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都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(18) 色とりどりの果実

International Hobo King Tour

ハートランドを解散し、これまでとは違ったミュージシャンたちと始めたレコーディング・セッションは丸1年にも及んだ。佐野元春はその中で徐々に新しいアルバムの姿を見出して行ったに違いない。1995年11月にはアルバム「The Circle」以来2年ぶりになるシングル『十代の潜水生活』をリリースし、翌年1月には2枚目の先行シングル『楽しい時』をリリースするとともに、レコーディング・セッションの中からコア・メンバーとして固まりつつあった5人を核に、スカパラ・ホーンズとセクストン・シスターズを加えた総勢12人を従えてツアーに出た。
ツアー・タイトルは「International Hobo King Tour」。全国13公演で佐野は久しぶりにオーディエンスの前に姿を現した。アルバムがリリースされていないにもかかわらずリスナーたちは全国の会場を埋めた。初めてのツアーだったがバンドは高いプレイヤビリティを示し、佐野の要求に応えた。
佐野がレコーディングの完了しないこの時期に敢えてツアーを行った意図は明確には語られていない。しかし、その背景にはレコーディング・セッションの中で佐野が確かな手応えを感じていただろうということ、そしてそれを一刻も早くリスナーに届け、その反応を見てみたかったのだろうということが容易に推測される。それはハートランドを解散し、ひとりぼっちで闘い始めることを自らに課した佐野が、徐々に新しい仲間を獲得し、彼らとともに新しい音楽が奏でられるようになったことに率直な喜びを感じていることを想像させた。
4月、アルバムのトラック・ダウン完了。5月、3枚目の先行シングル『ヤァ!ソウルボーイ』リリース。そしてアルバム「FRUITS」は96年7月にリリースされた。

天国に続く芝生の丘

このアルバムは佐野の音楽活動においてその第三期の始まりを告げる重要な作品であると同時に、佐野の個人的な事情が色濃く反映された作品でもある。アルバム「sweet 16」には「このアルバムを父に捧ぐ」という献辞があったが、そのこととの対比でいえばこのアルバムはさしずめ母親に捧げられたものであったに違いない。両親の相次ぐ死に対峙した佐野は、それを契機に人の生と死に対するリアルな感覚や、成熟といったそれまでのティーンエイジ・ミュージックとしてのロックの範疇に収まりきらないようなテーマを取り上げることになった。成長という物語とそれがもたらす心身の「きしみ」を歌い続けてきたのが「The Circle」までの佐野だったとしたら、この「FRUITS」は成熟という人生の新しい過程をいかにポップ・ミュージックのフィールドに取りこむことができるかという困難な課題に取り組んでいる。
例えば『天国に続く芝生の丘』からインストルメンタルの『夏のピースハウスにて』へのシークエンス。『天国に続く芝生の丘』は穏やかな夏の日に催された結婚式の風景を歌った曲である。しかしこの曲には濃密な死のイメージが拭いがたくまとわりついている。色あせた幸福なスナップが時に「滅び」や「終わり」といった不吉なイメージを強く印象づけるように、この幸福で暖かな結婚式のワルツはそのまま直接「死」に結びついている。教会は人の出生や結婚とともに死をも司るところ。だからその芝生は結婚式の場所であると同時に「天国」に続いているのだ。
そして『夏のピースハウスにて』は、このどこか寂しげなワルツを引き取る穏やかなインストルメンタルだ。母親が入院していたホスピスの光景をイメージしたというこの曲が『天国に続く芝生の丘』に続いて奏でられるとき、このアルバムに隠された「死」への眼差しは一層明らかになる。平和で安らかな時間が過ぎて行く中で人は確実に老い、「死」に近づいて行く。僕たちはだれもが毎日「少しずつ死んで行く」。この曲の静けさはその背後にそうした宿命的な無常感をたたえているように僕には思える。
穏やかで静かなこのシークエンスに、決してあからさまでなく黙示的に母親へのレクイエムをしのばせるセンス、そしてそれをただの「嘆き節」、「泣き節」に終わらせず、「死」への真摯で強い眼差しに昇華させる力量、このシークエンスはその音楽的なフォーマットにかかわらずこのアルバムの中で最もロック的なモメントを含んだ、このアルバムの白眉とも言える部分である。
一方で、中盤に置かれた『メリーゴーランド』では佐野はむき出しのシャウトを聞かせている。重いファンクに乗せてたたきつけるように歌われるこの曲で、佐野は「mama mama mamaが行っちゃった どこか知らないところに」と歌う。この曲のイントロでは『天国に続く芝生の丘』がリプライズされ、「メリーゴーラウンド」という歌詞はこの2曲の間で共有されている。「Mama」という英文タイトルの付されたこの曲は、『天国に続く芝生の丘』を読み解く重要なヒントだが、それは意識的に母親をイメージしたというよりは、むしろこのアルバムの底流にあるものが図らずも奔流のように噴出したものだと考えるのが妥当であるように思う。

