写真と眼鏡は同じもの
わたしは目が悪い。
だから眼鏡は必需品。これを身に着けるだけで視界がパッとクリアになる。眼鏡をかけていれば向こうにいる人の顔を認識できるし、テレビもパソコンも見えるし、駅の案内表示板も遠くから読める。眼鏡ってありがたいなぁ。眼鏡なしの生活は考えられないや。
ところで、わたしはコミュニケーションが苦手だ。
人と話す時の声のトーン、表情、タイミング、内容、冗談と皮肉、本音と建て前。考えただけでも頭が痛くなる。
そして、頭が痛くなったのはわたしだけではない。会話の相手も、だ。何度相手に困惑や不快感を与えたかわからない。本当に申し訳ない。そういう状況になってしまうことが怖くて、会話をすること自体に恐怖心を抱いているのもまた事実。
そんなわたしが「コミュニケーションできた!」と楽しくなる時がある。それは、自分が撮った写真を誰かに見せている時。写真を見ながらだと「これは〇〇で撮りました」「良い景色だったので撮りました」と、第一声がスムーズに出てくるのだ。
何もない状況で話そうとすると、何をどう話せばいいのかがわからなくて黙ってしまうか、逆に事細かに話してしまう(しかも一方的に)かのどちらか。でも、写真があると伝えたいことを客観的に確認しながら話すことができる。自分の頭の中を客観的に見るのは難しいけれど、写真を見るのは難しくない。おまけに、その写真をネタに会話が広がるという特典付き。コミュニケーションの手助けをしてくれてありがとう、写真。
眼鏡と写真は全くの別物。でも「手助けになっている」という点では同じ。どちらもわたしの「困った」を和らげてくれるモノ。
眼鏡と同じく、写真もわたしの生活から切り離すことは出来なさそうです。
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写真を「趣味」と認識することに対して「しっくりこないなあ」と思っていたのだけれど、しっくりこない原因はこれだったんですね。
趣味で撮っている、ではなく、必要性があるから撮っている、という感覚。それがわかってスッキリ。写真に出会えてよかった。
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