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ーさなぎから蝶へー私のアジャストメントstory その1

2024年4月1日で看護師歴25年目に突入しました。

25年看護師として医療現場に立つなかで、
身体だけでなく心や脳の仕組みや無意識を学ぶ機会をいただけた私は恵まれていたと思います。

今では、自分と他人とのかかわりでイラっとしたりモヤモヤしても解消できる術を身に着けて心地いい自分でいられる時間が増えましたが昔は、自分の思い込み最優先の善悪基準にまみれてストレスフルな状態でした。

先日、一緒に活動しているWellnessナースの友人からブログに
「もっと、なべこ(旧姓のニックネーム)のドロドロしたブログが見たい」とアドバイスをもらい挑戦してみることにしました。

今まで、自分を長年取り繕ってきたのでドロドロな部分をだせるか分かりませんがチャレンジしてみたいと思います。

ドロドロした自分の過去に適応していく様を書き出したブログをアジャストメント(適応)storyと呼ぶことにしました。

1.うつむくことが多かった子供時代の記憶

このブログを書くにあたり避けて通れないのは子供のころの記憶です。


わたしの子供時代の記憶は、いじめとともにありました。
ものごころついたときから、仲間外れにされたり・上靴やノートを隠された記憶があります。
男子からの暴言・暴力(叩かれたり・蹴られたり)や女子からの仲間はずれや陰口をささやかれたりしていました。

覚えている最初の仲間はずれの出来事は保育園のとき

幼馴染のJちゃんの家に遊びに行って遊んでいたときに、幼馴染の隣に住んでいる年上のお姉ちゃんがいました。

幼馴染の友人が「まゆちゃんだよ」って教えてくれて、私も「まゆちゃん」って呼んだら
「なんであんたにまゆちゃんって呼ばれなあかんの」と強い言葉で返ってきました。
そして、「Jちゃんと遊ぶのは私だから帰って。」といわれ、「え?」と固まっていると、「帰ってよ」と身体を押され家から出されました。

そのあと泣くきながら家に帰りましたが、振り返りながら幼馴染の名前を呼びながら帰っていきました。

なんで、大好きな幼馴染と離れなければならないのか。

なんで、「まゆちゃん」と呼んだだけであんなに怒られないといけないのか。

なんで、一緒に遊んでくれないのか。

大きくなった今もときどき思い出して考え込みます。

泣きながら帰る道中、振り返り幼馴染と引き離される悲しさから「Jちゃーん」と叫ぶと、幼馴染のJちゃんは「かよちゃーん」と答えてくれました。

Jちゃんも同じ気持ちだ。と思いこみ、この出来事のあとからよくJちゃんと一緒にいることが多くなりました。

Jちゃんと離されたくない。

ことあるごとに、「Jちゃん・Jちゃん」

Jちゃん一緒にご飯食べよう。

Jちゃん、一緒に帰ろう。

Jちゃん、一緒に遊ぼう。

Jちゃんに執着するようになっていきました。

2.依存・執着の果てに思うこと

この出来事から、私は人に依存するようになりました。

ひとりになりたくない。

仲間外れにされたくない。

そう思えば思うほど人は離れていきました。

幼馴染のJちゃんは最初は一緒に遊んでくれていましたが、執着するようになり、距離を置かれたり、ほかの友達と遊ぶようになったりしました。

中学のときに、Jちゃんと遊んでいたときに他のクラスメイトから
「私のJちゃんやし触らないで」って言われたことがあり、返し文句に
「私のJちゃんでもあるもん」って言ったことがあります。

この言葉をきっかけに、クラスメイトに笑われ悔しい思いをしました。

このブログを書いているときに、当時のことを思い出しました。

本当はJちゃんがうらやましかった

人から必要とされて、愛されているJちゃんのようになりたかったんだなと思います。

今でも、子供のころのことを振り返ると悲しいという感情よりも怒りの感情のほうが出てきます。

3.歪んだ自我は歪んだマインドをつくる

三つ子の魂百まで

というように子供の頃の体験が大人の自分に影響することは心理学業界ではよくいわれます。

私も、こどものころに作られた思い込みは今でも出てくることがあります。

過去の記憶を思い出すときに、気が付けば食いしばっていることがあります。

今でも、人とのトラブルを想像すると怒っている自分をイメージします。

こういわれたら、こう言い返そう。

こんな風に切り替えそう。

相手の表情までイメージします。

それは、こどもの頃に経験した悲しさや悔しさを繰り返さないように自分を守るために記憶を思い出すたびに、シュミレーションをしていた癖が今も残っているのだと思います。

4.過去の記憶が現在の自分を支配する

今回は、暗い過去のひとつを出してみました。

自分の中のドロドロとしたものを、出してみましたが言葉で表現するとショボくなります。

言葉で表すことのできないほどの悲しい・悔しい・つらい思いは身体のなかにあります。

だけど、言葉にすることで振り返ることができました。

私は、必要とされたかった。

私は、人に好かれたかった。

私は、愛されたかった。

その思いに気づくことができたのは大きな発見だったと思います。

この記事を書く前に、子供のころのつらい記憶と適応障害に適応することと何がつながるのか?と考えましたが大いにつながる部分はあると思います。

人は自分が育ててきたプログラムを繰り返し生きています。

過去の自分の経験を参照に、無意識に現在の自分の行動をしています。

このお話は、またの記事でお伝えしていきます。

私のアジャストメントstoryは不定期ですが引き続き配信していきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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