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都市生活者の系譜 ―佐野元春私論(25) ヒナギクはせつなげに風の中

コピー・コントロールをめぐる問題

この時期、日本の、いや世界の音楽業界を揺るがしていた大きな問題があった。それはCDの違法コピーだ。
それまでもアナログ盤のレコードやCDをカセットテープやミニディスクなどにコピーして(「落とす」と称された)楽しむことは広く行われており、僕たちの世代では友達とテープに落とす目的でCDを貸し借りしたり、レンタルCDを利用することは当たり前だった。
しかしこの時それが大きな問題になったのは、PC(パソコン)の普及によって、CDからPCへのデータの取り込み(リッピング)が可能になったことに起因している。PCに取り込まれた音楽データは、元のCDと同じ音質で再生が可能になるばかりか、新しいCD-Rに焼き付けることもできた。要は元のCDとほぼ同じクオリティのコピーCDが作れてしまうのである。これは「カセットに落とす」のとは質の異なるデジタル・コピーの問題であった。
業界は危機感を募らせた。実際にCDの売り上げは1998年ごろを頂点に漸減し始めており、デジタル技術の急速な進歩に伴って音楽の流通の仕方が変わり始めているのは明らかだった。焦ったレコード業界は、通常の再生機器で聴くことはできるものの、デジタル・コピーができないコピー・コントロール仕様のCDを開発、新譜をこのフォーマットで発売し始めたのだ。
こうしたコピー・コントロールCD(CCCD)は、当然ながらユーザの評判が悪く、また意図的にプレーヤを誤作動させてコピーを防止する仕組みになっているため音質も本来のCDに劣る他、機器によってはコピーが可能だったり、逆にオーディオ・プレーヤでも再生できなかったりと、肝心のコピー・コントロール機能にも限界があった。
CD、即ちコンパクトディスクは、世界共通の仕様書であるレッドブックに則って製造されているが、CCCDはこの規格に準拠しておらず、したがって本来はCDとすら呼べない代物である。違法なコピーを防ぐためとはいえ、音楽業界と電機メーカーが長年に亘って開発、改良してきたメディアを、このような中途半端な形で改変し、そこに大切な音楽データを焼き付けて流通させることに対しては、アーティスト、ファン、メディアを巻きこんで大きな議論があった。

佐野が当時所属していたエピック・レコードでも2003年からレーベルゲートCDと呼ばれる仕様のコピー・プロテクトCDで作品をリリースし始めた。
2003年12月、ようやく発表された佐野の新しいシングル『君の魂 大事な魂』(『Sail On』のタイトルでライブで演奏され2001年7月にはウェブで公開されていた曲の改題)は、しかしこの、レーベルゲートCDの規格で発売された。1999年12月のシングル『INNOCENT』以来4年ぶりの新しいマテリアルがリリースされたこと自体は歓迎されたものの、それがCCCDで発売されることに多くのリスナーは戸惑い、中には「買わない」と宣言する者も少なくなかった。
僕自身、サイトに以下のように書いた。

「本来のコピー防止という役割すら満足に果たし得ないのだとすれば、CDのように見えてCDでない、自分のプレイヤで再生できないかもしれないようなインチキ商品を無理矢理売りつける意味がどこにあるのか僕には理解できない」
「僕が知りたいのは、佐野がこのCCCDでのシングル・リリースをどう考えているのかということである」「佐野に、問題の多いCCCDで自身の新譜がリリースされることについて何の考えもないということは僕には想像しにくい」
「この問題に関して佐野の顔が見えない、そう思っているのは決して僕だけではあるまいと思う。CCCDなら買わない、というファンが確実にいるのだ。彼らは(略)佐野の新譜は聴きたいのにメディアがCCCDだから苦渋の選択として泣く泣く買わないことに『決めた』のだ。そうしたファンに対して何らかの説明があってもよいのではないか」

この問題は翌年、さらに大きな動きにつながって行く。

エピックとの離別

翌2004年4月、佐野の公式ウェブ・サイト「Moto's Web Server」に「『in motion 2003 - 増幅』の発売にブレーキ」という記事が掲載された。

