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【世紀の一戦】天心vs武尊の試合とその後から分かる「継続できる戦い方」

2022年6月19日。東京ドームで行われた「The Match」の最終カード。
多くのファンが待ち望んで実現された那須川天心vs武尊戦。
あの試合に魅了された方は多くいるだろう。

私もその魅了された多くのファンの1人である。
試合前から手に汗を握り、頬には大粒の涙がつたっていた。

私はずっと天心を応援してきたから、やはり天心に勝ってほしい、最後のキックボクシングの試合を花道で飾ってほしいという思いが強くあった。
でもそれ以上に、2人の若き格闘家がいろいろな事情を超え、その強さと熱量で実現にまでこぎつけたというこの状況に、感無量で言葉が出なかった。

試合結果からいうと、「那須川天心の勝利」。
嬉しそうな天心を見て最高の高揚感を感じると共に、深々と頭を下げて会場を去っていく武尊の丸まった背中を見て、何とも言えぬ複雑な感情になったことは、今でも忘れられない。

この一戦は、素晴らしい試合だった。
どちらが勝ってもおかしくなかった。感動した試合だった。
けれど、それだけで終わらせてはいけないほどの、一戦だったのではないかと感じている。

だからこそ、第三者が何かをいうことができないこの試合から感じたことを、無粋にも忘備録的にここに記しておきたいと思う。


対称的なチャンピオン像

この世紀の一戦の前の2人の戦績は、ほとんど変わらないものだった。

武尊:41戦40勝1敗
天心:41戦41勝0敗

武尊は1敗しているが、これはデビュー当時のもの。
つまり、どちらも長い期間負けなしできている。

戦績はよく似た2人だが、ずっと勝ち続けたこの2人の戦い方や生き方には大きな違いがあると思う。

自由で強さを求めながらも勝ちにこだわる「那須川天心」

那須川天心の試合をたくさん見てきて思うのは、那須川天心はいつもアニメの中のヒーローのようだったということだ。

KO予告として行う「トリケラトプス拳」。
試合前に行うポーズ。
自分の人生を漫画にたとえた表現。

どれをとっても、那須川天心自身が自分の人生を楽しんでいるように見える。
誰にも縛られず、ヒーローに憧れてそのような強さを純粋に求めているようだ。

ただ、リングに上がった那須川天心は違う。
あくまでも格闘技をスポーツとしてとらえ、勝ちにこだわっている。
KOではなくても、判定でも必ず勝つ。
きっとそれは勝つことが自分の強さを証明することだと感じていたからだと思う。

K-1を背負って笑いながら戦う「武尊」

一方の武尊を見てみると、試合前・後のコメントではいつもK-1についての話が出る。
自分がこれまで長い歴史で多くのファンを獲得し、みんなの憧れであるK-1のトップだということを強く自覚し、常にK-1を背負っているように見える。

勝つことは自分の強さの証明。
そして、K-1の強さの証明になると考えているようだった。

そんな重圧の中、戦う武尊はリングの上では殴り合いながら笑う。
本当に楽しそうに。
まるでここでだけでしかすべてをさらけ出せないかのように。


対称的な試合後を迎える2人の行方

試合後の2人を見てみても、本当に対称的だった。

那須川天心はこれでキックボクシングの舞台に立つことはない。
次のボクシングというステージに進む。
試合後はしばらくその余韻に浸るようだが、ここからも自分のペースで最強を証明していくつもりだろう。

それに対して、武尊はしばらく世の中にコメントを出すことがなく、数日後に会見を開いて「積極的休養」を選択した。
その理由として、体の回復だけではなく精神的な面の問題を挙げた。

武尊の姿は真面目なエリート会社員にも見えた


会見での武尊の姿を見て、私は「まるで真面目なエリート街道を進む会社員」のように見えた。

最近は、普通に働いている方でも、うつ病やパニック障害などを引き起こすことが増えている。
特にそのような症状はまじめな人に多い。
自分に与えられていることがよくわかっているから、その期待に応えたくて自分の限界以上のことをやってしまうのだ。

武尊もきっとそうだったのだろう。
ファン、K-1関係者、周りの選手、友達…
武尊の周りの人は全員が武尊に勝つことを期待していた。

もちろんアスリートである以上、負けを期待されることはない。
それは当たり前のことだったのだが、きっと周りの想い以上に武尊
は自分自身に負けることを許せなかった。

実際に、武尊は試合の後にまけたらすべてを失うと思っていたと発言している。
誰よりも自分に厳しく、自分との闘いに挑んできた。
それによって引き起こされた結果が、今の武尊の状態だったのだろう。

「努力」は「夢中」には勝てない


近年、生き方や働き方の多様性が受容されるようになってきた。
その中でよく言われたのが、「好きを仕事に」という言葉だ。

このような言葉がつぶやかれるようになった理由は、やはり努力では夢中には勝てないことが証明されているからかもしれない。

何かで財を成そうと思ったり、何かを成し遂げるようになるためには、やはり努力をすることは重要である。
自分に厳しく、常に進んでいかなければいけない。

しかし、やること自体がつらいと思っていたら、やはり続かない。
どこかで限界がきてしまう。

夢中ではない場合、目標を決めて進む人も多い。
ただ、そうやって戦っていると、目標を達成した時や挫折した時に燃え尽きてしまうこともある。
それでも動くために誰かのために頑張ることを目標にしてしまうと、余計に自分を追い込むことになってしまう。
そうして、気づいた時にはボロボロになってしまうのだ。

だからこそ、「頑張っている」というよりも、「夢中」でできることに注力した方がよいといえるだろう。
成果も気にならないくらい夢中になって何かに取り組んだものにしか、なしえないことがきっとあると思う。


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