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パスをパスするということ(あるいは言語使用者としてぼくらが知らずにしてること)

人は自分が操れる数千語のことばでもって、広く深い世界や自分の内面を表現しないとならない。このやり繰りが、ことばの意味を豊かにしていく。たまたまめくっていた古いノートにこんなことが書きつけてあった。

「峠」の語源

峠の語源は「たわ」もしくは「たをり」であるらしい(柳田国男「峠に関する二、三の考察」『秋風帖』)。タワというのは山の稜線が凹んで低くなっているところのことである。洋語直訳として今では鞍部などと呼ばれているらしい。このタワを越えること、つまり「たわ越え」が縮まって「とうげ」になったという。

旅人が山に面したとき、山すそを迂回するのがあまりに遠回りであれば、山を突っ切って向こう側に出ようとする。その際に目ざすのが山の峰々より一段低くなっているこのタワである。水もこのタワから流れ出ることが多いから、自然にタワに向かって峠道ができる。

この「たわ」は「たわむ」とか「たわわ」とも関係があるようだ。枝などに実が多くなって曲がることを「たわむ」とか「実がたわわになっている」などという。また、「たわごと」「とか「たわむれる」の「たわ」も、緩むとか弛緩するという意味から緊張の欠如、品行の乱れなどに結び付けられたのかもしれない。

「たわむ」という動詞が最初にあってタワという地形名称が生じたのか、その逆なのか不明なのだが、山の多い日本では、移動の際に山を越える必要に迫られることが多かったから、そうした地形をわざわざ名づけるだけの理由があった。英語では峠を何というか調べてみたが、一語でこれを指し示す単語はなさそうだ。カイバル峠のような地名にはパス pass という語が用いられているが、この一語だけでは何のパスやらわからない。特に峠を意味するには mountain pass などと形容語を付さないとならない。

やはり文化がちがうのかと思ったのだが、ここで気になったのがパスの意味である。山並みのあいだを「通る」からパスなのだろうが、日本の峠にも「たをり」の別名がある。これが「通り」という名詞や「通る」「通す」という動詞とも関係があるのだろうか。こちらで「試験に通る」ことをあちらでは「試験にパスする」などと言ったりするのである。

「通る」ってどういう意味?

「通る」という動詞は昔からあって、すでに現在とほぼ同じ意味で使われている。しかし、辞書を引いてみると、この言葉には互に脈絡のなさそうな複数の意味がある。まず、「電車が通る」のような空間上を移動する動きを示す意味。もう一つは、「その通りだ」とか「注文通り」のように、「そのままそっくり」という意味。また、「一通り試してみた」のように、何かの「一式」「一揃え」という意味もある。ぼくらは大して気にせずに使っているが、外国人などが日本語を学ぶときには、きっと理解しにくい単語だ。

実際、日本語を母語とする自分らにも、なぜにこんなバラバラの意味が一つの単語に含まれるのか、すぐにうまい説明が浮かんでこない。しかし、「たわ」という単語を媒介させると、この意味がつながってくるようなのである。

まず「電車が通る」の「通る」であるが、単に「動く」という以上の意味があって、ある地点から別の地点へと移動という意味が含まれる。例えば、「トンネルを通った」と言うときは、トンネルの外から中へ入って、また外へ出たことを意味する。「トンネルを途中まで通った」というのは、まだトンネルをぬけていないから少しおかしな言い方である。「〇〇を通って××に行く」というときも、場所の経由であるから、出発点も到達地も〇〇の外にある。

峠を越えるときもまた、峠自体は通過点にすぎないから、タワを突き抜けて山の反対側に出ることを「とおる」という動詞を使って表したとしてもおかしくない。いや、むしろ、タワを越えるという具体的な行為を指示する動詞が、のちに抽象的にある地点を通過すること全般を意味するようになったのかもしれない。「やり通す」なんていう貫徹の意味の「通す」も、またここからでてくる。

じゃあ、「その通り」とか「注文通り」とか「思い通り」の「通り」はどうであるか。これもやはりある目的地に向かって進むという意味からの転用であるように思える。「通す」という動詞を介するとより分かりやすい。「通す」は「通る」の他動詞、つまり何かを「通らせる」ことである。「針に糸を通す」とか「自分の意志を通す」などとわれわれは言う。ある狭いところをくぐり抜けて、その向こうに到達させることである。これも高くそびえる山並みのはざまを縫って向こう側へ出る「タワ越え」と結び付けるとわかりやすくなる。

そして、「通り」は二つの地点間の行程でもある。だから、転じてある過程全体という意味にもなる。「その通りである」というのは、人の言ったことなどがその議論の行程すべてにおいて賛成できるという意味である。「注文通り」とか「思い通り」というのも、自分の意図がすべての行程にわたって貫徹されたという意味になる。

最後の「一式」「一揃い」という意味の「通り」はちょっとむずかしいが、これも行程の貫徹と関係しているのは間違いない。ある目的地に達するために経なければならない一連の手続きや手段をすべて含めたのが「一通り」であろう。

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