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写真作品「風姿」

おそらくnoteの名物企画と呼んで差し支えない「創作大賞」
今回、初めて応募します。
応募作は、わたしの代表作である写真作品「風姿(ふうし)」。
当noteでも何度か紹介しているので、
「ああ、あれね」
と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
お初の方には、まずはスクロールして途中まででもご覧いただければ、大変嬉しく思います。


1 能に親しむ

清経(きよつね)
羽衣(はごろも)
道成寺(どうじょうじ)

いかがでしょう。何が写っているように見えましたか?
「もしかして、飛行機雲……?」
そのとおり。飛行機雲です。
「……だとして「清経」とか、思わせぶりで堅苦しいタイトルは何?」
ご説明します。
平清経(たいらのきよつね)は、平安時代の末期、源平合戦のさなかに悲劇の死を遂げた平家の武将です。笛の名手でした。
「へえ。じゃあ「羽衣」は? 天女の羽衣のこと?」
ご名答! いにしえより、富士山を望む三保松原(みほのまつばら)に伝わる羽衣伝説を指しています。
「道成寺」って、有名なお寺なの?」
そうですね。歌舞伎の題材になっているくらいですから、きっと!
「道成寺」は、自分を振り向いてくれない男性を、恋の炎で焼き尽くした、恐ろしくも悲しい女性の物語です。

「能とか歌舞伎とか……見たことない」

確かに。現代ではそれが普通なのかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。
少し前の時代までは、能や歌舞伎は盛んに演じられていましたし、今日でも日本を代表する伝統芸能です(ちなみに、能・歌舞伎とも、ユネスコの無形文化遺産に登録されています)。

そして、多少とも中身を囓ってみるとわかるのですが、能や歌舞伎の物語は、大昔の日本で成立したさまざまな伝承や文芸(古代神話、伊勢物語、源氏物語、平家物語、数多の和歌集等々)をベースに、それらのエッセンスを抽出し、幾重にも組み合わせながら、新たな舞台芸術として再創造されたものなのです。
能や歌舞伎が生まれたのは、能は室町時代、歌舞伎は安土桃山時代から江戸時代にかけて。
能は観阿弥・世阿弥(かんあみ・ぜあみ)の父子が大成させ、歌舞伎は出雲阿国(いずものおくに)のかぶき踊りが元になったと言われています。
「道成寺」や「俊寛(しゅんかん)」のように、先に能の演目が作られ、後に歌舞伎に翻案された作品も多くあります。

さて、能と歌舞伎、どちらが好きかと尋ねられたら、わたしは、

「能が好きです」

と答えます。
もちろん、歌舞伎の世界も素敵だと思っています。
これは本当に好みの問題です。
必要最小限まで削ぎ落とされた、登場人物の所作や音楽(囃子)。
徹底して簡素に飾り付けられた舞台装置。
わたしは能に、時間や場所を超えて美の本質を追求した昔人の、清澄かつ剛毅な精神を感じて、深く心を揺さぶられるのです(同時に、シテ(=主人公)の装束だけは、これでもかというくらい華やかだったりする一点豪華主義にも、不思議な魅力を覚えます)。

2 見立ての世界

松風(まつかぜ)シテ
松風(まつかぜ)ツレ

「松風」は能を代表する演目の一つです。
あらすじは、以下のとおり。

旅の僧(ワキ)が須磨の浦を訪れると、一本の松の木が目にとまった。昔の松風・村雨(むらさめ)という海女の姉妹に所縁のある木だと聞いた僧は、この松を弔い、日も暮れたので浜辺の小屋に泊まろうとする。そこへ、小屋の主である海女の姉妹(シテ・ツレ)が現れ、月光の下で汐を汲み、小屋に帰ってくる。姉妹ははじめ宿泊の願いを断ろうとするが、相手が僧と知ってこれを許し、自分たちこそ松風・村雨の霊であると明かす。二人は、昔在原行平(ありわらのゆきひら)が須磨に下向してきたときに召された海女で、行平が都へ帰り程なく亡くなってしまったことを嘆き悲しむのであった。松風は行平の形見の衣を手に取り、これを身につけて恋慕の思いをいっそう強くしてゆき、ついに想いゆえに狂乱し、行平を恋い慕って舞を舞う。

銕仙会 能楽事典 より

「ワキ」とは文字通り、劇の「脇役」のこと。「シテ」が主役で、「ツレ」はシテに連れ立って登場する人物を意味します。
在原行平は、色男ぶりで名を馳せた在原業平(ありわらのなりひら=伊勢物語の主人公と目される)の異母兄でして……まあ、端的に申しますと、兄貴は兄貴でやりたい放題。須磨に蟄居させられていた立場にもかかわらず、女性二人(しかも姉と妹!)とよい仲になった挙げ句、そのまま一人で都に帰ってしまい、残された女たちは死後も行平を慕って化けて出るという、煮ても焼いても食えないお話が「松風」なのであります。
こう聞くと、難解で取りつく島もなさそうに見える能の世界が、ちょっと身近に思えてきませんか?

