人生の道を決めた時、そして、死を決めた20代
リハビリの学校の卒業が近づくにつれ、理学療法士の資格を取ったら違う仕事でもしようと考えていました。
理学療法士の資格を取る上で、臨床実習で約半年近く病院で患者様を担当しリハビリの経験を積まないといけません。そこで最後の実習先でお世話になった病院の先輩方が本当によく指導して頂き、とても充実していました。そんな中、担当させて頂いた患者様が退院する事になり、病院の玄関先まで見送りに行った際、学生である自分に深々と頭を下げ『こんなに元気になるとは思っていませんでした。まさか、仕事まで復帰できるなんて考えていませんでした。ありがとうございました。』とお声を頂いた時に心が本当に満たされました。この感覚は人生で初めてで霞んでいた自分の何かが浄化されたような気分になり自然と『この仕事を天職』にしようと誓いました。
そこから、こんなに勉学に力を入れた記憶がないくらい勉強しました(笑)
そして、無事に学校も卒業でき国家資格を取得し人生で初めて何か自分が掲げた目標を達成する事ができ何か自分の中で少し這い上がった気分でした。
卒業後、病院に就職し社会人としての生活が始まりました。ここで、大きなツケを感じました。同期の人達の知識や技術力の違いにココロが折れました。
そりゃ〜そうに決まってます(失笑)
学生生活の8割近くを留年しない程度で卒業しようと考えてた人間と4年間、この仕事で頑張ろうと必死に勉強してきた人間で差があって当たり前です。
それでも、業務後に残って同期達と知識や技術の向上に努めていました。身近に同級生で尊敬でき目標にできる同期がいる事はとてもありがたかったです。自分に足りなものを全て持っているような人間でした。
なかなか理学療法士としての結果が出ない日々を送っていましたが、とても充実した日々を送っていました。それと同時に頭の片隅に『父親は29歳で死んだんだ。だんだん、その歳に近づいてきたな』と感じるようになり、今できる事を楽しんでおこうという気持ちが強くなり生き急いでいました。良い服を買ったり、ちょっと無理して乗りたい車を買ったりとして貯金は考えずただただ、今を生きてやりたい事をやるという感じでした。
本当に充実した日々を過ごしていた中、29歳の年、ある日突然、入社時よりずっと仲良く信頼していた同僚から態度を急変され、無視や些細なミスで異常にキレられるようになリました。前日までロッカーで一緒にたわいもない会話をしながら着替えて挨拶して帰っていったので呆然となりました。
何が原因があるわけでもないのになぜか自分が何かしたのではないかと悩むも職場に迷惑を掛けられないと思い相談できず、その関係性が半年ほど続いていき『人間不信』になってしまいました。この半年間周囲から見たら明らかにおかしいのに誰も助けてくれず、その事に関して上司や先輩など声をかけてくれませんでした。そして、相談しなかった自分も悪いと思いさらに状況としては悪いサイクルに入っていきました。
そこから、不眠を中心に色んな不調が出現。勤務中に胃痛で倒れて、胃カメラ、バリウム、大腸カメラなどいろんな検査をしてもやはり異常なし。体重は減るいっぽう。お酒を飲んでも眠れない。そして、夜、眠れずにゴロゴロしているとアルコールが体内から抜けていくのがわかるようになリました。
何しろ、自分の人生において友人とはとても大事なキーポイントでした。小中高から社会人になるまでその時々で自分を支えてくれる大事な友人がいたから今の自分がいるようなものでした。友人が家族でもあり親のような存在でした。
『自分の人生の軸』である友人からこんな事をされたことにより人生の軸が崩れてしまい、立ち直れなくなってしまいました。
奇しくも、それが29歳の時でした。死ぬなら父親と同じ歳で死のうと自然と何の躊躇いもなく覚悟決めました。
『あれ?死ねない』
人間って簡単には死ねません。死のうと思っても人って死ねないだなと思ったのと同時に自殺する人ってもっともっと何か深い何かがあるんだなと思いました。
そして、人生で初めて母親に頼リました。
『死のうとしたけど死ねなかった』と電話しました。
飛んで母親が来てくれました。
そこでなぜか『生きてて良かった』となぜか思い、そして、父親より生きようと誓いました。
続く。
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