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【日記】わたしの慰め種はなんだろう。


慰め種
「心をなぐさめたり、いやしたりする材料」 
             ※大辞林 第三版より


あなたの慰め種は何ですか?
わたしの慰め種は「好きなこと」。ピアノでしょ、それから推しのDVD鑑賞でしょ。京都や日本史、写真や文章も好きだし、それから──

…違う。これらはわたしの慰め種じゃない。

***

いままで──うつ状態になるまでは、「”好きなこと”がわたしの心をいやしてくれる」と思っていた。

でも違った。
好きなことをしていても楽しくない。ちっともいやされない。それどころか、「どうして楽しめないんだろう」「好きなのにやりたくない」とむなしくなってしまう。

そんな中、楽しくはないけれどふしぎとストレスに感じないものがある。写真と文章、京都と日本史だ。
写真を撮っていても楽しくないのに、それでもシャッターを切っている。文章を書いていても楽しくないのに、むなしくならない。京都や日本史を勉強していてもやっぱり楽しくないのに、集中できる。
なぜだろう。楽しくないのに、どうしてストレスにならないのだろう。

写真は「撮る」、文章は「書く」、日本史と京都は「勉強する」。
わたしはきっと、これらの行為に楽しさ以外のものを求めているに違いない。
では一体、なにを求めているのだろう。考えると、ひとつの共通点をみつけた。それは「知る」だ。

わたしは「知らない」がこわい。
知らないと、対処がわからない。知らないと、なにが起きているのかわからない。だから知りたい。知って解決したい。知って安心したい。わたしにとって「知る」は、気持ちをおだやかにする手段なのだ。
写真を撮ると、風景の変化や自分の好みを知ることができる。文章を書くと、ことばや自分の気持ちを知ることができる。勉強をすると、新たな知識や考え方を知ることができる。
だから、楽しくなくても悲しくならない。「やめよう」とも思わない。わたしは、楽しさではなく知ることで得る安心感にいやされているから。

***

なんで?
どうして?

わたしの口癖だ。
そしてこれが、わたしの慰み種。知ろうとすることが、わたしのいやし。


※「知らない恐怖」についてはこちらを参照ください。


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