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千尋はなぜ泣いているの?

わたしはジブリ映画の『千と千尋の神隠し』が好きだ。
名前を奪われ、知らない世界で突然働くことになったにも関わらず、決して卑屈にならず今できることに一生懸命な千尋の姿に、何度勇気をもらったことか。

ただ一か所だけ、何度見ても「?」となってしまうシーンがある。ハクから手渡されたおにぎりを、千尋が大粒の涙をこぼしながら食べるシーンだ。千尋はうれしいとも悲しいとも言っていない。ただただ、声をあげて泣きながら、おにぎりを食べているのだ。

彼女はなぜ、泣いているのだろう。


わたしはどうも、"人の気持ち"に疎い。

「この時の主人公の気持ちを答えなさい」
このテの問題は、一度も答えられなかった。だから国語のテストはいつもぼろぼろ。漢字やことわざのように暗記すれば答えられるものはともかく、心情を答える問題はお手上げだった。懸命に考えた末に出た答えはいつも、不正解。赤ペンで書かれたバツマーク、悲しいことに見慣れてしまった。

「主人公とは生い立ちも好みも性格も価値観も違うのに、どうして相手の気持ちがわかるの?」
そんな疑問を口にしたら「屁理屈だ」「文章を読めばわかる」と言われたことがあった。屁理屈はいけない、だからこんな思考はいけないのだと考え直してみたけれど、わからない。文章も読み直したけれど、やっぱり何もわからなかった。

思えば、テストだけではなく実生活でも不正解の連続だったのかもしれない。
今まで関わったほとんどの人は、皆わたしから離れていった。話し相手が突然怒り出したときもあったし、不機嫌そうに「もういい」と言われたこともあった。
おそらく、わたしが不正解な言動をとったのだろう。相手の気持ちを汲めず、不快にさせるようなことを言ってしまったのかもしれない。自分では気がついていないだけで。

"人の気持ち”に対する疑問は、今でもわたしの中でモヤモヤとくすぶっている。



神さまの世界に迷いこみ、名前を奪われ、湯婆婆のもとで働き、ハクにおにぎりをもらうようなことがわたしにもあれば、千尋の立場になって気持ちを想像できるかもしれない。でも、現実はそうはいかない。
わたしにとって、千尋の気持ちに寄り添うことは難しい。あの涙は何なのか、どんな気持ちで泣いたのか。何度も映画を観ているのに、彼女の気持ちが想像できない。

ただ、千尋には思い切り泣いてほしい。人は泣くことで気持ちが楽になる、と耳にしたことがあるから。気が済むまで泣いて、おにぎりもお腹いっぱい食べて、そして彼女が落ち着いたら「どうしたの?何かしてほしいことある?教えて」と聞いてみよう。

不正解かもしれないけれど、これがわたしにできる精一杯。


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