東大生が断言する。「香川県の子供達の成績は下がるだけ!」後編

先日のnoteで述べたことの中で、反対意見を述べてくる大人たちについて言及しましたが、おそらく彼らの頭の中では「ゲーム=無意味」と言ったような等式が描かれているのではないかと思います。

外で遊ぶなら、コミュニケーション能力が磨かれて、さらに走り回っているうちに自然と体も強くなるので、それは良いことであろうと。

しかし、前項で反論したように、そもそもコミュニケーションの場では当たり前にゲームの話題が出ているご時世です。
ゲームが蔓延している以上は、ゲームを持ってしかその輪に太刀打ちすることはできません。

そして、体を鍛えることについても述べた通りです。
確かに鍛えることには繋がるでしょうが、特に都会では遊び場がなく、寒い冬や暑い夏にインフルエンザ、熱中症などをもらってくるリスクを考えると、果たしてそれに釣り合うのか疑問ですし、そもそも体育の授業という形で運動を行う仕組みはある程度整備されています。

運動が好きなら勝手にスポーツクラブにでも入ったり、地元のサッカーチーム、野球チームなどに所属したりするでしょう。
そして、運動が嫌いな子供に「外で遊べ」と強制することは果たして良いことなのでしょうか。

ゲーム以外についてもその通りで、つまり、何か物事を始める際に、初めから何か意味を求めることはあまり得策ではありません。
そもそも楽しみとは「目に見えるメリットを追求して行く」ものではなく、「何かわからないけれど面白そうなものを追って行く」ようなものではありませんか。

そう言った意味で、損得勘定から何かを規制して何かを賛美することは明らかに行うべきことではありません。

そして、更に言うなれば、「ゲームは本当に無意味」なのでしょうか。
ゲーム自体には役に立つ効能はないのでしょうか。

僕はゲームから学びを得ました。
今回は具体的に、どのようにしてゲームが役に立つのかについて詳しく述べていきましょう。

ゲームから得られること

ゲームからは何も得られることがないという偏見は間違いです。
正確にいうと、あらゆるメディア、娯楽からは最低でも一定の学びを得られます。
中でもゲームは「情報の収集」と「目標の達成」という方向に特化しています。

まず、なぜゲームは楽しいのでしょうか?
それは、僕の考える限りだと、「手軽に達成感を得ることができるから」です。

多くの物事を達成するためには、何かしらの下準備が必要となります。
例えば、「ある試験に合格する」であればそれなりの勉強が必要になりますし、「ある大会で優勝する」でも練習が必要でしょう。

そして、これらの「それなり」が要求する量は、得てして数ヶ月〜数年単位の非常に長いスパンで見たときの努力量をさしており、常人ではこれを劇的に縮めることは不可能でしょう。

しかし、ゲームは違います。
例えばドラゴンクエストに代表されるRPGでは、世界に平和を取り戻すために物語上の大ボスを倒すという大きな目標が掲げられつつも、「レベルアップ」という名の具体的な小目標の達成通知が、大目標への意欲を衰えさせ難くしています。

更に、これらのゲームは最近のものでも長くてクリア(大目標の達成)までにだいたい数十時間〜百時間程度と、努力を行うべきスパンも比較的短く設定されています。

この「短時間で達成可能な大目標(しかしそれ相応に壮大な目標)」「大目標までの中間目標、小目標(ゲームでいう中ボス討伐、レベルアップ)」などが、人々をゲームに駆り立てているのではないかと思うのです。

このように、ゲーム上で起きている物事、我々がゲームで遊ぶ際に行っていることは、本質は勉強や部活動と全く変わりません。
違うとすれば、それがデジタルなのか、アナログなのかというだけです。

そう考えたときに、ゲームを活かす方法が思いつきませんか?
ゲーム上では目標の達成から達成感を得て、強大なる敵に向かっていけるのであれば、それを現実世界でも再現すれば、どんな目標でも挫折することなく目指せることになります。

ゲームから学ぶべきこと その1
目標の立て方を理解して、それを再現せよ。

先ほど述べたように、ゲームが楽しいのは、適度にクリアできそうな「目標」をクリアし続けていくことができるためです。
ゲームを遊んでいるうちには気付きませんが、無意識のうちに目標をクリアし続けているわけです。

しかし、現実で勉強などにそれを応用する人は少ないように思えます。
それに、親御さんの方でも「勉強しなさい!」「宿題をやりなさい!」という人は多くとも、「〇〇という目標を達成できるように頑張りなさい!」と言ったような具体的な指示を出す人は少ないのではないでしょうか?(とはいえ、高校生などでそこまで管理されていたら正直怖いのですが)

