見出し画像

2022.08.12~14 決戦!関ヶ原の旅

7月から8月にかけて
・ゆるキャンの旅(5泊6日)
・石川・富山の旅(1泊2日)
・福岡食い倒れの旅(1泊2日)
・野営どうでしょうin北海道(3泊4日)
と旅続きでおまけにホームでのキャンプや
合宿の引率とほぼ家に居ない有様で

「お盆くらいは大人しく・・・台風もきてるし」

ということで近場で遊ぶことにしました!
ご存知、名古屋城でござる(?)
・・・いや、流石に在宅してるつもりだったんですけどね。。。
日曜日にどうしても所用で関西に行かなくては行けなくて
「まぁ、日帰りでいいかー」と思ってたんですが
金曜の朝起きて台風も来てたので前乗りしとくかぁということで
リュックにパンツとTシャツだけ詰めて見切り発車
見切り発車すぎて宿も新幹線も決まってません()

とりあえず現地着いたらお昼ごはん。名古屋名物・あんかけスパゲティー
栄のユウゼンさんへ
ここも10年ほど通ってますかね。。。
内装も綺麗になって座席や券売機などコロナ対応になってました
おいしいのはいいんですがご覧の通りヘビーなので腹ごなしにお散歩

加藤清正が名古屋城の普請で陣頭指揮を執る様子
徳川家康の九男義直の城として築かれた名古屋城は
諸大名の「御手伝い普請」によって築かれました
なんか子供っぽい呼び方ですが
要は家康が「子どもの新居建てるからお前ら手伝え」という感じです
このとき加藤清正は率先して築城にあたりましたが
同僚の福島正則は
「なんで俺が家康のガキの城なんか・・・」
と愚痴ったそうです。それに対して加藤清正は
「文句があるなら国に帰って戦支度でもしろ」
と言ったと言われています笑

こちらは再建された名古屋城本丸御殿
お殿様は天守閣で起居したとイメージする方も多いかもしれませんが
天守閣で暮らしていたのは信長など一部の人だけで
基本的にこういった御殿が居住スペース・執務スペースでした

天守閣・本丸御殿とも空襲で焼失してしまい、
本丸は60年ほど前に鉄筋コンクリートで再現されましたが
耐震問題が出てきたため現在は入場禁止。
かわりに本丸御殿が木造で再建されて公開が開始されました。
金メダルで有名な河村市長()は天守閣の木造再建を目指しています

レイジさんの好きな前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)もいましたw
この日の夜は名古屋の友人と風来坊へ
山ちゃんと並ぶ手羽先の有名店ですが山ちゃんと違って
関東にはほぼ店が無いのでたまに来たくなりますね

さて、そもそも前乗りを直前決定したのでノープランな上に
死ぬほど名古屋は来ているのでほぼ周り尽くしています
以前は清洲城を車で出発し、熱田神宮を経由して
桶狭間に至る桶狭間再現旅行などもしていますし
犬山城、小牧山城、長久手などを巡る
小牧・長久手の戦いにフィーチャーした旅行もしています
そこで今回は旅のテーマに「関ヶ原」を据えて出陣することに
まぁ、関ヶ原も5回目なんですが!!!

大垣千明の由来、大垣。
大垣と言えばムーンライトながら早朝ダッシュや
昨年の四国完全制覇Ⅱでの雪オチなどで来ていますが
何気に駅の外に出たのは初めてです

大垣城と大垣藩主戸田氏鉄
頑張ってそれっぽいアングルで写していますが
商店街の一角というかなりな立地でした汗
大垣城は関ヶ原の戦いの際に西軍の拠点となっており、
大垣城籠城戦もあり得たのですが
野戦を得意とする家康は大垣城をスルーして関ヶ原へ向かいました
関ヶ原ではご存知の通り、東軍が勝利して大垣城も降伏しました

