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日本縦断歩き旅《青森➡秋田編》00日目 歩き旅前日 『青森観光』

「ね、なぜ旅に出るの?」

「苦しいからさ。」

「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」

「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」

「それは、何の事なの?」

「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」

「さうして、苦しい時なの?」

「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、気障(きざ)になる。おい、おれは旅に出るよ。」

これは青森出身の文豪、太宰治「津軽」本編の書き出しの中略引用である。


衝動に任せて始めた、前回の北海道縦断に比べ、

今回の旅にはコレと言った理由が、言葉に捕まえられないまま。

自宅出て、深夜バスに乗り、青森市に着いていた。


旅をすることはすでに決まっていて、納得もしている。

ただ、人に説明する言葉が見つからない。


前回の旅を終えて、旅をする前よりも”生”を感じる事ができた。

色々と新しい事にも挑戦した。

新しい分野に挑戦した分、藪の中にいるような茫漠とした不安を送る日々が続いていた。

本当に進んでいるのか?

本当に生きていけるのか?

縦断歩き旅と違って、人生は不明瞭で複合的。

しかも、都市に住宅に守られている分、快適ではある。

快適な沼でゆっくりと死へ向かう、漠然とした感覚。


この沼からの脱出。

そして、生を再び掴まえ、自ら進む感覚。


『蘇生』

自傷行為にも似た、苦しみに苦しみを上書きするような面があった前回の歩き旅だったが。

確かに『蘇生』があった。

あのままでは、生ける屍のままだった実感があった。


日本縦断は長くて慣行できるかまだ分からないが、

歩くのが苦しくて目的を見失いそうなとき、

この「蘇生」を忘れないようにしようと思った。

そして、この「蘇生」の旅が、

誰かの「蘇生」にも繋がったら嬉しいと思った。


(グーグルマップは、リンクの都合上で最短距離で表示されているが、龍飛岬、男鹿半島を含む日本海沿いを歩きます)

旅の予定は、

日本縦断を日本海沿いを歩く。

いきなり九州までは一年近くかかり、

流石に無理なので細かく旅を分ける。

今回は、仕事や予算不足もある為、

約12日前後で青森市から秋田市まで(日本海沿い約370km)を目指す予定である。


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さて、

深夜バスで午前中に青森市に着いたのだが、

すぐに旅立たず一日青森を観光して、次の日から歩き旅を開始する事にした。

前回、修行みたいな旅であまり観光をしなかった反省点があるので、歩き旅の最初と最後、つまり青森市と秋田市を観光する予定にしていた。

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大宮から乗った深夜バスは、コロナで隣はいない為、全席窓際でゆったりとできた。

深夜バスに乗りなれず、小心者が出てしまい。後ろが気になって席を倒しきれず。なかなか眠れなくて、明け方に少しだけ眠れた。

おにぎりなど持ち込んでいたものの、ほとんど起きていた為、バスを降りる頃には腹が減っていた。

深夜バスを降りて、この日泊まるホテルに荷物を預け、すぐさま食事処へ向かった。

事前に調べていた、

青森魚菜センター

へ向かった。


前払いでチケットを買い、

チケットを交換して丼に刺身を加えていくシステムらしい。

目利きや交渉が得意だともっと楽しめたかもしれないが、

声をかけられた店員さんに言われるままチケットを使ってしまい。

奥までよく視ずにチケットを使い切ってしまった。

ホタテはどうしても外せなかったのに危うく別の刺身で終わってしまうところだった。


味は、初めて食べる大きなホタテで満足した。

こんな旅をしていてなんだが、磯臭いのがやや苦手で、やや飲み込むようにそそくさと食べたネタもあった。

だがやはり、大きなホタテの歯ごたえは今でも忘れられないほど美味しかった。

青森ベイブリッジの方向へ向かい、

展望台を上りに青森県観光物産館アスパムへ行く。

正三角形のような建物だ。

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中にねぶたがあって立体でみるねぶたは、やはり、良くできていると感心した。

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無人の写真展もあって素晴らしい、写真だった。

写真NGではなかったみたいなので、すこし引きで撮影させてもらった。

特に右から二番目の写真が構図がダイナミックでフルサイズでお見せできないので残念。ぜひ現物を見て貰いたい。


展望スペースは有料400円。

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あのかすんで見える大地のその先まで歩いていく。

歩いている時もそうなのだが、あのかすんで見える所まで自分が歩いてたどり着ける気がしないのだが、不思議と数時間後にはたどり着ける。

まったく、不思議だ。


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展望台から降りた後、せっかくなので青山レインボーブリッジを渡る。

そのあとに、ねぶたの展示をやっているワ・ラッセという所に行く。

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ねぶたの展示はとても素晴らしかった!

