東大生が断言する。「香川県の子供達の成績は下がるだけ!」前編
こんにちは。
皆さんはゲームは好きですか?
最近になってこそ、「ゲーム」という言葉に過剰な拒否反応を示す人はいなくなったように思えますが、それでもまだ肩身は狭い趣味ですよね。
香川県では「ゲームを1日1時間に規制する」という内容の条例が通りそうで、もし僕が香川県に住んでいたら、きっと何が何でも上京したと思います。
ゲーム好きの僕にとって、ゲームを制限するというのはあり得ませんから。
更にいうと、東大に合格するまでの頭脳を得ることがなかったとも思います。
単純にこれは興味を刺激する機会が失われるためです。
それでもやはり世間一般の声は「ゲームは勉強に悪い」「ゲームをする時間を勉強に割けば成績が上がる」みたいな的外れな意見の方が多いように思えます。
僕からすれば一体何を惚けたことを言っているのだか、という感じです。
僕は個人的に、ゲームは成績アップにも部分的に役に立つと考えています。
今日は、ゲームの可能性についてです。
ゲームのデメリット
まずは世間一般のいう「ゲームは害悪」という論について反駁しましょう。
彼らの主張を僕が考える限りで纏めると以下のようになります。
・勉強時間を阻害
・夢中になりすぎる可能性がある
・外で遊ばなくなると健康でなくなる
まず1つ目ですが、これを仰る方は「ゲームを取り上げれば勉強するようになる」とでもお考えなのでしょうか?
それは大変に単純化しすぎている危険な考え方であるように思えます。
そもそも、子供は興味が多方へ向くものです。
色々なものに触れて、色々なものを吸収して育って行くのが健康であると僕は考えています。
例えば、あなたの子供ができたとして、その子に勉強だけさせてみなさい。
偏った知識、偏った環境に入れても、いつかその歪みが出るでしょう。
今やゲームは世代の共通体験として話題に登るものです。
昔は「二重跳びができる」「珍しい虫を飼っている」であったような勲章、子供の中でのヒーローシップが今では「ゲームが上手い」「〇〇というゲームを所持している/〇〇というアイテムを(ゲーム内で)所持している」ということに置き換わっているのです。
そのような子供達の輪の中に入るには、同じくして「ゲームの知識」が必要となります。
そして、この輪に入れない人は、ともすれば異質なものとして村八分にされてしまう可能性まであります。
「たかがゲームで大げさな」と思ったかもしれません。
しかし、身に覚えはありませんか?
例えば「あるドラマを見ていなかったから、会話の輪に入れなかった」という経験が。
このような形で歪みが発現する可能性まであります。
子供の社会性を大事にするというのであれば、それこそゲームを取り上げるべきではありません。
そして、ゲームを取り上げたからといって、その興味の矛先が勉強に向くとも限りません。
現代社会にはゲーム以外にも様々な娯楽があります。
それら全ての娯楽を取り上げて、勉強だけ残すというのであれば、いつかは暇潰しのために机に向かうかもしれませんが、これは「否応無しに勉強している」のであって、「勉強したくてしている」のではありません。
それを、果たして本当に「勉強している」と言えるのでしょうか?
そもそも、彼は勉強がしたくてしているのでは無いのです。
勉強させることで、様々に知識が拾えるでしょう。
そして、それは間違いなく、彼の助けになります。
しかし、勉強好きにはならないでしょう。
トラウマになる可能性すらあります。
勉強の定義にもよりますが、この勉強法では、僕は間違いなく「頭が良く」はならないと思います。
そして、2番目。
ゲームに夢中になりすぎるかもしれないという点についてです。
これは単に家庭内での取り決めがなされていないことに起因すると思いますが、もし夢中になりすぎるのであれば、一旦は様子見として夢中にさせておいても良いように思います。
そもそも僕は「何も打ち込めるものがない」よりも「何か打ち込めるものがある」状態の方が健康であると思っています。
そして、それがいつか役に立つ可能性すらあります。
僕はゲームが非常に好きで、僕がプレイしたことのないレトロなゲームまで調べて細かい知識を収集している(これはゲームを東大合格に役立てるためのヒントですよ)のですが、この知識は、僕より一回り、二回り上の大人たちと話すときに会話のつかみとしてとても役に立ちます。
相手がゲーム好きであれば尚更です。
先述したように今やゲーム世代が30代〜40代になっています。
これから大人になる人たちも、僕を含めてその多くはゲームに親しんできた人でしょう。
そうしたときに、ゲームの話が仲良くなるきっかけとして楽しめるのであれば、それは非常に良いことではないでしょうか?