続いて関ヶ原。
関ヶ原は何度も来ているんですが・・・

岐阜関ヶ原古戦場記念館が開館してからは来ておらず
今回、初入館となりました。
流石に昨今建設された施設というだけあって
映像などを用いてわかりやすい展示がなされていました
ですが、そんなことはどうでもいいのです(ぇ
関ヶ原の戦いのことで今更「そうだったのか!」などという
新しい発見があったりはしません。
本題はこれです

ねこねこ日本史とコラボだとおおおおおおおおおおおお
これはもう二度とないかもしれない神イベントです
館内いたるところにねこねこ日本史のキャラが配置されており
ねこねこ日本史「関ヶ原ビフォーアフター編」も公開
私も幼児たちに交じって鑑賞してきました!(迷惑
ミュージアムショップではねこねこ日本史グッズが販売され
こちらも購入させていただきました(大散財
ちなみにねこねこ日本史がなんであるか知らない方は

こちらをご覧ください

さてもうなんかお腹いっぱいな気もしますが、つぎはこちらへ

品の悪い金ぴか信長(火縄銃・マスク装備)が輝く岐阜へ

数々の山城を攻略してきましたがこれは高いw
今回はロープーウェイを使いましたが
そのうち登山道で攻略してみたいものです

信長と聞くと名古屋や安土のイメージが強いかもしれませんが
そもそも「岐阜」という地名は信長が命名したものです
中国の地名である岐山と曲阜から造られたいわば造語で
古代中国の王朝の発祥の地である岐山と
孔子の出身地である曲阜からとったことで
天下泰平と文化・学問の中心を意味すると言われています
ちなみに信長は岐阜攻略と前後して
有名な「天下布武」の印判を用いるようになります
これは「武力で全国を統一する」という意味ではないと
近年はされていますが要地である岐阜を手に入れたことで
信長は将軍を擁して戦乱を終わらせ
国家の安定をはかるというヴィジョンを明確に
持ち始めたのではないかなと思います

近年、発掘調査が進んでいる岐阜城の御殿
岐阜城はかなりの山城なので信長も麓の御殿で起居していたのでしょうね
ロープーウェイもない時代にいちいち本丸まで行ってたら日が暮れます苦笑

ロープーウェイの終着からさらに歩いてようやく岐阜城到着
もとは美濃の蝮と言われた斉藤道三の城で
道三は美濃守護の土岐氏を追放して美濃支配を確立します
当時は稲葉山城と呼ばれていましたが堅牢な山城ゆえ、
信長の父、織田信秀はこれを攻めあぐね、
ついには道三の娘・濃姫と信長の婚姻で和睦が成立しました
斉藤家内の内紛で道三が子の義龍に討たれたのち、
道三の孫にあたる龍興の時代に信長によって稲葉山城は陥落しました

しかし素晴らしい眺望です
長良川を越えて写真の奥が関ヶ原です
岐阜城は関ヶ原の前哨戦として攻防戦が展開していましたが
池田輝政・福島正則の猛攻でわずか一日で落城
これは関ヶ原の戦況に大きく影響したと考えられます

濃尾平野が一望できます。
一番奥のかすんでいるビルが名古屋周辺です
名古屋との中間地点には稲葉山城攻略まで
信長の本拠地だった小牧山城もあります

犬山城方面。
写真右の開けた場所は航空自衛隊岐阜基地。
この辺りが「各務原」です
写真の左から若干それたあたりに「恵那」も。
ゆるキャン△巡礼も一気にできる岐阜城でしたw

そんなわけで今回は関ヶ原にまつわる史跡を巡りました
岐阜はマイナーかもしれませんが
かなり見どころにあふれた場所だと再確認したので
そのうちしっかり日程を組んで飛騨の方も足を延ばしたいのと
日程の都合で行けなかった「岐阜かがみはら航空宇宙博物館」なども
行ってみたいなぁと思います
犬山城や明治村も10年近く行ってないのでそっちもいいですね

さて、あまりに仕事してないので今日から頑張ります。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?