上に挙げた写真作品「松風シテ・ツレ」では、横に伸びる一筋の飛行機雲を松風・村雨の一途な想いに見立て、姉妹の外見や性格の差異を色調の違いで表し、さらに全体の淡いグラデーションによって、須磨の浦の松林に漂う海霧や吹き抜ける風、揺れ動く海の波と潮騒、そして何より「松風」の物語全体を包み込む幽玄の雰囲気を表現しようと試みています。

そうなのです。
「風姿」と名づけたこの作品集は、すべてが「見立て」の世界です。
能がそうであるように、また、能以外の多くの日本文化が表現の柱としている「見立て」。
大空を一閃する飛行機雲の姿形を能の演目に「見立て」たのが、ご覧いただいている「風姿」の世界観なのです。

3 風の姿をしばし留めたい

ではなぜ、被写体が飛行機雲なのか?
タイトルの「風姿」とは、一体どういう意味なのか?

鞍馬天狗(くらまてんぐ)
鵺(ぬえ)
山姥(やまんば)

夕暮れの茜空に消えてゆく飛行機雲を眺めながら、なぜか胸の奥がしんみりとした気持ちになった経験はありませんか?
夏の青空を一直線に横切る鋭利な白い筋は、まるで希望と決意の象徴のように見えたりはしないでしょうか?
人は、目に跳び込んでくる景色に、しばしば自らの心象を重ねます。
眼前の、光と色に彩られた世界が、生きてゆくことの何かしらの意味をおぼろげに教えてくれるのではないかと期待しながら。

フィクションの世界も同じです。
長い長い歴史の積み重ねの渦中で産み落とされた詩歌や物語は、わたしたちに、
「生きるとは何か」
「本当の真・善・美とはどういうものか」
その手がかりを示してくれます。

一瞬輝いたのち、何もなかったかのように消え去る飛行機雲。
どこまでも研ぎ澄まされた、時間と時間の狭間で演じられる能。
その二つが、ある日わたしの中でスパークを起こし、融合しました。
それはわたしにとって、一種の奇跡であり、同時に必然でもありました。

わたしは学生時代、能のサークルに所属していました。
日々、仕舞(しまい)や謡(うたい)の稽古を重ね、ときに舞台に立って演じる機会もありました。
能から離れたあとも、わたしの心はきっと、能の抗いがたい魅力に、無意識のうちに引き寄せられ続けていたのだろうと思います。

「風姿」という作品名は、能を完成させ、数多くの演目を世に遺した世阿弥の著書「風姿花伝」から頂戴しました。
「風姿花伝」は、能を演ずるに当たっての芸の秘伝書であり、

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

「風姿花伝」第七「別紙口伝」より

のくだりが特に有名です。

さらに。
場所・時刻・季節・気象など、さまざまな要素が絡み合った末、風の力と向きによって千変万化する飛行機雲。
その美しさと儚さに感情移入し、物語性を見出したことが、この作品集を「風姿」と命名したもう一つの理由です。
正方形に切り取った画面は、真四角な能舞台の形状と呼応しています。

海士(あま)
桜川(さくらがわ)
融(とおる)

いま、書きながら思いついたことを。
荒井由実さんの「ひこうき雲」(宮崎駿監督のアニメーション映画「風立ちぬ」の主題歌にもなりました)は、若い友の死を想って作られた歌だそうです。
飛行機雲には、どこか彼岸のイメージが内包されているのでしょうか。
翻って、ほとんどの能も、あちら側の世界とこちら側の世界の接点を召喚しようと試みています。

4 読み解き「風姿」

「風姿」は、作品の性質上、能のストーリーや古典文芸の知識をある程度持っていると、より深く楽しむことができます。
何の予備知識がなくても楽しめる作品は、それはそれで間口が広く素晴らしいですが、世の中には、この「風姿」のように、少し階段を上る必要のある創作物が存在していても、面白いのではないかと思うのです。
今は、よくわからない物事はインターネットですぐに調べられる時代ですので、もし関心を抱いた方がいらっしゃるとすれば、そうしていただくのがよいのですが、折角ですので、この場で何点か、自作解説を披露したいと思います。

俊寛(しゅんかん)

鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀で平家打倒を図った俊寛
しかし、密告により露見し、首謀者の一人として罪を問われた俊寛は、はるか南海の鬼界ヶ島(きかいがしま)に流されます。
都への帰還に望みをつなぐ俊寛でしたが、ついに赦されることなく、絶望のうちに果てたのでした。
この作品では、高空を飛ぶ機体と飛行機雲を、大海原の波に洗われる離れ小島に見立てました。
また、全体の茶色は、俊寛の僧衣をイメージしています。

俊寛の物語は、古くから人々の心を捉えたのか、「平家物語」や「源平盛衰記(げんぺいせいすいき/げんぺいじょうすいき)」で語られ、能や歌舞伎の題材となり、近代では菊池寛や芥川龍之介らによって小説にもなっています。

安達原(あだちがはら)

みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか

「拾遺和歌集」巻九より

三十六歌仙の一人・平兼盛(たいらのかねもり)の和歌が基になって生まれた「みちのくの鬼女伝説」。
現在の福島県二本松市付近に侘び住まいしていた老女が、行き暮れて一夜の宿を求めた旅人を殺めては喰らっていたという、一種のホラー&スプラッターな物語です(ほら! 人間の興味関心や、そこから生まれるストーリーは、昔から大きくは変わらないものなのです)。
死骸が折り重なる部屋を盗み見られた鬼女は、驚いて逃げ出した僧たちに追いすがります。
忌むべき秘密を知られた老女の怒り、悲しみ、苦痛……望んでなどいなかったにもかかわらず、鬼になるしかなかった者の狂気。

この能の舞台は、都から遠く離れた陸奥国(むつのくに)ですが、仮に現代に置き換えるとしたら、東京のような大都会の片隅のお話とした方が、案外、客席の共感を呼ぶかもしれません……。

なお、「安達原」の演目名を使うのは、能の五流派のうち観世(かんぜ)流のみ。宝生(ほうしょう)・金春(こんぱる)・金剛(こんごう)・喜多(きた)の四流派では「黒塚(くろつか)」です。

花筐(はながたみ)

「花筐」は古い古い言い伝え。
のちに継体天皇と諡号された男性と、彼を愛した女性の、別離と再会の物語です。
花筐とは、野の花を摘んで入れる籠を意味します。さぞかし可憐で美しかったに違いない、ヒロイン自身を暗喩しているとも言えましょう。

さて、日本画家の上村松園(うえむらしょうえん)に「花がたみ」と題した作品があります。
能の「花筐」をモチーフに描かれた、松園の代表作の一つで、残念ながらわたしはまだ、実物に接したことがないのですが、Web上の画像を見ただけでも「鬼気迫る」という言葉が大げさでなく感じられる名作です。
そして、画中の人物が穿いている袴の色は、これ以上はないというくらいの紅。

松園が自作「花がたみ」について記した、印象深い随筆があります。興味が湧きましたら、一読されてみてください。現代ではなかなか書き表すことの難しい内容かつ見解かと思います。

近代能楽集(きんだいのうがくしゅう)

最後にもう一枚。
変化球を投げます。

古典文化を愛した三島由紀夫は、能の演目を自分なりに再解釈し、「近代能楽集」と名づけた複数の戯曲を発表しました。
「邯鄲(かんたん)」「葵上(あおいのうえ)」「卒塔婆小町(そとばこまち)」等々。
三島特有の才気と文章術によって、現代人が忘れかけていた物語にあらたな命が吹き込まれたのです。
その跳躍はもしかしたら、21世紀において、再び忘れ去られようとしているのかもしれませんが……。
かつて、新潮文庫で読む三島由紀夫は、白地に鮮烈なオレンジで描かれた、巨大な明朝体の標題がトレードマークでしたね。
時は移り、いつからか一冊一冊、趣向を凝らしたデザインの装丁に変わりました(でも、さりげなく、元のデザインの基調音が伝わってくる感じがします。背表紙は変わらずオレンジ色ですし)。

もしかしたら「近代能楽集」は、「風姿」の発想の源のうち、もっとも大切な泉なのかも。

《参考リンク》
初めて出会う 新・三島由紀夫|新潮文庫

5 これまでの展示発表

「風姿」はこれまで、ギャラリーでの展示会を中心に発表してきました。

最初の展示会(個展)は、2015年9月、東京・銀座のArt Gallery M84(アートギャラリー・エムハッシィー)にて開催しました。

展示ではシンプルな美しさを心がけました
響き合う色彩の物語

二度目となる展示会は、2016年11月から12月にかけて、福島県西会津町の西会津国際芸術村にて開催しました。
西会津国際芸術村は、かつて中学校だった古い木造校舎を活用したアートスペースであり、その特徴を活かすため、インスタレーションに近い展示手法を選びました。

