせた背景には、前述のようなティーンエイジ・ミュージックとしてのロックという命題への対論とともに、20周年をひかえて自身を長く支持してくれたリスナーへの返礼という、このアルバムのもうひとつの顔がある。
前作へのリスナーの反応を介して、佐野はリスナーが自分に求めているもののことを考えたのではないだろうか。そこで佐野が得た答えは次のようなものだった。

「大方のリスナーは『ロック音楽に成熟を求めない』ということなんだ。『ロックンロール、いつまでもガキだよ。フレッシュであってくれよ』『成長について言及するのはいいんだけれども、サウンドごと老化しないでくれよ』。そうした傾向があるフシがある」(「ストレンジ・デイズ」No.5)

その結果、このアルバムには初期を彷彿させるシンプルでフレンドリーなポップ・チューンが何曲か収められることになった。それはアメリカン・ルーツに忠実でアーシーなサウンド、落ち着いた音楽表現を基調にした前作「THE BARN」とはある意味で対極にあるものだと言ってよい。このアルバムで佐野は、自らのリスナーに対していつにない「配慮」を示したように思える。
佐野元春がここでやろうとしているのは、彼を20年にわたって支えてきたファンとの約束を果たすことだ。佐野を支持し続けてきたファンが、佐野に何を求めているのか、佐野の音楽の何を信頼してきたのか、佐野はそうしたことに思いを巡らし、それに応えることで佐野はリスナーとの間に交わされた約束を果たそうとしたのだ。

もっとも、それがこのアルバムを作品として成功に導いたかどうかは疑問の残るところだ。この点については次章で見て行くことにしよう。

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