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【目下 製作中!】”中学生の自分”を砥ぐ

 昨日とうって変わって寒さが沁みた一日でした。
 キーボードを叩き始めると直ぐに、バス通りの方から危急を告げる消防車のサイレンが聞こえてきました。
 「最近、頻繁にサイレンの音を耳にするようになったよなぁ … 。ったく、火事は怖いねぇ。くわばら、くわばら … 。」と溜息交じりで呟いたら、リビングの片隅で暖房機を掃除していた嫁さんに「貴方が一番気を付けないとね。」と太い釘を打たれてしまいました。
 「雉も鳴かずば撃たれまい」と呻いた伝吉小父でした。  

 師走の声が聞こえ始めた今日この頃。
 多忙にかまけて、日常の匙些末な事柄を疎かにしてしまうのもこうした時節です。老若を問わず、行動を起こす前に指差呼称ですね(自戒)。
 とにもかくにも、火の元には細心の注意を払いたいものです。


 さてと、本題に入りましょう。

 心と時間に余裕が生まれた時だけ手を動かしている「新たな挑戦」。 
 そう書くと、あたかも名作が誕生しそうな気配が漂ってくるのですが、現実は「さに非ず」。単に「優先順位が低い」という理由に尽きると。

 ゆえに、この山桜やまざくらの木を使った「新たな挑戦」は、未だに彫刻刀を手にする段階には至っておりません。
 作業的にも、所定の寸法に手鋸てのこで切った、挽いた、といった程度の内容で、今もって何かを予見させるような状態にはなっていません(苦笑)。

※下記事で製作途上の様子を掲載した「災厄を喰らう」の方は、数日前に完成しております。今から、桐箱やクッションの準備に入るところです。

 そんなこんなで、諸事万事に一応の区切りがついた或る晩。「新たなる挑戦」を一歩前に進める時間を得ました。
 兼業で取り組んでいる人間にとって、予定外の余暇が生まれることは存外に嬉しいものです。その一方で、心と体の活性が急上昇するためなのか、得意の「気まぐれ」が発動しやすいという傾向があるのも事実(私の場合)。
 然るに、油断は禁物なのでした。


 前置きはここまで。
 ここからは「目下 製作中!」の核心部です。
 
 いずれにしても、次なる工程は決まっているのです。
 前回の作業で縦に挽いた材料の面と厚みを整えること。
 されば、使う道具はかんな一択。 

「道太郎」の銘が刻まれた鉋身

 本作に関しては、兼ねてより「電動工具は一切使わない」ことを旨としているので、鉋を使うことは想定していたわけですが、ここで僕の「気まぐれ」が発動してしまったのです。

 「こんな小さな材料に大鉋を使うのも大げさだよな … 。」と一頻り考えを巡らすと、面白気おもしろげなアイディアが思い浮かびました。
 「そういやぁ、中学生の時に学校で買わされた大工道具があったはずだよなぁ … 。あの中に、手頃なサイズの鉋があったっけ!」
 こうなると作業どころではありません。
 夜半から家探しやさがしが始まると(苦笑)。

 幸いなことに「懐かしい鉋」は見つかりました。
 そして、試しに端材を削ってみたところ、結果は言わずもがな。
 刃が切れないのは、当たり前田のクラッカー。もはや、刃物のお役を果たせない物体Xに様変わりしていました。 

 こうなると、大切な作品の材料を整えるどころの話ではありません。
 観念して刃を研ぐところから仕切り直しです。いやはや、とんだ回り道を歩く事になってしまいました。

全国各地の学校でセット販売されていたらしい「道太郎」を一人前の道具へ仕立てる。

 せめてもの救いは、鉋身や裏金が錆びていなかったことでしょうか。また、裏出しを行う必要がなかったことも幸いでしたね。

 とりあえず、大きな刃欠けもないことから、1000番の砥石からスタート。
 そして、徐々に番手を上げていき、最後は天然砥石で仕上げると … 。
 この仕上げていく過程が実に心地良く、更には、体の姿勢や心も整っていく感覚を得ることができるのでお薦めです。(極上の暇つぶし)

 かくして、夜のとばりが下りる時分に仕上がった刃を手にした僕は、ある種の衝動に駆られたかの如く、材料の面を整え始めるのでした。 

縦挽きで荒れた面を何とか整えました(大汗)。

 そんなこんなの「気まぐれ」から始まった回り道。
 都合2組分の材料の面を整えることができました。
 想像していた以上に硬い材料で鉋掛けには時間を要しましたが、細かい彫刻に耐えてくれそうな質感だったので、鉋を握る手にも力が入りました。 

 とは言え「中学時代の鉋を使ってみよう!」なんて気まぐれを起こさずに愛用の大鉋を使えっていれば、もっと作業は捗ったはず。
 しかし、得難い時間に浸れたという実感があったことも事実。
 ことに数年来、細くて多様な形状の彫刻刀ばかりを砥いできたことから、特に人造砥石の面直しが甘くなっていた面直しとは?)という事実を突き付けられたこともまた、回り道の時間が与えてくれた反省材料の一つだと感じています。

 これぞ正に「初心忘るべからず」です。
 刃を砥いで切れる様にすることのみが「研ぎ」ではないと … 。
 一見して些末な、けれども肝となる過程を疎かにしてはならない。
 そんな教訓を受け取った時間となりました。

 そんなこんなの製作の一場面。
 お後がよろしいようです。

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