自分が「勉強しなさい」と言われていたときのことを思い出してください。
きっと嫌な気分になったことと思います。

それはなぜかと言うと、「勉強」と言う行為のみを指定して、その範囲を指定していないからです。
子供達の中には「勉強しろ勉強しろって、じゃあどこまで勉強すればいいの?」と言う疑問が渦巻いていたことでしょう。

そうではなく、具体的に目標を提示する、またはその補助をすることが大事です。
「勉強しなさい!」ではなくて、「このワークを今日中に3pやりなさい」だとか、「この教材のこの課を一通り読んで、あとで内容を教えて欲しい」だとか、そう言ったように指示は具体に落とし込まなければ何も意味がありません。

「勉強しなさい」で回っていたのは、きっと勉強が簡単だったから、もしくはその指示を受けている子供が非常に有能だったからで、指示出しのスキルがあったからではありません。

そして、目標の立て方以外にも得られることはあります。
それは、タスク整理の能力、ひいては論理的思考力の基礎を築くことができると言うことです。

ゲームから学ぶべきこと その2
論理的な思考能力を磨け

これはゲームをやっている人しかわからないと思いますが、どんなゲームでも目標の達成が中心となっている以上、それに対する準備が必要になる場合があります。

これはRPGに顕著ですが、例えば

次の街は火山地帯にあるのか。
と言うことは、火を使ってくる敵が多そうだな。
と言うことは、火の対策をしておくべきだな。
それと、火の敵の弱点をつけるような装備、技を揃えておくべきだな。

もう1つ例を挙げると

これからやるべきことは
・洞窟にいるドラゴンを倒す
・3つの印を集める
・祠で3つの印を紋章に変えてもらう
・その紋章で敵の城への橋をかけ、敵地へと突入する
か、そうしたら、下は時間がかかりそうだから、まず上からこなすべきかな。

などです。
一口にゲームをすると言っても闇雲に進めれば良いことばかりではありません。

当然、何か目標があってそれに対して動いていくのですが、そのためには何かしらの事前準備が必要になることがしばしばあります。

具体的にゲーム名を挙げると、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどはレベル差による強行突破でも突破可能な場合が多くありますが、ロマンシングサガに代表されるサガシリーズであったり、風来のシレンなどのローグライクゲームと呼ばれるゲームシリーズは特にこの事前準備が必要という要素が強いです。

後者にあげたゲームシリーズは共通して以下のような特徴があります。

・敵が強い
・システムが難しい
・ただし、対策すると簡単

敵が強い、システムが難しいので、まず最初は沢山ゲームオーバーになります。
しかし、システムや敵の性質、特性、こちらの習得できる技や取得できるアイテムの性質を理解すれば呆気ないほど簡単になるという意味でこれらゲームは良いゲームです。

これらのゲームは「今の自分」「相手に対して備えなくてはならない準備」の2つの要素を徹底的に刺激します。
今の自分では勝てない、それではなぜ勝てないのかと考えを巡らせるこのプロセスは、実は受験勉強にも共通していて、それがいつ発現するかというと、模試の返却時です。

自分の成績は今この程度、志望校の偏差値や問題レベルはこの程度。
それでは、なぜ自分には志望校の問題が解けず、この程度の成績しか取れないのか?と言ったように思考を巡らせることで、新たな目標が立ちます。

目標は闇雲に立てるものではなくて、「原因があって」初めてそれに対応する形で成り立つものです。
その原因と結果の関係を言語化するということは自己分析を行う上で非常に効果的な手段であり、それを遊びながら学ばせてくれるゲームは、実はとても良い教育ツールであると言えます。

このようにゲームからは目標の立て方と、目標の使い方を得ることができます。
これを意識しながら遊ぶことができたなら、やはりゲームも1つの便利なツールとして扱うことができるでしょう。

僕は幼少時3歳から自分でパソコンを立ち上げてゲームで遊んでいたほどのゲームマニアです。
思えば、あの時から「これをこうすればゲームが進むのだ」と言ったような思考や洞察能力が働いていたような気がします。

これらの能力は、子供の特性と言っても過言ではないように思います。
新しいものだから、得体の知れないものだから、扱い方がわからないからと言って隔離しないで、しっかりと適切な距離を保ちながらゲームと付き合って行きたいものです。

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