造形がとても工夫されていて、ダイナミックに感じる工夫がいたるところにされていて刺激的だった。

このねぶた一つだけでも青森に来てよかったとさえ思った。

巨大造形物が好きな方は是非ともお薦めしたい。


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ワ・ラッセの中にある魚介スープのラーメンを食べる。

窓から港の船が見れて、眺めが良いため食べた後も少しぼんやりと休息した。

深夜バスであまり眠れなかった為、ホテルに戻って眠りたかったが13時過ぎたぐらいの時間でチェックインの15時まで、まだ時間があった。


眠くて疲れていた為、すこし迷ったが弘前へ向かう事にした。

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弘前へは上の写真とは違い2両編成の電車に乗った。

北国特有の押しボタン式の開閉扉だった。


車窓からの眺めを見ておきたかったが、睡魔に負けていつの間にか眠っていて弘前に着いていた。

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弘前は青森市のまた違う都会の雰囲気があった。

若い人も弘前の方が見かける数も多く感じ、

公園を横切ると若者同士がトラブルなのか揉めていた。

北海道縦断と違い、日本縦断は街中でトラブルに巻き込まれるケースも覚悟しなければならないかも、などと考えていた。

とりあえず弘前城を目指していたのだが、迷ってしまい。

途中で珍しい古風な教会を見つけたので写真にとる。

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弘前城の前でも古風な建物があった。

関東は大雨らしいが、この日の青森は熱く、お城に入る前に自販機で水を買って休んだ。

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弘前城の敷地内はとても綺麗に手入れされていて、見晴らしが良かった。

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移動した天守閣は見てしまうとあっけないが、やはり良くできたものだ。

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中に入って、展示物を見る。

岩木山だろうか?富士のような山を見かける。

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もっとゆっくり色々見たい気持ちもあったが、

疲れて楽しめなくなってきた為、城内の水道を借りて、

汗だくになった頭を冷やし、帰る事を決断する。

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神社も見たかったが大きな鳥居だけみて出口へ向かう。


弘前駅へ向かう道中は意識が朦朧としていた、

日焼け止めやサングラス、それにモバイルバッテリーをホテル預けた荷物から取り出しておけばよかったと後悔していた。

スマホの電池はギリギリだった。


青森行の列車は本数が少なくホームで30分も待つことに、

せっかくなので青森産リンゴジュースを買ってホームで飲んでいた。

すると、電車から降りてきた乗客の一人女子が、「ちょうだい、ちょうだい」と言ってきた。

すこし、障がいがあるような印象を持ってしまった子だった。

驚いてしまって動揺したが

「これ(リンゴジュース)が欲しいの?」

とリンゴジュースを差し出すと。

頷きも、返事もせず黙ってリンゴジュースを少女は飲んで。

少し間のあった

「美味しい?」と聞くと

黙ってリンゴジュースを返された。

お礼もなく少女は改札へ向かう乗客の流れに戻り、エスカレーターを上っていった。


なんか、よくわからなかったが、喉が渇いていたんだろう、と納得する事にした。

失礼だが一応コロナも気になるので、返されたジュースは残っていたが、そのまま捨てた。


青森へ向かう車中は、行きよりも混んでいた。

車窓は気になるが、やはりまた寝てしまった。


青森市に着いて、すぐにホテルへ向かい、シャワーを浴びる。

そのまますぐに寝てしまいたかったが、観光は今日しかできない、歩き旅が始まるとあまり寄り道できなくなるため、晩御飯を調べて食べに行くことにした。

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おさない食堂で刺身定食をいただいた。

普段、写真をとらないから、ついつい箸をつけてから写真をとってしまっている。

ホタテはやはり美味しい!

定食だと量が少ない為、地元の人たちは単品づつで頼んでいるように感じた。人気のお店で満席だった。


ホテルに帰って、明日の準備を徹底的にやるつもりが、

最低限の準備だけして寝てしまった。


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