見出し画像

【思い出ぼろぼろ】腑に落ちた一文

 『本』は、新しい知識・知見をもたらすだけではなく、それらを知恵へと変換するために必要となる行動をも誘発させてくれる稀有な存在です。
 特に、”本と読み手の化学反応” が起きた時に発生する熱量は尋常ならざるものがあり、それは正にタイミングの成せる技だと言えるでしょう。

 此度は、 ”11歳の僕” が朧げに描いていた将来像解像度を、一気に引き上げてくれた『一文』について綴っていこうと思います。 


1:現実と非現実の狭間に生まれた夢

 市井の人を自認するこの僕が、建築設計事務所を開業してから 22年 という時を経ようとしています(しみじみ)。
 それは正に、吹けば飛ぶような規模の事務所ではあるけれど、小さいがゆえの利を活かしながら、何とかやってこれました。

 この結果を僕自身がどのように捉えているかと言えば、 ”20年以上やってこれた” という時間的な評価よりもむしろ、「 ”幼き頃の自分” に欺くことなく人生を歩めた。」という自負の方が、実が大きかったりするのです。

 ”幼き頃の自分” と言えば …… 。
 この『建築技術者』という将来の夢を、明確な動機をもって自ら表明したのは、11歳(小学校5年生)の頃だったはずです。
 この時期を、僕自身の読書史に当てはめてみると、児童用の伝記を卒業した段階、即ち ”世界の名作” と謳われるような文学作品や国内外のノンフィクションを、積極的に探して読むようになったタイミングに合致していると思われます。

 とは言え、そこは世間知らずの小学生(笑)。
 動機は至極単純でした。
 親友の家(欠陥住宅だった)で体験した不愉快な出来事をきっかけにして、「こんな家を建てる奴らは許せん!俺ならこんな家は建てないぞ!」と ”尻の青い正義感” が発動してしまっただけの話 … 。

 であるからして、自分の特性・能力が『建築技術者』に向いているか否かは勿論、建築技術者に関わる国家資格(建築士・施工管理士等)の存在も知らなかったし、建築技術者になるためにどんな資質が必要で、いかなる学問を習得せねばならないのか …… といった現実的な事柄について思いを致すことはありませんでした(苦笑)。
 今にして思えば、欠陥住宅から漠然と浮かんできた言語が『建築技術者』 であって、より稼げるであろう『弁護士』ではなかったと(笑)。

2:ジュール・ベルヌとの邂逅

 折しも、この将来に対する意識が芽生えたタイミングで出会ったのが、フランスの冒険SF作家 ジュール・ベルヌ(以下 ベルヌ)の作品でした。
 ベルヌの作品といえば、「二年間の休暇」「海底二万海里」を筆頭に、「80日間世界一周」「地底旅行」「月世界旅行」などが広く知られていると思われます。

 僕自身は、10歳の頃に「80日間世界一周」ベルヌの洗礼を受けました。突拍子もない発想と奇想天外な展開、そして随所に見られる精緻な表現、更にはエンディングの ”失意からの歓喜” には溜息を漏らさずにはいられませんでした。(翻訳者の功績も大いにある)

 そんな僕が、座右の書として挙げるのは、11歳の誕生日プレゼントとして買ってもらった「神秘の島 」という作品です。
 前出の通り、朧げに過ぎる将来の夢『建築技術者』を、消化不良のまま公言していた僕に、それまでの拙い人生経験では得ることができなかった気付きを与えてくれたのが、同作品の主要人物 サイラス・スミス でした。

3:腑に落ちた一文は「金言」へ

 作品の中で『技師』として登場するサイラス・スミスは、ありとあらゆる苦難・苦境を、自身の知識と知恵に裏付けされた実行力で乗り越えていく人物なのですが、そんな彼の活躍を知る由もない冒頭の段階で、僕は サイラススミス という技師に痺れてしまったのです。
 それは、物語が大きく動き出す前段で記された、サイラス・スミス人物像を描いた中の一文にありました。

一兵卒からたたきあげられることを望んだ将軍のように、まずはハンマーとつるはしの使い方から学ぼうとつとめた技師であった。 

福音館書店 古典童話シリーズ21「神秘の島(上)」P13より

 この二行足らずの泥臭い一文を読んで、「あぁ、そうなのか。技術者ってのは、何でも自分で出来なきゃ駄目なんだなぁ。」と素直に感じ入ってしまった僕は、合点がいったというか、しっくりきたというか、早い話が ”腑に落ちてしまった” のです(微笑)。
 その様なわけで、万事に通じる「何でも一度は自分でやってみよう!」という金言を得た僕は、それまでの自分(基本 ビビり)には無かった能動性客観性を身に付けていくことになるのでした。

 ※この一文は、分かりやすい例え(ハンマー・つるはし)を用いて、サイラス・スミスが「礎」を疎かにしない技師であることを表現しているだけなのですが、当時の僕は、そんな風に捉えることはできませんでした(笑)。

4:「金言」は常に傍らに

 「三つ子の魂 百までも」とは良く言ったもので、その後の人生は ”この金言” と共にあったと言っても差し支えないでしょう。
 この単純明快にして原始的な指針は、やってみた結果の成否に関らず自分の特性(得手不得手・向き不向き)を見極めるのに役立ちました。

 とまれ「何でも一度は自分で〜」という指針は、時として非合理的かつ不条理な場面に出くわす可能性は否めませし、合理的であることを是とする昨今流に逆行しているように見えるやもしれません。
 さわさりながら、僕自身は、この感覚(指針)を ”人生の初期段階” で身に付けて良かったと感じています。
 何故か?
 それは、結構な頻度で失敗を経験することから、天狗の鼻が育つ暇がないので、根拠のない自信歪な自尊心、過度な自己顕示欲が芽生える土壌ができなかったことに因ります。
 つまりは、こうした過程を繰り返していく中で、自然と育まれていった能動性客観性は、挑戦と失敗と言う名の山と谷を乗り越えるためのになってくれたと感じているのです。(相応の時間を必要としましたが … )

5:縦穴群を横穴で繋ぐ

 今現在の僕は、この金言によって獲得した多種多様な成果・収穫(ほぼ失敗の産物)を、ランダムに繋げていく段階にあると認識しています。
 それは、人生の前半期で各所に掘りまくった複数の『縦穴』を、人生の後半期に『横穴』で繋げていくと言ったイメージになるでしょうか。
 正に ”蟻の巣” ですね(微笑)。でも、この ”穴掘り作業” が、今の僕に極上の充実感を与えてくれているのです。

 超一流にしてタフな技師 サイラス・スミス 。
 これからも彼の存在は、僕を鼓舞し続けてくれることでしょう。そして僕も、この ”架空の人物” を敬愛し続けるのです。

この記事が参加している募集

SF小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?