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【発達障害】あなたもわたしも発達障害だけど、全然ちがうね。

昨年5月に発達障害の診断を受けて以降、当事者のコラムやブログを読むようになりました。当事者家族や担当医から話を聞く機会もありました。そして知ったのが、

みんな違う

ということ。
同じ発達障害を持っていても、ひとりひとり特性の程度も困りごとも違う。困りごとは同じでも、それを解決するための工夫は人によって違う。うつ病や不安障害などの二次障害を併発してしまう発達障害の人もいれば、併発しない人もいる。困りごとを緩和するための努力ができる人もいれば、心身が疲れて努力する気力すらない人もいる。特性を活かせる環境を持てた人もいれば、持てなかった人もいる。

みんなちがう、なんて当たり前なことなのに、それに気付いていませんでした。発達障害を知らなかったために。
実情を知らないのにも関わらず、ネットに載っている発達障害の特徴やチェックリストを見ただけで「発達障害はこうだ」なんて知った気になっていました。あるいは、発達障害の成功例を見て「発達障害の人は天才」なんて思い込んでいました。
診断を受けなければ、関係する本を読んだり当事者のブログやコラムを読むこともなかったでしょう。それまで発達障害の本が置いてあるコーナーに行ったことは一度もなかったし、検索欄に「発達障害 困りごと」と入れて調べたこともありませんでした。なぜかって?無関心、かつ「知っている気」でいたからです。
発達障害は単なる「コミュ障」ではないこと。社会で生きていくためには、周囲の理解と協力を得る必要があること。それを得るためには、トリセツを作らなければならないこと。トリセツを作るためには、自己分析をする気力と時間が必要なこと。トリセツを理解してもらうためには、それに適した環境を自ら作り出すまたは探し出す必要があること。そしてこれらは全て、特性の程度・性格・価値観・経験・心身の健康状態・周囲の環境次第で、程度も方法もなにもかも変わってくるということ。
わたし自身が診断を受け、初めて「わたしが知ってる発達障害と違う」と気がつきました。そして、今までいかに無関心であったかということも思い知りました。
発達障害は「発達障害」と一括りで考えられるほど単純なものではなく、「みんな違う」を大前提に対応しなければいけない。自分が発達障害の立場になって初めて、それを実感した次第です。

「発達障害はこうだ」
なんて偏った見方をしていた過去の自分を恥じます。物事を「こうだ」と断定するのは無知と無関心、偏見そのものだと、自戒を込めて今日は記事を書きました。反省。


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