ナニモノナニゴト

何者かにならなきゃって、焦ったら。


あけましておめでとうございます。

少し時間をとってゆっくり考える機会があったので、書き初めとして残しておこうと思います。もし生きづらさや、不安を感じている人に届いて、心が少しでもホッとなったらいいなと思って書いています。

年末年始は、SNSをあまり見ず、発信もせずに過ごした。

普段はPRという仕事上の特徴もあり、僕のSNSはブンブンに回っている。

自分が何も発信しなくなると、ふと俯瞰的になることがある。ボーッとSNSのタイムラインを見ていると、痛いほど感じる2つの感情があった。

不安と焦り。

「何者」かにならなければ、と焦っている人たちがここ最近ですごく増えた感じがする。特にTwitterが顕著だが、みんな自分で何か名乗っている。「何者」かとして認識されようと、あるいはありつづけようと、悲壮感と焦燥感と共にもがいているように見える。きっと普段の自分もそう映っているのだろうし、実際、漠然とした不安と焦りをいつもどこかで感じているのは事実だ。

ばあちゃんは、facebookもtwitterもインスタもやっていない。正月は久しぶりに集結した親戚に囲まれて楽しそうに笑っていた。すごく幸せそうだった。

1月6日、仕事始めの通勤電車もタイムラインもやはり、年始めとは思えない、形容しがたい重苦しい雰囲気でいっぱいだった。


なぜこんなにも、社会は不安に包まれているのか


きっと、いろいろ原因はあるんだと思う。個人的には、画一性を前提に成り立っていたひとつの時代が終わり、変化による歪みが随所で同時多発的に起こっているというのが一番しっくり来る。

ここは僕が長々と語るよりも、高木新平さんのnoteがすごくわかりやすいので読んでいただきたい。「孤の時代」すごくしっくり来る。「あぁ、そういうことか」って少し心が軽くなる。

だから、こんな時代だから、不安な気持ちも、焦る気持ちもあって自然なんだと思う。

いつだって人は「安心」を求めているのだろう。

例えば就職の際に「安定」を求める人が本当に欲しいのはきっと「安心」で。その「安心」を得るために、かつての最適解は「安定」することだった。けど、その鉄板方程式も残念ながら崩れ去ってしまった。

前提が変わった時代に、安心をもとめて、つながりをもとめて、アイデンティティをもとめて、きっと人々は一刻も早く「何者」かになろうと奔走し始めているのだろう。

こんなに多くの人が何者かになることを求めた時代が、これまで日本にあったのかわからないけれど。今は明らかに、不安に押しつぶされないように、焦りに突き動かされて、みんな必死で。そしてなんか、少し疲れている感じがする。


でもきっと、「何者」かになるためには


もちろんソーシャルで「何者」かを名乗り、何を言うかも大事なんだと思うけど。同時に(できればその前に)

集中できる「何事か」を見つけることが大事なんだろうと思う。

ちなみに僕も特に「何者」でもない。

もうすぐ32歳になるが、22歳で仕事を始めてから特に20代の間は、本当にダメダメだった。会社に行くのも憂鬱で、土曜の朝からサザエさん症候群だった。何もできなかったし、何の希望もなかった。どれだけダメだったかはいろんなところに書いているけど、仕事選びも仕事も失敗談が多すぎて「ダメでもしぶとく生きていればなんとかなる枠」でキャリアのインタビューを受けてしまうくらいにはダメだった。

今いるワンキャリアという会社でも、入社当初は例に違わずしっかりダメだったのだが、ひとつ貴重な経験ができた。

それは集中できる「何事か」に出会えたこと。

僕の場合はそれが今のPRの仕事だった。

「何事か」との出会うまでの話はここに書いている。

少し光が見えたきっかけは、その「コト」との出会いだった。

昨年はいくつかのメディアで取り上げていただいたこともあり、周囲の方の反応は明らかに変わった。素直に嬉しいと思うことはたくさんあった。ただ、同時にある強烈な不安が芽生えている。

実像に対して、虚像の自分が「何者」かになり過ぎている感覚


自分自身の能力に関係なく、スマホの向こう側の自分が表面上の出世をしていく。遠ざかっていく。味わったことのない強烈な不安だった。(対して出世してねーじゃんって感じだが、僕にとっては元がダメダメなので、十分な出世だ。。)

スマホの向こう側に追いつかねばと、ヤキモキすることもあった。「忘れられないようにするために、何か今日も言っておいたほうがいいかな」とか、考えることもあった。

webと現実の姿が想定以上のスピードで乖離していく感覚は本当に恐いし、精神衛生上あまりよくない。そして開いたその差を埋めようと焦って何か迷言を重ねるのも、虚勢を張るのも、web上の自分の出世スピードにすら陰りを感じるのも、総じて精神衛生上よくない。

マコーレ・カルキンもハーレイ・ジョエル・オスメントも、子役時代にとんでもないスピードで世界規模で、想像もできない乖離と戦ったのだろう。本当に大変だったんだろうと思う。

本当によくない。

ただ結局、精神安定剤は


昨年は不安だらけだったし、今だってちゃんと不安だ。ただ、不安に苛まれたとき、いつも決まって、心が帰るところがあったのは救いだった。

それは、実際に取り組んだ「何事か」が少しでもあるという事実と、リアルで深くつながっている仲間だった。

結局、自分が「何者」と把握されようと、実際に取り組んだ仕事と、その仕事がもたらした「実績」は変わらない。

自分が今、暫定で「何者」のタグがついていようと、リアルで深くつながっている仲間と一緒にいるときの安心感は変わらない。仕事始めの日、帰り道で少し潤みながら気づけばこんなことを書いていた。


結局、何がいいたいかと言うと


もし不安に苛まれて、早く「何者」かにならないとって焦っているなら、きっとそんなに焦る必要はなくて。

「何事」かをなす前に勝手にスピード出世する虚像の「何者」かは、結局自分に新しい不安を持ってくるし、自分のいないところで知らない人が自分の話をする原因にだってなる。

いろんな新しいストレスや、期待値と実像のギャップに苦しむ毎日だ。

そんなときに助けてくれるのは、繰り返しになるが、1mmでも実際にした「何事」かがあるという事実と、嫌でも毎日目に入る等身大の自分の存在を認めてくれる仲間なんだろうと思う。

だから、集中できる「何事か」(自分の役割)に出会って、それをコツコツ淡々と1mmずつでもいいからこなしていくことが、結局大事で。もしその過程で次の「何事か」に挑戦するために「何者か」である必要があるなら、そのチケットは意外と神様からのご褒美のようによしななタイミングでもらえたりする。

そんで、その「何事」かを、好きな仲間とできているのであれば最高だなと。

地に足をつけて始まりを迎えた2020年でした。

もしここまで読んでくださった方で、もし早く「何者」かにならねばと焦っていたら。もし不安でしんどくなっていたら。少し、肩の力を抜いて、今集中できる「何事」かや、自分の存在を認めてくれる近くの仲間を、探してみるのもいいんじゃないかなと思います。

ワンキャリアもほぼ全ポジションで仲間を募集しています(ボソリ)

きっとじっくりでいい。
ご機嫌に、楽しくやっていきましょう!

それでは、2020年もよろしくお願いいたします。



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