再生への願い

だが、もちろんこのアルバムはそれ以外にもさまざまな意匠がこめられている。前章で詳述した『十代の潜水生活』。この曲には「Cafe BohemiaじゃBig Fat mamaが騒いでる」という歌詞が現れる。いうまでもなく「Cafe Bohemia」は佐野の5枚目のオリジナル・アルバムのタイトルであり、それ以上に知的な都市生活者が集う場所としてのスローガン的な意味あいを持った一種の「術語」である(詳しくは第8回「カフェ・ボヘミアで夢を」)。また「ビッグ・ファット・ママ」は『HAPPY MAN』に歌われたキャラクターであり、『インディビジュアリスト』にも登場する人気者である。こうした特別な意味を持つ言葉を歌詞に織りこむことで、佐野はこのロックンロールがきちんとそれまでの活動の延長線上に立つものであり、その精神の系譜が間違いなく受け継がれていることを古いリスナーたちに示そうとしていたのだろう。
また、『ヤァ!ソウルボーイ』は『ダウンタウン・ボーイ』や『Wild Hearts-冒険者たち』の続編とされている曲だ。『ダウンタウン・ボーイ』では「たったひとつだけ残された最後のチャンスに賭けて」いた少年が、『Wild Hearts』では「心に見知らぬ夜明けを抱えて」いた男が、この曲では「いつの日にかすべてが解き放たれるまで もう一度叩きのめす」と歌う。光に満ちた夏のそよ風の中で人気のない海岸線を眺めているこの男の、水平線の向こうまでをずっと見通そうとするかのような、まっすぐで澄んだ視線。多くを失い、多くを知ってしまった後で、それでも「すべてが解き放たれる」いつかを信じようとする佐野の新鮮な決意が印象的だ。

このアルバムはバラエティに富んでいる。シンプルなロックンロールから優雅なワルツまで。オーケストラのインストからヘヴィなファンク、ポエトリー・リーディングまで。その一つ一つが一方で佐野元春の長いキャリアの延長線上に立ちながら、他方では確実に「次」へ行こうとする強い動機に支えられている。このアルバムは佐野がハートランドを解散し、新しい顔ぶれとの長いレコーディング・セッションの中で模索して作り上げたいわばリアル・タイムの佐野元春のショー・ケースのようなものであるが、そこにあってこのアルバムを貫き、その背後から統合しているのは再びロック表現の最前線に立ち、持ち得るもののすべてで「ロック」という巨大なイコンに向かい合おうという佐野自身の強い意志に他ならない。
そのために佐野はまず、個人的な場所に立ち戻ることから始めた。アルバム歌詞カードの最初には「僕の庭ではじまる。」、そして終わりには「僕の庭で終わる。」と記されているが、それはこのアルバムがある意味で極めて個人的な作品であることを印象づけるとともに、その個人的な生と死、人間の成熟という根源的な問題をロック表現の新たなテーマとして普遍化することができるのではないかという問いかけを構成している。そしてそうしたテーマをポップ・ミュージックのフィールドでどのようにディールして行けばよいのかというひとつの意欲的な試みがこのアルバムなのだ。
そのような意味でこのアルバムは前作「The Circle」で示された大きな転機、ひとつの「終わり」を受けて示された新たな「始まり」の物語であり、重要であるとともに大変優れた作品である。『太陽だけが見えている-子供たちは大丈夫』から『霧の中のダライラマ』をブリッジにして『そこにいてくれてありがとう-R・D・レインに捧ぐ』へと続くシークエンスの見事な音楽的構成と曲調の多彩さ、そしてそれを圧倒的なスピード感の中で万華鏡のように回転させながらリスナーを引きこんで行く技量は、このアルバムの音楽的な完成度の高さを物語っている。

佐野はアルバム発表後、96年秋に「Fruits Tour」と題して再び全国をツアーした。そして12月には「Fruits Punch」と題したスペシャル・ライブを、井上鑑率いるラウンド・アバウト・オーケストラを迎え、スカパラ・ホーンズ、セクストン・シスターズを加えて日本武道館を含む大ホールで行った。このツアーで佐野を支えたインターナショナル・ホーボー・キング・バンド(佐橋佳幸、小田原豊、井上富雄、西本明、KYON)は、その後も佐野と活動をともにして行くパーマネントなバンドとなって行く。その最初の成果は次作「THE BARN」となる訳だが、このアルバム前後の動きについては次章で取り上げることにしよう。

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