見出し画像

比べる ということ

 私たちヒトは、常に他者と比べようとする。近所を散歩するときと同じ服装で友人の結婚式に参加することは多くの人が躊躇するだろう。その場にいる他者の服装のみならず、言動、行動、表情など、その社会の中での自分の位置や役割を適切なものとするべく、周りを観察して自分と比べようとする。またあるときは、自分よりもレベルが高い人を探して目標を定めたり、逆にレベルが低い人を見つけて安心しようとする。社会の中では比べることを全く無しにして生きることは難しい。

 比べるのはヒトだけではない。動物界でも求愛に関する行動ではしばしば、他の個体よりも大きく、強く、美しいものが選ばれる。植物ならば、より受粉を促すため、大きくて香りのよい花の個体や種がたくさんある実をつける個体が子孫を残しやすい。比べる/比べられることは、種の存続や発展に関わる遺伝的に備わった性質と言えるだろう。

 ヒトの社会で、自分と他者を比べる目的は何だろうか。集団で生活するヒトの社会では、自分がその社会の一員となることが要求される。社会の一員であるためには、既存員である他者の振る舞いを観察して自分と比べ、それを真似ることが必要とされる。これは、その社会に協調し仲間となるためだ。一方で、属する社会からは、その社会に対して享受することを求められる。「この社会に、お前は何が貢献できるのか?」と社会の方から問いかけられる。社会に貢献するためには、他者よりも何かの点で優れた才能やスキルを持たなければならない。そのためには、自分は他者よりも何ができるのか、何ができないのかを比較する必要がある。原始的な生活の場では、狩りができること、力仕事ができること、天候予測ができること、占いができること、統率できること、などの能力が求められた。もちろん、動物社会の中でもごく自然に他者と競争して、その種で求められる能力や身体的特徴を持つ者が生き残り、彼らの遺伝子を後世に残そうとする仕組みが作られている。動物の場合は、基本的には個や種の生存を維持することとして必要な力や特徴が求められることが多い。性淘汰と称される異性をめぐる競争による進化は、例えば、同性同士の争い、つまり主には強いオスがその角や牙によって直接または見た目によって強い者がメスに選ばれ配偶者を勝ち取る仕組みや、異性側からの好みによって選ばれる仕組みがある。

 ヒトも動物である以上、基本的には他の動物たちと同じように、同種である他人と比較し、勝ち負け、上下、優劣を付けようとする。ある時は競争心に従って、ある時は社会の中での自分の役割や立場を測り協調するためだ。しかし、ヒトの社会は他の動物とは異なり、必ずしも遺伝子を残すことだけが目的ではない。ヒトは遺伝子に加えて文化を引き継ぐことによって、種の生存確率を上げることに成功した。いわゆるミームの伝達である。

 ミームは言語に紐づき、言語は物語やルールを形成し発展させた。生物学的に優れた遺伝子と、社会的に優れた(または人気のある)ミームは、その持ち主が同じとは限らない。つまり比較する軸が、遺伝学的な優劣と文化的な優劣に拡散し、それらが複雑に入り乱れてあらゆる面で上下が判断されるようになったのが現在のヒトの社会だ。ヒトの社会の仕組みにおいては、食べ物以外の、例えば絵画や造形などにも価値を付け、空間や時間にも価値を見出すようになった。ヒトは、生存に直接的に関わること以外にも生きることの意味を見出したと言っても過言ではない。生物・種として生き残るための術に直接関係しないものに対しても、他人と比べ優劣を付け、上位と下位の格差を付けることとなったのだ。しかし、優れたミームは必ずしも全てのヒトに公平には与えられていない。たとえ優れたスキルや特性を持っていたとしても、それがその社会の中で受け入れられなければ、社会からは下位の烙印を押される。「私は、あの人よりも、この部分が優れているのに、この社会では報われない」ということが、現実社会では大いにある。

  比べることは、競争と協調に不可欠であるが、同時に格差を生む。さらには、生存に関わる必要特性の上下とは別に、感動、心が動くことに関する上下の要素が混在し、しかしこれらを切り離すことができないヒトは混乱に陥り、悩みふける。時に、彼らは「比較することからの脱却」を試みようとする。それこそが、ヒトの幸せだと信じて。しかしながら、「比べる」ということは、動物であるヒトにとって必要不可欠な行動原理の一つであるため、その脱却は容易ではなく、不自然なルールや理論を作り、あるときは神の名を用いて、それを実行しようとする。

 本来の私達ヒトには、他の動物と同じように比べ合い競争し、また他の動物と異なる価値観の比較と順位付けを行うことで、巨大な社会を形成し発展し続けようとする性質がある。このことに気付き、”個”と”社会”の性質を理解し、許容することで、私達は真に「比べる」ことの意味を味わうことができるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?