たのしい人生は、自分で作り出すもの。
豊かな人生、たのしい人生は、自分で作り出すものだな〜と最近よく思います。
たのしいことは、待っているだけでやってくることもあります。
「引き寄せの法則」と呼ばれているものの中には、願ったり、想いを強く持てば、向こうからやってくる的なことを言ってるものもあります。
僕はこれは、同意できることと、足りないと思うことがあります。
確かに、想いを持つのは大事です。
自分が何を望んでいるのか、はっきり自覚していないと、いざ「たのしいこと」がやってきても、それに気が付かなかったりします。
チャンスに気づかないってやつですね。
一方、足りないと思うことは、待っているだけでは、深みのある「たのしみ」っていうのは手に入らないということです。
深みのあるたのしみは、自分で作り出すという感覚を、僕は持っています。
どういうことかというと、
たのしみを待つというのは、テレビで同じチャンネルをつけっぱなしにして、それを眺めているようなものです。
フジテレビを朝から晩まで24時間流し続けながら、テレビの前に座って、「なんか自分をたのしませてくれないかな〜」と待っている状態です。
ずっと見ていれば、たまに面白い番組に出会うと思います。
例えば、月9のドラマがめちゃくちゃ面白くて、その1時間は気分が上がるみたいなことはあるでしょう。
けれど、それ以外は、特に興味がない番組やCMを見ている時間のほうが長いかもしれません。また次の月曜9時がくるのを待つ日々かもしれません。
退屈な時間を我慢して、翌週の月曜9時からの1時間だけ、たのしい気分になれるかもしれませんが、そのドラマが終わってしまったら、どうでしょう
より退屈な日々の始まりです。
そして、番組が再編されて、たのしい番組が始まるのを願う日々。
ただ待つ、っていうのは、こういうことです。
でもここで、ちょっとだけ能動的になって、リモコンでチャンネルを変えてみたらどうでしょうか?
よりたのしいことに出会える確立は上がりますよね。
さらにもっと言うと、テレビの外に出ることもできます。
いくら料理番組を見ていたところで、味覚や嗅覚を味わうことはできません。おいしそうなハンバーグをつくっている様子を見ていても、それを食べることはできませんよね。
実際に食べたければ、レストランに行ったり、自分でつくってみたりするなど、何か行動をする必要があります。
行動することで、いいレストランに出会うかもしれないし、料理のたのしさに目覚めたりするかもしれません。
こうして、たのしみが幾重にも重なってきて「深み」が出てくるのです。
待っているだけの受け身のたのしみは、「一時的で、浅い」。
自分で動いて作り出したたのしみは、「継続性があって、深い」。
本当にたのしい人生は、自分で作り出すもの。
そんなふうに思います。
(おしまい)
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