これは僕が小学校から高校までの時間のほとんどをゲーム(と音楽活動)に割いたお陰です。
ここで断っておきますが、僕は「読書」や「観劇」といったいわゆる"教養となる"趣味を否定してはいません。
しかし、それに並んで「ゲーム」というカテゴリが並んでも良いのではないのかといっているのです。
ゲームに夢中になりすぎるのであれば、それはそのゲームがその子の興味、関心を刺激している証拠です。
その興味、刺激を阻害するのではなくて、それを伸ばしてやるのも1つの道ではないでしょうか?
3つ目の「外で遊ばなくなると健康でなくなる」ですが、これは全くの的外れでしょう。
そもそも、外で遊ぶと一体何が「健康になる」のでしょうか。
身体のことでしょうか?
しかし、今日び体を鍛える手段なんてそれこそたくさんあります。
それに、無理に体を鍛えずとも、小学校、中学校では義務教育というシステムがありまして、その中の「体育」という教科で運動をすることが授業の一環として義務付けられているようです。
ご存知でしたか?僕は知っていました。
逆に、都会であればあるほど、いまの社会では外で遊びにくくなっています。
野球やサッカーをしようとも狭い公園では遊べませんし、じゃあ、毎日鬼ごっこやかくれんぼをしようとも、やはり飽きがきます。
そして、外で遊ぶよりも屋内で遊んだ方が安全ではあります。
例えば怪我をするリスクは屋外よりも屋内の方が大幅に減るでしょう。
時代にはその時代にあった遊びというものがあります。
いまの時代、無理に「外で遊べ」ということが時代遅れになっている可能性すらあります。
そもそも、この3番目の理由は1番目、2番目の理由と食い合います。
例えば、「子供が外で遊ぶのに夢中になって帰ってこない」という事態になったとして、それを「まぁ健康になるからいいだろう」とか「外で遊ぶならゲームよりもマシだろう」とか思うでしょうか?
結局外で遊んだとしても、子供がそれに夢中になるリスクは減らず、それをゲームの責任とするのは全くおかしい話であることがわかります。
それに、遅くまで外で遊んでいるよりも遅くまで室内でゲームしている方が、所在がわかっている分、親としても安心でしょう。
ここまで読んで頂いてお分り頂けたかと思いますが、そもそもゲーム規制は見当違いな話で、「ゲームを規制すれば他のこと(外での遊び、学習、家庭内での交流など)に割く時間が増える」という幻想の元に進められています。
でも、それは結局子供の好奇心にNOを突きつける行為であって、興味関心を阻害し、「大人はわかってくれない」という不信感を植え付ける結果に終わる可能性すらあります。
実際には、子供達を駆り立てているのは彼らの「あくなき好奇心」と「尽きることのない無限の体力」です。
それらを規制することなど誰ができましょうか。
そして、それを規制することほど不健康なことがこの世にあるでしょうか。
ゲームを規制して何がしたいのか、おそらく学力の向上を狙っているのでしょうが、果たしてそれが有効な施策になるのかどうか、というところですね。
それでは、ゲームとうまく付き合うにはどうすれば良いのでしょうか。
僕は「ゲームから学ぶべきことを学べば良い」と考えています。
ゲームから学ぶことなんてありはしない、本当にそうでしょうか。
ゲームは本当に児戯に等しい、下らないものなのでしょうか。
それについては、また明日の記事で述べていきたいと思います。
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