断捨離ズム 〜アクセサリー篇その3(考察)〜byADHD&HSP

その2の続き 

それじゃ、その「いらない」カテゴリーには何があったか。

「いらない」のほとんどは、「好きかどうかもわかんない流行」に乗るためだったり「自分じゃないものになろう」みたいなもの、あと「安さ」が理由で買ったもの。
やっぱり、若いときのものが多いか。「女子としておしゃれに必死!」みたいな時期の。(語弊があったらごめんなさい!今若者な方やおしゃれが本当に好きな方、ファッション関係の方。私は根本がおそらく無頓着で面倒くさがりなんです!許して!m(_ _)m)
あとは使い方がど〜しても見えない、手作り品や戴きもの。
それでもめげず?、親の手作り品とか、若い時結構頑張って着けてたけどね。(大人になるまでファッション雑誌をあまり読まなかったせいで、つけることが出来た、ってのもあるかもね😄)

総括としては、やっぱり、流行を含めた、他人軸で選ばれたものっていうのは私は
「気に入らない」んだなってことが、つくづくわかった。
自分の感性と流行が合致すれば、ちゃんと気に入ってるからいいのよ。「自分軸」で判断した「自分のもの」になってるから。

あと、なんで、そんな古いものを捨てずに今までとっておいたのか??
…それは、若い頃「いっぱい持ってるのがおしゃれっていうもの」だと思ってたから。
毎日違うものを、っていうバリエーションとか、
こんなときにはこんなものを、っていうTPOとか。
いっぱい持ってるイメージだったんですよ。オシャレな人って。
雑誌の着回し企画!とか見ても、「この○着で着回し!」って言ってても、添えるアクセサリーもバッグもたくさん使ってる。
だから、おしゃれじゃなく、買うことも少ない私は、
「買ったものは(数を揃えるために)とっておかなきゃ!」って思ってた。

でも、流行や服はどんどんどんどん変わっていくので(私には速すぎ!) 取っておいても、流行過ぎればほとんど使わないわけですよ。
一部の定番や、「変わらない個性」を貫いているブランドを除いて。

で、社会人として忙しくなって、持ち物を見直す気力・体力の余裕も無くなって…(モノグサも手伝って←)今に至る。(笑)

あと、HSPのせいなのか、私個人のあれなのか…。
これは自分が小さいときから確かに感じていたことで、いまだに自分の芯には持っている、残っている感情なんだけどさ。
「モノが捨てられない」理由の中には「モノへの感情移入」もあるんじゃないかなー?と思うんですよ。
「捨てるの、かわいそう」「今まで散々お世話になったのに申し訳ない」「人からのまごころ」「親族や友人の心遣いや気持ち」「あの頃の自分の気持ち」「純な自分の憧れ」みたいなものを、モノから感じて捨てられない。
私は、そういう全部が愛おしかったんだと思う。

でも、大人になり自分でいろいろな物(服飾品、化粧品など)を買うようになって、そうも言っていられなくなり、「捨てる」をしないと、タンスという物理的なものも、大きな時間の流れ(年代の型)も、追いつかなくなってくるのがわかり、心を無にしてモノに共感しないようにして、服とか化粧品は捨ててきた。

そういえば昔から、なんとなく流行のものを買うのに抵抗があるのは、自分が「捨てること」に対して心に痛みをともなうことを自覚していたからかもしれない。

でも。
モノが多いせいで、自宅で何故か息苦しくなっている自分、というのが居て。
これは有名な人とかも言ってるし、知り合いで少ない物で暮らしてる人も言ってるので、おそらく本当にあるんだと思うけど「モノの思念」。モノがあるだけで、そこにはナニカが発生する。

じつは、これって自分の対人関係を表してもいるのかな、と。

関わる人なるべく全員を大事にしたい。
その人たちの気持ちも尊重したい。
過去の自分も大事にしたい。

…結果、今の自分を大事にできてない。

今の自分をないがしろにしてる。

なんか、そんなふうに思えたのでした。


その4へつづく


前篇その2はこちら

https://note.com/tekumakumayak9on/n/ne5c4b6488427

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