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ふりむくなよ

私の恋愛あるある話だ。
片思いの間はいいのだけど、成就した途端どうでもよくなるというか、ある意味ガッカリするというか、もっと言えば気持ち悪っとさえ思う。そんなわけで長続きしない。いや、好きな気持ちがなくなるわけではないのだが、相手がこちらに振り向いたときに起こるガッカリ感が、連続して起こってしまうからなのだ。

それは、何かを追い求めているあなたが好きなのであって、その何かが自分になってしまうと対応しきれないといった思考に及ぶ。相手にとっては本当に気の毒な話だが、私に愛情表現をすればするほどガッカリ感が増してしまうのだ。

このガッカリ感は恋愛だけにとどまらない。仏教やキリスト教より断然神道が好きなのは、彼らが振り向かないからだ。お坊さんはこちらを向いて説法してくれるのに対して、神道は振り向かない。淡々と神事を行うだけなのだ。だから私は安心して好きでいられる。

このガッカリ感は大きなものではなく小さな拒否感なのだが、これにも起源があるわけなので、ちょっと探ってみた。
おいおいおいおい、これかよーーーーーー、という幼い頃の体験が一致した。

夜ふと目を覚ますと、母は私に背中を向けていた。私は母が大好きだったのだけど、母が自分に背中を向けていることがちょっと切なかったのだ。こっち向かないかなと思っていると、母が寝返りを打ってこちらを向いたその時、母の口臭に「くっっさ!」という衝撃を受けたのだ。

確かに振り向いて欲しかった。でもこうなるとむしろあっち向いてて欲しい。いやでも大好きな母ではあるし、こんなことを思ってしまうなんて。この口臭も受け入れてあげたいがだがしかし、という悶々とした感情を味わった。そして母は再び寝返りを打ち、その口臭から解放された私は、ほっとしたのだ。

あのガッカリ感は母の口臭だった。

この体験は前にも出てきたのでいろんな感情が被ってたんだろう。相手の嫌なところも受け入れなきゃいけないといった思考だった気がする。
幼い私よ、どんだけの衝撃だったんだ。いや、臭いもんは臭いって。そりゃそうなるわと笑えてきた。

ほんとに毎度のことだが、こんなもんなのだ。もちろんもっとドラマチックな感情もあるけど、こういう些細な体験にあるインパクトの大きさに笑いが込み上げる。この母の口臭と、ここでは触れてないけどカタツムリの衝撃体験も、微妙に重なっていた。子供の世界の未体験な感情のインパクトの大きさが、その後の人生にどれだけ影響を及ぼすことか。それはもう神秘的とさえ言える。

子供の頃の、すべてが新しい新鮮な毎日に思いを馳せてみた。


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