「中学受験からの東大」は人生を不幸にする。
以前、こんな記事を書いた。
東大生は、その多くが一流企業へとコマを進める。
それは、失敗を極度に恐れ、世間の目を気にしているからだと考えられる。
今日、御三家出身の東大生卒業生と話す機会があった。
この方は、東大を出た後にフリーランスとして働かれているが、そんな彼でも「ありえたかもしれない未来」をしばしば幻視するのだという。
「ありえたかもしれない未来」とは、すなわち、世間一般でいうエリートコースのことだ。
東大を卒業して、外銀、外コン、五大商社などに就職する。
そして、20代後半で年収1,000万。そんな「ありえた」ルート。
彼は、今の自分の暮らしに満足しており、未練もないという。
また、サラリーマン生活に対して魅力も感じないともいっていた。
だが、そんな彼でも「ありえたかもしれない未来」が見えてしまう。
理性は「そんな生活はごめんだ」と否定するのに、どうしても、エリートコースへのあこがれが止められない。
彼は、このあこがれの理由を「自分がエリートコースを歩んできたから」と述べていた。
「中学受験⇒御三家中高一貫校⇒東大」と歩みを進めてきた。
エリートコースを歩んできた自負はあるし、周りの友人たちはそのルートを進んでいるからこそ、それから先の人生も見えやすい。
「もしかしたら、自分も同級生たちのように、一流サラリーマンとして働いて、バリバリ稼いでいたかもしれない」
そんな思いが去来する。
本音はそこにないのに、世間体を気にしてしまう。
これは、間違いなく中学受験のもたらした弊害である。
世間一般から羨ましがられる道筋を歩んだが最後、その道筋から外れることに極度の不安と恐怖を覚えてしまう。
東大に行くと、逆に選択肢が狭まる。
東大生が普通行かないような企業に面接に行った方は「うちの会社にきたら、高卒の先輩に頭を下げることになる。あなたは耐えられるか?」と質問されたのだという。
「東大生らしい」選択を求められるようになるのだ。
そうでない選択をしてしまうと、世間からは「落伍者」「はみ出し者」の烙印を押されてしまう。
東大合格は幸せにつながるのだろうか?
一般的なエリートコースを通ってきた人たちは、いま幸せなのだろうか。
私には、全くそうは思えない。
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