白い「棺」に並べられた写真たちが、まるで遺影のように佇む
三尊像を祀るかのごとく
苔玉の草の名は「風知草(ふうちそう)」
iPadを用いたインフォメーション

三度目の展示は、二人展の形を取りました。
わたしと同じ福島県福島市在住の盆栽作家・阿部大樹(あべだいき)さんとタッグを組んで、盆栽と写真の二人展という、極めて斬新でありつつ、出来上がったものを前にすれば、ひと目で親和性の高さが浮き彫りになる展示を行いました。
2019年1月、会場は最初の個展と同じArt Gallery M84です。

月と松とがお出迎え
ぼんさいや「あべ」の流儀「空間有美(くうかんゆうび)」
松の枝越しに春の琵琶湖を眺める趣向です
(向かって右の青い作品のタイトルは「竹生島(ちくぶしま)」)

さらに同年3月、福島県福島市の風花画廊(かざはながろう)にて、会津本郷焼の陶芸家・田崎宏(たざきひろし)さんとの二人展を開催しました。

白は、白であって、すべての色でもある


6 最後に

ここまで読んでくださった方の中には、

「そもそもこれは写真なのか?」

という疑問を抱かれた方もいらっしゃるかもしれません。

敦盛(あつもり)

その回答は、ご覧いただいた方々の判断に任せようと、わたしは思います。

わたし自身はもちろん、「風姿」は写真である、と考えています。

写真の概念は今、大きな広がりを見せています。
変容している、と言い替えてもよいかもしれません。

カメラやレンズという機材を使って撮影したものだから「写真」なのか?
そうした定義は当然あり得ると思います。

絵筆やマウスを握って一から創り出したものではなく、偶然出会った対象をシャッターボタンを押すことで切り取った行為だから「写真」なのか?
それもまた、写真の大切な核に触れた定義だとわたしは考えます。

いつどこに飛行機雲が尾を引くかは、ある程度、予想がつきます。
ですが、その形や長さ、崩れ方や背景となる空の色など、実際に何が起きるかはそのときどきの偶然に左右されます
また、制作過程のインスピレーション(どういった作品に仕上げるか、能のどの演目に寄せていくか等)に関しても、意識の領域と無意識の領域が絶えずせめぎ合い、変化を促し続けます
例えば、前述の「花筐」。
上村松園の絵の人物の袴と同じ色だということを、実はわたしは、個展会場で、或るお客さまから指摘されて初めて気づきました。
なぜそうした不思議な縁起が生まれるのか。
写真に限らず、芸術がどういった場所から発生し、どのような経緯を辿って形になっていくか、その秘密の一端を垣間見た思いがしました。

先ほど「「風姿」は写真である」と書きましたが、一方で、今までわたしが「風姿」の表現にもっとも近しいと感じた作品は、版画家・加納光於(かのうみつお)氏の「平家物語」です。
2017年夏、福島県須賀川市のCCGA現代グラフィックアートセンターで開催された大規模な個展会場で、わたしは初めて、氏の「平家物語」に出会いました。
鮮やかな色彩に悩乱する抽象版画には、「木曽冠者義仲」のように、「平家物語」の登場人物たちの名が付けられていました。
そこにははっきりと、能のイメージの投影が感じられました。
わたしは長い時間、氏の「平家物語」に相対し、その後、深い納得と共感を胸に、会場をあとにしたのでした。

感動は、ジャンルの壁を易々と越えることができます。

巴(ともえ)

だいぶ長くなってしまいました。
写真作品「風姿」を巡る語りを、そろそろ終わりにしたいと思います。

「風姿」は紛れもなく、わたしの創作人生における代表作です。

上記のとおり、何度も展示会の形で発表した作品ではありますが、決して過去形の作品ではありません。

今回、note「創作大賞」に応募した理由は、次の三つの目標に一歩でも二歩でも近づくためです。

一つ! 写真集の形で世に問う。

二つ!大判プリントを作って能楽堂に展示する。

三つ! プリントをギャラリーやコレクターに購入してもらう。

出典:わたしの心の声

わたしはまだまだ、能の世界のごく一部しか理解できていません。写真で表現できる世界のうち、ほんのわずかしか歩けていません。

それでも、この記事が、一人でも多くの方の目に留まる機会となれば、望外の喜びです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

翁(おきな)
すべての初まりであり、円環の物語

〈了〉


(追記)
「note創作大賞2023」の結果ですが、めでたいことに中間選考を通過することができました(予想外だったので驚き!)。

最終選考では、残念ながら、賞に残ることはできませんでした。
ただ、おかげさまで、当初考えていたよりもずっと多くの方に、この記事を読んでいただくことができました(すなわち「風姿」という作品を見ていただくことができました)。
あらためて御礼を申し上げます。

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