どのようにICTを授業に取り入れるべきか?
まずICTとは、Information and Communication Technologyの略で、日本語では「情報通信技術」を意味する。
Pointはいうまでも無く『Communication』が入っているところで、通信技術を使って人と人とがつながる技術を指す。?
これを教育現場に活用しようとするのは無論理解出来るし、考え方によっては教育活動と親和性が高いと考えられる。
ただ、その実際は ???ばかりである。まだまだ黎明期にあり、仕方が無いのかもしれないが、最大の問題は教員が教育活動にICTを用いる意義を理解していないことに起因すると考えられる。
私が勤務した自治体では、退職間際に一気にICT環境が整い、学校内例え体育館であってもWi-Fiが繋がり、各教室にもプロジェクターが設置され、また、入学時に生徒が全員学校が定めたコンピュータを購入し、指定のソフトを全員が導入済みという環境で、ハードウェア的には十分とはいえないまでも整っていた。
そうなると、上からICT教育を行え、研修を受けろと始まった。
その結果、ICTにちんぷんかんぷんで でも上が恐いある教員は、教員用コンピュータを教室に持っていき、小テストをするときの残り時間を示すタイマーをプロジェクターで映し出すなんて笑い話にもならないことを行っていたが、それでも管理職的にはICTの活用になっていた。
ある教員は、今まで板書をしていたものをスクリーンに映し出し、スクリーン上で赤線を引くなどしていた。別に、今まで通り黒板使えば良いんじゃない? 複数クラスを受け持っている場合には、板書の手間が省けるけど。
あるいは、空欄があるプリントを生徒に配布して、その空欄に当たるものをスクリーンに重ね写すなんて事も活発に行われていた。
ましな方だと、パワーポイントを使って授業をするわけでけど、これは商品売り込みなどのプレゼンテーションのためのソフトで、双方向のコミュニケーションを意図しているソフトではないから、一方的な授業になってこれまた事前配布プリントの空欄を埋めるという作業になってしまう事が多い。
しかも、初期に於いては部屋を暗くしないと良く見えなかったから、まるで睡眠学習のように生徒達は夢心地になっていく。
教員向けの研修では、わざわざ配布しないパワポの資料を使うとか姑息な事をしていた事もありへそで茶が沸いていた。
パワポもうまく使えば、視聴覚ソースを一体化できるからコンピュータ上で簡単にいろいろな映像を見せることが出来るし、江戸時代の地図の上に現代の地図を重ね合わせるとか、そういった工夫があれば使えないこともない。
ただ、考えて欲しいのだがそのための労力を考えると萎えませんか?
私事になるが、私自身は300bpsの時代からパソコン通信を使っていたし、ウェブブラウザもモザイクから使っている。
35年ほど前には自前でHPも作ったし、30年くらい前には学校内に自作のLANケーブルを引っ張り回し、自作のLinuxサーバーでその頃は個人持ちだったコンピュータや学内のコンピュータを繋げて、成績処理から通知表や調査書の発行までを行えるようにまでした。
何が言いたいかというと、コンピュータに無知ではないし、ソフトにもそれなりの知識や業務遂行上のスキルは持っている。
でも、最終的は自分の授業形態は、基本的には一切板書もしないしプリントも作らない喋りっぱなしの授業となった。
無論、生徒自身がインターネットで何か調べる、または、必要な情報を引き出す活動や、こちらが資料の提示をコンピュータ端末で行うなんて事もあったが、基本は喋りっぱなし。
管理職の授業観察があってもそれで押し通して、一切文句は言われない。
本当は、どうやら、せっかく高いお金を出させて買わせたコンピュータを使わないとクレームがつくので、とにかく机の上に出させろみたいな感じもあるのだが、授業がしっかり成立しているので問題無し。
何故か? 常に発問し答えを拾い、まさに生徒と活きた『Communication』を行って行く中で学びを進化させていったからだと自負している。
実は、かつてオーバーヘッドプロジェクターなる、重ね合わせが出来る機器があって、出た当初は画期的だともてはやされていたものの、準備の大変さ等から結局はお蔵入りした。
教員になった当初は、視聴覚教材の重点配布が行われ、教室までは手が回らなかったが主要な特別教室にはテレビとビデオデッキが設置され、なおかつ、ビデオの高度な編集機器まであてがわれた。
自分自身も、選択授業ではあったが1年間の授業を全て視聴覚教材を使って行ったこともあった。
でも、何回も書くが最後はしゃべりっぱなしの双方向の授業に落ち着いたのである。
そう、授業は生き物、指導案通り行う事が出来る方がおかしい。それが出来るのだとしたら、生徒のその時の状態を無視した一方的な垂れ流し授業で、生徒にとっては何の実りのない授業である。
こんな教員に限って、テスト前になるとテスト対策プリントとかを作って生徒に配布していたりする。
そりゃあそうだよ。本当に意味で、授業は成立していないわけだから。
まあ、受験勉強というクソみたいな勉強が大手を振っている限り、本質的な改善は無理だと思うが...
余談だが、先日教育系のSNSをみていたら、社会の教員が効率よく年号とかを暗記させるテクニックを公開していた。受験の弊害以外の何物でも無い。。
じゃあ、ICT教育を否定するのか? 否、使い方の問題であると考える。
キーワードは、『何故』と双方向『Communication』
これについては、後日、書き足したいの考えている。
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