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【記憶より記録】図書館頼み 2306#1

 誕生日が近づいてくるこの時節は、平素に増して考え込む時間が多くなるせいか(独立して以降の習慣)、その変化に気付いた周囲の人達が「最近、大丈夫?」と問うてくるのです。
 皆、メンタルの心配をしてくれているらしいのですが、僕としては「普段の俺って、そんなにお喋りなの?」という疑問でお返ししたい … と。
 何はともあれ、今暫くは自らの 来し方行く末 を精査・照合しながら、歳を重ねる準備をしている最中なのでした。

 さて、つべこべ言ってないで6月上半期の借用本について綴っていきましょう。お時間の許す方は、どうぞお付き合いください。

1:東北の民俗芸能と祭礼行事 
  著者:菊地和博 発行:清文社

去る記事 ↓ で取り上げた「ガガニコ」に関連する記述に出くわさないものかと期待して借りてきたのだが …… 結果はこれ如何に。

数多の祭事にあって、豊作を祈願する「田植え踊り」をひとつとっても、東北という大雑把な括りで捉えてはならないこと、そして、それらの多くが、冷害による飢饉への恐れと祈りに集約されていることへの理解を深めることができた。(西日本との異なりとも言える。)

また、東津軽郡の平内に滞在した菅江真澄「えぶりすり」に関する記述にも心惹かれた。「えぶりすり」は、現在も八戸市周辺でおこなわれている「えんぶり」に通じる芸能と言われている。
菅江真澄が遺した著作物は少なくない。それらに記された文章や絵図からは、純粋な好奇心と鋭い観察眼と深い慈愛に溢れている。
「記憶より記録」の術に卓越した先達の仕事には感謝しかない。

それから、東北に散在する霊山を拠点にした修験山伏が伝えた芸能についても非常に興味深い内容が多かった。
東北地方の霊山と言えば、山形県の出羽三山(即身仏でも有名なエリア)が知られているが、他にも山伏の足跡が刻まれた山が数多く存在する。
獅子舞もまた山伏が伝えた芸能のひとつであり、私はそこに「ガガニコ」も登場するのではないかと睨んでいたのだが、結果はさに非ず。
ただ、「ガガニコ」という固有名詞こそ見当たらなかったが、岩手県宮古市黒森山神社に数多く獅子頭が保存されていることが分かった。これは何某かの手掛かりになるやもしれないと考えている。

この項では、修験者によって広められた神楽「番鐘」¹について多くの頁を割いている。それがまた微に入り細を穿つ内容であった。
こうした伝統芸能は、明治5年の修験道廃止令によって、各村落の人々に引き継がれていったわけであるが、時代の変換期を上手に乗り越えられるか否かが伝承の鍵になっているのだろう。
されば、かの東日本大震災もまた、そうした変換期・真境に該当していることは言うまでもない。

本書の中には、備忘しておきたい事柄が多くあった。さわさりながら、私には一括して記すだけの筆力がないので、間隔を設けて後に、改めて借用した折にでも、他の項について備忘しておきたいと考えている。

脚注1:
「番鐘」とは、絵巻物でも知られる「道成寺縁起」の原型とされる話で、「安珍 清姫物語」といえば知る方も少なくないはずです。因みに「安珍 清姫物語」の一場面は、古くから根付の題材にもなっています。

※なお、道成寺については、写真家の江口敬さんが作品にのせて触れておられるのでご鑑賞下さいませ。


2:かまど神と「はだかかべ」
 
 著者:新長明美 発行:日本経済評論社
 
学識経験者でない著者なればこそ書き得た本であろうと思う。
内容は、岩手県南部から宮城県北部地域にのこる「かまど神」についての資料であり、かつ明治後期から大正時代にかけて、個性的なかまど神を製作した通称「はだかかべ」と呼ばれた左官職人物語でもある。
※はだかかべ:本名 阿部浅之介 主に現・石巻市桃生町の界隈で活動

著者は、有識者ではないという弱点を丁寧な取材で補い、不明な点を著者の情緒と想像で補っている。正直なのは、それを予め宣言しているところだ。でも、そこに陳腐な印象は皆無。むしろ好感しかない。
それは、とある風変わりな左官職人の人生を通して、北上川下流域に暮らす人々の生活史をも活写しているからでもある。

この地域では、明治期に入っても洪水や冷害による飢饉が絶えなかった。それ故、土地に見切りをつけて離れていく人間も少なくなかった。この時代に北海道へ移住した東北人の多くが、こうした背景を抱えていたと言って差し支えないだろう。本書のおかげで、「かま神」” 火伏の神様 ” という範疇に納まらない理由がよく分かった。

老若にかかわらず理解しやすい内容だ。特に、地域教育の場で、大人が予習しておくのに相応しい資料だと思う。
巻末の年表や資料等を十分に検分できていないので、続けて借りる手配をするつもりである。(借用済)


3:山を忘れた日本人 
  監修:石川徹也 出版:彩流社

広角レンズで覗いて書かれたような本である。
宮本常一「忘れられた日本人」に対応する題名にしている点、そして、日本を「山で出来た島」と捉えたところに、雑誌「岳人」で記者をしてきたという著者のキャリアと、視点のユニークさを感じた。

背骨になっているのは「山と人間の関係性における変遷の記」である。
ただ、読みながら感じてしまったのは、問題意識を共有していたとしても、深い共感を得ることは難しいだろうという点。
広げた風呂敷の全体を見ることは可能だけれど、各所に歪みが生じている様に感じてしまった(広角レンズの意)。少なくとも、私の様な「左でも右でもない中庸な人間」は、そう考えた … という話である。

民俗学・文化人類学に精通した先達が操る ” 古い日本語 ” よりも分かりやすく、且つ、随所に核心を突いた指摘があるからこそ「知識と正義を振り回す印象」が際立ってしまったのが残念でならない。
とまれ、著者の「あとがき」に記した危惧感や想い(やや扇動の色を帯びてはいるが)には共感の意を示したい。


4:ナマハゲ 新版 民族選書 Vol.15
  著者:稲雄次 発行:秋田文化出版

本書も、前出の「ガガニコ」に近づくヒントがありそうな気配を感じて借りてきた本である …… が、結果は ✖ に終わった。
しかし、ナマハゲのガイドブックとして秀逸だと感じた。ナマハゲ初心者?!が最初に手に取る本としては最適な部類に入るだろう。

全国各地で散見される来訪神儀礼の代表とも言えるナマハゲである。
本書では「男鹿のナマハゲ」を中心に据えながらも、各地で確認されている来訪神儀礼をも取り上げ、地図や表、簡単な解説まで記されている。
加えて、八重山諸島のアカマタ・クロマタとの比較検証は、紙面が限られているにもかかわらず、良くまとめられていると感じた。
よって、本書1冊があれば、地域性の強い男鹿のナマハゲから、来訪神とい大きな枠組みにまで視野を広げることができるだろう。

コンパクトにもかかわらず、淡々と定義し、説明し、解像度の高い資料を提示してくれているので(巻末の索引・参考文献の紹介も充実)、本書を手に取った読者は、この本を適切な入口として、更に深堀りすることも、幅を広げていくこともできるはずだ。

本命「ガガニコ」の記述には出会えなかったけれど、ガガニコ生息地の界隈(三陸海岸の南エリア)で伝承されている来訪神儀礼「チャセンゴ/サセゴ/カセオドリ/スネカ」などの存在を知ることができた。
細い糸が切れずに繋がっていることを淡く期待している。

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