「すでに今月4月21日に発売が決まっている『in motion 2003 - 増幅』だが、SME (ソニーミュージックエンタテインメント) は、発売元のEPICを通じ、この製品を通常のCD仕様からLG2(レーベルゲート2、コピープロテクト仕様) に変更の上、収録時間の制限から2枚組にしたいとの意向をマネジメント側に通達した。これによって予定されていた発売日が遅延となるとのこと」

これを受け佐野のマネジメントとSME、エピックが協議、このアルバムはCCCD化を避けるため急遽佐野の自主レーベル「GO4」からオンラインでの通信販売のみでリリースされることとなった。結局、予定通り4月21日にアルバムは通常仕様のCDでリリースされたものの、そのチャネルは極めて限られる形になり、佐野とレコード会社の間に大きなギャップがあることが改めて浮き彫りになった。

このアルバムがリリースされた直後の4月23日、佐野元春は新レーベルを設立してエピックから独立することを発表する。デビュー以来20年以上所属してきたレコード会社を離れることは佐野自身にとっても大きな決断だったに違いないし、ファンの多くもそこまで一気に事態が展開するとは思っていたなかっただろう。このニュースは驚きをもって受け止められた。
しかし、2001年以降の動きを振り返ってみれば、当初好調だったレコーディングの中断に象徴されるように、佐野とエピック、SMEとの間からはそれまでのような信頼関係が失われていったように見える。第23回で引用した吉原聖洋の解説からも内部事情が窺えるし、2003年7月20日の「MILK JAM TOUR」最終日、渋谷公会堂でのライブでは、佐野自身が「新譜が出てもレコード会社の宣伝が何もないのではつまらない、その問題がクリアになるまで、もう少し待ってもらうことになるかもしれない」という趣旨のMCをしている。エピックの創始者で佐野とも親交の厚かった丸山茂雄が2002年にSMEを退いたことも大きく影響しているだろう。
こうした背景があったところに、CCCDをめぐる問題が決定的な要因となり、佐野に大きな決断をさせたというのは容易に想像できる。音楽の世界においてもデジタル・デバイスが急速に普及し重要性を増す中で、音楽業界のビジネス・モデルも想定以上のスピードで変革を迫られ既存の事業収入は落ち込んだ。こうした状況を考えれば、レコード会社とアーティストとの関係もまた見直しを余儀なくされる時代背景があったというべきだろう。

デイジーとロックンロール

新しいレーベルは「DaisyMusic」と名づけられ、配給はユニバーサルが請け負うことになった。5月にリリースされたシングル『月夜を往け』を最後に佐野はデビュー以来所属したエピックを離れた(このシングルはCCCD仕様だった)。
デイジー(ヒナギク)と言えば、先にリリースされたシングル『君の魂 大事な魂』では「抱きしめる花はデイジー」と歌われていた。この日あることを予期して書いた歌詞ではないだろうが象徴的だ。また、アルバム「sweet 16」に収められた『ミスター・アウトサイド』にも「ヒナギクはせつなげに風の中」というラインがある。派手ではないが路傍に咲くシンプルで可憐な花は、佐野の音楽に似つかわしい。
この新しいスタートに際して佐野が掲げたスローガンは「Let's rock and roll」。佐野が「ロックンロール」という言葉を口にするとき、(「Rock & Roll Night」や「ロックンロール・ハート」などの例を持ち出すまでもなく)それは必ずしもある特定の音楽のスタイルのことであるよりは、都市の片隅に自分の居場所を見つけ、そこで生き延びて行く意志のことを多く指している。ずっと抱えていた問題がようやく片づき、次に向かう準備が整ったことへの率直な喜びを、この言葉で表現するところが佐野らしいといえば佐野らしい。

6月には新レーベル発足を披露するプレス・コンファレンスが赤坂のレストラン「CAY」で開かれた。一般には公開されないコンベンションだったが、400人ものメディア関係者が詰めかけた。佐野はHKBとともに『アンジェリーナ』『Please Don't Tell Me A Lie』など初期のナンバーを6曲演奏した後、トーク・セッションではエピックに対し「ぼくを見出してくれてありがとう、そして解放してくれてありがとう」とコメントしたという。
そして7月、長いレコーディングを経て完成した新しいアルバム「THE SUN」がようやくリリースされた。前作から足かけ5年を経て、佐野は再び新しいスタートラインに立った。
次回はこのアルバムの中身を見て行きたい。


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